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小説 『牛氏』 第一部
96:左平(仮名) 2003/11/09(日) 23:58 四十八、 どのくらい経ったであろうか。敵兵の気配が消えた。 (どうやら、囲みの外に出たか) そう思った賈ク【言+羽】は、隣の兵に、松明に火をつける様指示した。もちろん、敵に見えない様に工夫を凝らしたものを使う。 そうして、さらに進んだ。この策は、単に囲みの外に出るだけではなく、一定の距離をおく必要があるのである。 (よし、ここらあたりでよいか) 「皆の者。ここらで休息するぞ」 その言葉を聞くや否や、兵達は大きく息を吐き、その場に座り込んだ。皆、輜重の重い荷を背負っているので体は鍛えられているが、これほどの疲れを感じる行軍はなかったであろう。 「よくやってくれた。ここまで来られたというだけで、この策は六、七割がた成功だ」 このねぎらいの言葉は、本心からのものである。 「ですが、まだ策は終わっちゃいないんでしょ?」 「そうだ。これから、続きの説明をする。皆疲れているだろうがら、楽な姿勢で聞いてくれ」 「分かりやした。どうすりゃいいんですか?」 このあたりは、さすがに見込んだだけの事はある。皆、実に素直に話を聞く姿勢である。 「まず、持っている戈や戟にかぶせている袋をはずせ。紐で口を縛っているであろう。それをほどくのだ」 「はい。…あれ?袋の中に何か入ってますね」 「それを取り出すのだ。何か分かるか?」 「古い布きれだとか木の枝、それに幟の房…。こんなもの、一体どうするんですか?」 「それはこれから話す。次に、持っている戈や戟を逆にしろ」 「こうですか?」 「そうだ。そして、袋の口を縛っていた紐で、その布きれや木の枝、幟の房をゆわえつけるのだ」 「これって、何か箒みたいですねぇ」 「そうだ。箒の形にするのだ」 「こんな事をしてどうするんですか?」 「簡単な事だ。夜が明けるや否や、私の号令とともに、そなた達はこの箒で地を掃き清めるのだ。全力でな」 はぁ?兵達は、皆驚き呆れた。そんな事をして、一体何になるというのであろうか。しかし、命令は絶対である。 「皆、少し休め。夜明け前には作戦開始だ。…そうそう、水は飲んでも良いが、全部は飲むなよ。明日の朝、必要になるからな」 そう言うと、彼はすぐに横になった。兵達も、それをみて横になった。 そして、夜明けが近づいてきた。 (頃はよし) 賈ク【言+羽】は皆を起こすと、さっそく指示を出した。 「よいか、皆の者!」 「おぉ!」 「徒歩の者は箒を構えよ!」 その指示のとおり、兵達は皆箒を構えた。いくら訳の分からない命令でも、命令である。 「騎馬の者は、目を除いて顔を隠せ!」 こちらは精鋭である。精悍な面構えをした男達は、黙々と顔を布で覆った。鋭い眼光だけがのぞくその顔は、味方にはますます頼もしく映る。 「支度は整ったな。…者ども!かかれ−っ!!」 傍目には、滑稽な風景であったろう。数十人の男達が、必死の形相で地を掃きつつ走るのであるから。その掃き様は凄まじく、たちまちのうちに砂埃が空高く舞い上がった。
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