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小説 『牛氏』 第一部
106:左平(仮名) 2004/01/12(月) 22:33 五十三、 劉カイ【小+里】は、王甫に銭五千万を渡す必要がないと考えたのである。自分から約束しておきながら、どういう事かと疑問に思うところであるが、彼の中ではそれなりの理由があった。 実は、劉カイ【小+里】が渤海王に復位するのとほぼ同時に、桓帝は崩じたのである(ともに十二月の出来事であった。享年三十六)。先の質帝の様な不審の残る死(梁冀によって毒殺されたとされる)ではなかったから、彼には、自分の命が尽きようとしている事を悟り、遺詔を残すだけの時間があった。この遺詔は、紛れもなく桓帝自身の意思によるものである。 先にかけられた嫌疑については、史弼という剛直な人物が奏上した事であり、かつ裏付けもとれている事であるから、降格は誤りであってその訂正をしたという訳ではない。 この復位は、素行のよろしくない弟の行く末を案じた兄の、最後の思いやりといったところであると考えてよかろう。あるいは、実子が叶わぬなら、せめて自分に近い血縁の者を皇統を狙える位置に残しておきたいという意思表示でもあったかも知れない。 その思いはさておき、もともと、帝王の言葉とは重いものである。「綸言汗の如し」や「王に戯言無し」など、その重さを説く格言は幾つもあるという事からも、その事はうかがえる。ましてや、帝王がまさに崩じようとしている時の言葉である。もう二度と訂正はきかないのであるから、その意味は限りなく重い。 劉カイ【小+里】は、その重みを、自分に都合のいい様に解釈した。 (わしが復位するのは、陛下のご遺志であったのだ。帝王の遺詔は、何人たりとも介入できない聖域。王甫にどれほどの力があろうとも、陛下のご遺志はそれとはかかわりのない事である) 自分は良い兄を持った。そう思いはしたであろうが、彼は、重要な事実を見落としていた。それも、二つも。その事が、一連の事件につながっていくとは、気付くはずもなかった。 一つは、当然受け取れると思っていた報酬を反故にされた、王甫の怒りである。 銭五千万というのが、当時にあってはどの程度の価値であったかについては、現代との比較は難しいところである(良銭・悪銭の差、度重なる改鋳、通貨価値の激変などの理由により、定点がはっきりしない)が、二、三の事例を挙げてみよう。 @梁冀が滅んだ後、没収された財貨の額は、銭三十億余りに達し、それによって、天下の租税を半減させる事ができたという。…銭三十億が国家予算の半額ととれるので、その六十分の一である銭五千万は、国家予算の百二十分の一に相当する。現在の日本にあてはめると…(当時は国債というものはないので税収のみで考えると)…約三千七百億円相当となる。 A『史記』貨殖列伝には「封者食租税、歳率戸二百。千戸之君則二十萬(諸侯の、一戸あたりの税収は【銭】二百。食邑千戸の諸侯であれば、税収は【銭】二十万)」との記載がある。この当時(『史記』が書かれた頃)の一銭は、現在の日本円にして約百八十円くらいとの事なので、それで換算すると…約九十億円となる。もっとも、前漢末から後漢にかけての混乱を経て、貨幣の流通量は(例えば、皇帝から臣下へ賞賜された銭の数量が、後漢は前漢の約三分の一であるという様に)激減しているから、この頃にあってはその数倍の価値があったとみてよい。となれば、三、四百億円くらいになろうか。 B当時の渤海国の人口が約百十万人。当時の漢朝の全人口が約五千万人といったところなので、その約2%にあたる。そこからの税収(全てではない)が渤海王の収入となるわけだが、朝廷−地方王の取り分の比率が現在の日本の国−地方間の取り分の比率くらいと考えると…@と同様に現在の日本にあてはめた場合…約三千二百億円相当となる。 以上、実に粗雑な検証ではあるが、いずれにしても、一般の人間からすると大変な金額である事には相違ない。これほどの大金が絡むとなれば、ただで済むはずもないのは、今も昔も変わりない。 それに、王甫は宦官である。宦官は、性欲を充足させる事ができない分、権勢欲や金銭欲は常人以上に強いといわれる−事実そういう事例は多い−のであるが、その欲望を大いに損ねたのであるから、なおさらである。
107: 左平(仮名) 2004/01/12(月) 22:33 もう一つは、彼を復位させたのが「遺詔」だったという事である。最大の庇護者であった兄、桓帝はもはやこの世におらず、そのあとを継いだ今上帝(霊帝)は、桓帝・劉カイ【小+里】兄弟との血縁は薄い(桓帝の祖父と霊帝の曽祖父が同一人物【章帝の子・河間王の開】。二人は【共通の祖先から見ると】おじとおいという関係になるが、ともに帝位に就く前は地方の諸侯に過ぎなかったので、関係は疎遠であったと思われる)。 桓帝の御世においては皇弟であった彼も、霊帝即位後は、単なる一皇族に過ぎないのである。 いや、それだけではない。「先帝の弟」ともなれば、桓帝が男子なく崩じた(実際そうであった)後、そのあとを継ぐという可能性もあったわけだし、それを主張するだけの正当性も充分にある。その様な存在は、新たに皇帝となって間もない霊帝にとっては決して快いものではなく、むしろ疎ましくさえあったろう。劉カイ【小+里】という個人に対しては別段どうという感情はないにしても、彼が、自らが帝位に就く事の正当性を主張したりすれば、国論は分裂し、大変な事になるかも知れないのであるから。 そういった点に思いを馳せておれば、いったん約束しておきながら、王甫に銭五千万を渡さないという事が、どれほど危険であるかというのは分かり得たはずである。王甫が、実際に復位の為に動いたかどうかは関係ない。劉カイ【小+里】が渤海王に復位できたのは事実なのであるから、約束した銭は、渡すだけは渡しておいた方が無難というものであった。 そんな中、劉カイ【小+里】を擁立しようとする動きがあった。当時中常侍の地位にあった鄭颯や中黄門の董騰といった面々が、その為に動いていたのである。 その動きには「先帝の血筋により近い人物をたてるべきである」という一応の正当性はあったが、実のところはそんな奇麗事ではない。彼らは王甫と対立しており、自分達で皇帝を擁立する事で、優位に立とうとしていたのである。その、擁立する候補として挙がったのが、他ならぬ劉カイ【小+里】であった。 数回にわたって(使者が)行き交ったというから、彼自身も乗り気だったのかも知れない。 しかし、である。既に新皇帝(霊帝)が即位している今、その様な動きをし、それが発覚すればどうなるかは、言うまでもなかろう。 熹平元(172)年、ついにその事実が発覚した。王甫は素早く動き、政敵となった鄭颯を獄に下すと、尚書令の廉忠にその事を奏上させた。史書には「誣」の字があり、その点がややすっきりしないものがあるが、何分彼には、以前にも嫌疑をかけられたという前歴がある。 疑われてもおかしくはなかったし、探せば怪しい所の一つもあった。 廷尉が劉カイ【小+里】の前に現れた時、彼は、ようやく自らの軽率さを悔いたかも知れないが、既に手遅れであった。 同年十月、劉カイ【小+里】は自殺して果てた。ただ、謀反の疑いによるものであっただけに、事は彼一人の死では済まなかった。十一人の后妾、七十人の子女、妓女二十四人が投獄され、獄中で命を落とした。さらに、監督不行き届きの故をもって、王国の傅、相もまた誅殺された。 とはいえ、いささか軽率なところはあったにせよ、非道な事はしていなかったらしく、その死を庶民は憐れんだという。 かくして、王甫は銭五千万の怨みを晴らした。しかし、劉カイ【小+里】を死に追いやったところで、反故にされた銭が手に入ったわけではない。それどころか、さらに厄介な事態を招く事になったのである。牛輔達にも関わってくるその一連の『事件』は、まだ始まったばかりであった。
108:左平(仮名) 2004/01/25(日) 23:22 五十四、 厄介な事態になった、というのは、こういう事である。 劉カイ【小+里】の事件が起こる前の年−建寧四(171)年−の七月に、皇帝の元服をうけて皇后が立てられていた。 彼女は、当時執金吾の位にあった宋鄷という人物の娘である。宋氏は、前漢の時代まで遡れるという名家であり、曽祖父の世代では、章帝に寵愛された貴人を出している。(彼女がとある事件により自殺を余儀なくされた為に)その皇子・慶は太子の位を廃されたものの、その子の祜が安帝として即位し、安帝・順帝・沖帝と続いている。 沖帝が幼くして崩じ、質帝・桓帝・今上帝(霊帝)と傍系の皇族が立て続けに擁立された為、当時においては宋氏と今上帝との血のつながりはないが、帝室との関係は浅からずある一族でもある。 先の宋氏が自殺を余儀なくされたとはいえ、その孫が皇帝となっているのであるから、皇后が立てられた時点では宋氏に何の問題もなかった事は言うまでもない。王甫(及び宦官勢力)から見ても、それは同じであった(でなければ宋氏の娘が皇后に立てられるはずもない)。 しかし、劉カイ【小+里】の事件があった為、少なくとも王甫にとってはそうもいかなくなったのである。 なにしろ、獄中で死んだ劉カイ【小+里】の后は、新皇后の姑母(父の妹。日本でいう叔母)なのである。一族を半ば殺された形となる宋皇后が、その悲劇の張本人であるのが王甫と知ったらどうなるか。贅言は不要であろう。 劉カイ【小+里】を滅ぼし、溜飲を下げた後になって、王甫はその事に気付いた。 (まずい事になったな…) 一時の怒りに任せた結果、予期せぬ禍根を作ってしまったのであるから、良かろうはずはない。 なにしろ、相手は皇后陛下である。皇后というのは、単に皇帝の正婦というに留まらない。中常侍の彼にとっては、直接の上司にあたる存在でもあるのだ。これは、自らの地位を保つ上でも大問題である。 (さて、どうしたものか) しばし悩んだであろう事は、想像にかたくない。この時点では、彼には二つの選択肢があったと言える。 一つは、それこそ皇后の手足として忠実に働き、(姑母の死にかかわりがあると知られても)そうそう容易には排除できない様な重宝される存在になる事。もう一つは、策謀を弄して皇后を失脚させ、自分にとっての危険な芽を摘み取る事である。 もし前者をとる事ができていれば、宮中は、もう少し平穏な日々であったのだろうが…。王甫の、のみならず霊帝の人となりを考えると、それは所詮無理な相談というものなのかも知れない。 というのは、宋皇后の立場は、存外危ういものだったからである。 皇后が立てられた建寧四(171)年時点で、皇帝は数え十五歳。その正婦である宋氏は、おおよそ同年代であったろう。この世代の少年からみると、同年代の少女というのはまだ(性的魅力という点において)物足りなく思う事がままあるもの。ましてや、皇帝ともなると、後宮には全国から選りすぐった美女が溢れかえっているのである。 これで皇后に目を向けようとなると、皇后が絶世の美女(この時点では美少女か)であるとか皇帝に相当の自制心がある事が必要であるが…崩じた後、『霊』という諡号(最悪とまではいかないが、かなり悪い部類の諡号)をつけられる様な人物にそれを望む事は、ほぼ不可能というものであった。 それに、皇帝は、十二歳で即位するまでは貧しい辺境の一諸侯に過ぎなかった。史書に「扶風平陵人」とある事から、少なくとも当時の首都圏の出身であると確認でき、なおかつ名家の出である皇后とは、いま一つそりが合わなかったとしても不思議ではない。 その為、彼女は寵無くして正位(皇后の位)に居るという状態にあった。寵愛されない皇后が、やがて寵姫にとって代わられるという事はままあるから、現時点で、その地位が磐石のものであるとは到底言えないのである。
109:左平(仮名) 2004/01/25(日) 23:25 (ただ…皇帝陛下は、皇后にはさして思い入れがなさそうではある…となれば…) 王甫がとる手段は、一つしかなかった。皇后を失脚させる事である。それは、少なからず皇后とその一族の滅亡にもつながる事なので、またも悲劇を引き起こす可能性があるのだが、王甫にはどうでもいい事である。 (いささか気の毒ではあるが…わしが生き延びる為だ。消えていただくしかないな。ただ…寵愛されていないとはいえ、特に過失があるというわけでもないし…どうしたものかな…) 相手はいやしくも皇后陛下である。それを廃位するのは、過去にも幾つか例があるとはいえ、決して容易なことではない。 幸い、今、皇帝には何氏という寵愛を受けている貴人がいる。既に皇子の辯(後の少帝)を産んでいる事からして、宋氏を廃して何氏を皇后に立てる事については、皇帝は黙認するであろうと思われる。 もちろん、宋氏も今後男子を産む可能性がないとは言い切れないし、何氏は、皇后になるには身分的にも性格的にもいささか問題のある女性ではあるのだが、それは何とかなるだろう。問題は、いかにして宋氏を廃するかである。 「現状を考えると…最初から策を弄するのも何だな。まずは、正面からあたってみるか。これを諮るとなれば、さしずめ、太中大夫(光和元【西暦178】年当時は、段ケイ【ヒ+火+頁】がその任にあったと思われる)あたりかな」 そうつぶやくや否や、王甫は立ち上がった。 「車を出せ」 「どちらへ行かれるのですか?」 「段太中大夫のところだ。ちと相談したい事があってな」 「分かりました。すぐに支度いたします」 両者には、政治的に強い結びつきがあった。王甫が宦官であるのに対し、段ケイ【ヒ+火+頁】はれっきとした士大夫であるから、当時の政治情勢を知る人には、いささか意外に思うところではあろう。 だが、これは両者にとって益のある関係であった。段ケイ【ヒ+火+頁】は自らの富貴を維持する為、王甫をはじめとする宦官勢力に接近する必要があったし、王甫は敵対勢力を叩き潰すのに段ケイ【ヒ+火+頁】の勇武を必要としていたからである。 こう書くと、段ケイ【ヒ+火+頁】が権勢に擦り寄る悪党である様に思われるかも知れないが、事はそんな単純な話ではない。 段ケイ【ヒ+火+頁】は、董卓と同じく涼州の出身であるが、同時代に、彼を含めた三人の名士(皇甫規・字威明、張奐・字景明、段ケイ【ヒ+火+頁】・字紀明)がいた。彼らはその字に「明」という字が含まれていたので「涼州三明」と呼ばれていたのだが、段ケイ【ヒ+火+頁】は、三人の中で最も恵まれない立場にいた。というのは、他の二人は父が相当の官位にあったのでその恩恵を多分に受けられたのに対し、彼の父は史書に名が記されておらず(官位に就かずして亡くなったか就いていたにしても微官に留まったと考えられる)、その恩恵を受けられなかった為である。 段ケイ【ヒ+火+頁】は、対羌族戦において三人の中で最も苛烈な戦いを行ったのだが、それは、彼の性格によるというだけでなく、より目立つ功績を挙げる事で、二人との差を詰めたいという意識の現われであったかも知れない。 また、その結果得た富貴にしても、先祖代々の蓄積というわけではない。それを守る為にいささか無理をせざるを得なかったという事情もあったものと考えられる。 ともあれ、王甫にとっては、段ケイ【ヒ+火+頁】は頼れる人物であった。皇后廃位という大事を為そうとするにあたっては、一言相談しておくにこした事はない。 「これはこれは、王中常侍殿。いかがなされたのかな?」 本人は至って気軽に話しているのであろうが、さすがは歴戦の勇将。既に相当の年であるにも関わらず、慣れない人にはかなりの威圧が感じられる。それは、王甫にとっても同じである。政治的には近しいとはいえ、決して気安く話せる相手というわけではないし、何より武人である。長々とした挨拶などせず、手短かに話すのが良い。 「話がある」 「ほほぅ。どの様な話ですかな?」 「実はな…」 王甫の声が、いささか小さくなった。 (何か重大な話なのか) さすがの段ケイ【ヒ+火+頁】の心にも、緊張が走った。これが、自らの運命にも大きく関わろうとは、気付くはずもなく。
110:左平(仮名) 2004/02/09(月) 00:13 五十五、 「皇后の事なのだが…」 段ケイ【ヒ+火+頁】にとっては、いささか予想外の話である。宮中のきな臭い話とはあまり関わりたくないというのが本音ではあるが、他ならぬ王甫の話である。聞くだけは聞かねばなるまい。 「皇后陛下が…いかがなさったのですかな?」 「実はな…位を降りていただこうかと思ってな」 「これは異な事を。何ゆえですかな?」 (陛下は、今の皇后に何かご不満があるのだろうか?聞いた事はないが…) 段ケイ【ヒ+火+頁】には、どうも王甫の意図が掴めない。皇后の廃位となれば、天下の一大事である。皇帝の意思であるのなら異論はないが、何ゆえ今なのか。さっぱり分からないのである。 「皇后は寵無くして正位に居られる。皇后に立てられてもう何年にもなるが、未だ若年とはいえ、この様子では、恐らく男子は望めまい。『母は子を以って貴たり』ともいうし、この際、既に男子を産んでおられる何氏あたりにその座を譲られてはいかがかと思うのだがな」 「ほほぅ…。で、この事について陛下のご意思はいかがなのですかな?陛下がお望みなのでしたら、この段ケイ【ヒ+火+頁】、できる限りの事は致しましょう」 (そう来るか…。まぁ、予想してはおったが…) 段ケイ【ヒ+火+頁】は、どこまでも漢朝に忠実な武人であり、皇帝の意思こそが絶対という固い信念を持っている。彼を動かすには、やはり皇帝を持ち出すしかない様だ。ただ、今回については、事の性質上それはなるべく避けておきたいところ。彼の力を借りるわけにはいかない様である。 (止むを得んな。萌、吉【ともに王甫の養子】に相談してみるか) 王甫は、そう考え直した。このあたりの決断の速さこそ、彼が今まで勝ち残ってきた所以である。幸い、段ケイ【ヒ+火+頁】は口が固いから、一言口止めしておけば、この話が外に漏れる恐れはない。 「まぁまぁ、そう焦らずとも良い。わしとて、陛下のご意思をきちんと確認したわけではないのだからな。この事は忘れられよ。…今日の話はこれだけだ。では、あまり長居するのも何なので、これにて失礼する」 そう言うと、王甫は席を立った。こう書くと、段ケイ【ヒ+火+頁】の返答に不快感を感じた様に思われるかも知れないが、そういう訳ではない。王甫は、段ケイ【ヒ+火+頁】の人となりにはむしろ好感さえ持っている。用件が済んだら長居はせずにさっさと帰るのが、彼への礼儀なのである。 「戻ったぞ」 「お帰りなさいませ」 「さっそくだが、簡と筆を用意しろ。萌と吉に書状をしたためる」 「はい。分かりました。至急」 この頃、王萌は長楽少府、王吉は沛国の相という要職にあった。いかに養子とはいえ、勝手に親元に帰るわけにはいかない。書状には、相談したい事があるので、何か理由を探して急ぎ帰る様したためられていた。 「父上から書状?」 「はい。こちらです」 「ふむ、何用であろうか…」 「なるほどな…分かった。しばし待て。すぐに返事をしたためる」
111: 左平(仮名) 2004/02/09(月) 00:15 しばらく後−王甫邸に、王萌・王吉、二人の姿があった。ともに、王甫が呼んだ理由までは分かっていない。 「二人ともよく来てくれた。実はな、話というのは…」 「何と!」 これには二人とも驚くしかない。とはいえ、この謀の成否は自分達の生存に関わってくる。慎重に考えねばならない。 「中華の歴史は長い。その中では、こういった事もままあったはず。そうだな?」 「はい」 「今話した様に、宋氏が皇后のままでは、我らの身が危うい。位を廃さねばならぬが…どの様にすれば良いかな?」 「そうですね…」 先に口を開いたのは、王吉の方であった。王吉については、史書に伝があり(酷吏列伝)、幼い頃から読書を好んだと記されているから、そういった先例もすぐに思い浮かんだのであろう。 「漢朝に限ってみても、皇后が廃されたというのは何回かあります。その例に倣うのがよろしいでしょう」 「ふむ。で、どの様な経緯でそうなったのかな?申してみよ」 「皆、皇帝おん自らの意思で廃位されているわけですが…さすがに、寵愛しなくなったから、とはしておりません。実際にはそれが理由であったとしても。故あって外戚どもを打倒し、その係累という事で廃するとか、巫蠱【ふこ。巫女にまじないをさせ、人に呪いをかける】・祝詛【しゅうそ。巫祝を用い、人に呪いをかける】を行った故に廃するとか、そういう理由をつけておりますね」 「なるほどな…」 「今、宋氏が外戚になっておりますが…彼らにはさほどの勢力はございませんから、陛下もわざわざ打倒しようとはお考えにならないでしょう。ここは、巫蠱を行ったという事にするのがよろしいかと」 「そうだな。寵愛されない皇后が焦燥の余り巫蠱の術に頼った…有り得ん事も無いしな」 「ただ…皇后は後宮におわしますから…その証拠を、となると…」 「それは、わしが考える。なに、そのあたりの事は、心得ておるわ」 ひとたび結論が出ると、王甫の動きは早かった。 この謀を為すには、少なからぬ協力者が必要である。王甫にとって幸いなのは、後宮には、皇帝の寵愛を受け、自身の、そして一族の立身を図ろうという女達が溢れかえっているという事である。 彼女達にとっては、その頂点に君臨する皇后が失脚した方が望ましい。競争相手は少ない方がいいし、何より、最高位の皇后の座に座れる可能性も出てくるのだから。 「分かりました。で、何をすればよろしいのですか?」 「なに、大した事ではございません。陛下の夜伽をする際に、それとなく皇后陛下の事を謗って頂ければよろしいのです」 「何だ。そんな事、いつもやってるわよ」 涼しい顔をしてそう返事する者までいる。 (これなら、存外容易に事が進むな…しかし、女は恐ろしいものだな) 若くして宦官となり、長年後宮にいる王甫ではあったが、あらためてそう思った。 「陛下に申し上げます」 王甫が太中大夫の程阿(太中大夫の定員は不定につき、彼と段ケイ【ヒ+火+頁】は同時にこの官職にあった可能性がある)と共に、皇后が左道【さどう。邪道】祝詛をしていると上奏したのは、それからしばらくしてからの事であった。 前漢武帝の治世の末期、巫蠱の疑いにより、公主【こうしゅ。天子の娘】・駙馬【ふば。天子の娘婿】とその子供達、さらには皇太子とその子供達までもが命を落とすという悲劇があった。それ自体は全くの冤罪だったのだが、ひとたびその疑いをかけられただけで、皇帝の血縁者であってもその罪は死に値したというのであるから、赤の他人である皇后となれば、その末路は言うまでもなかろう。 光和元(178)年十月、宋皇后は廃位され、一族はことごとく誅殺された。廃された皇后自身は暴室に送られ、ほどなく憂いの為に亡くなったという。隠密裏に殺害されたと考えても良いだろう。 かつて自分の正婦であった宋氏の死に対し、皇帝が何か語ったという記録は残っていない。 こうして、王甫は自らの憂いとなる宋氏を滅ぼした。皇后を廃位させる程の実力を持っているのであるから、もはや王甫に敵なしかというところであったが…そうはいかなかった。
112:左平(仮名) 2004/02/22(日) 21:29 五十六、 今回の皇后廃位は、皇帝は自分の意思によると思っているであろうが、王甫の差し金によるという事は公然の事実であった。それは、王甫の実力を知らしめる事になる一方で、敵を増やす事にもつながった。なにしろ、彼だけではなく、養子の王萌・王吉もまた、要職にあって権勢を振るう一方で、あちこちに敵をつくっていたのであるから。 史書によると、二十歳そこそこで沛国の相となった王吉は、性残忍であり、在任期間五年でおよそ一万余りの人を殺したという。沛は漢高祖・劉邦の故郷にして大国であったから、人口も多くそれだけ犯罪も多かったろうが、この数は異常である。当然、多くの無辜の民が殺戮されたであろうから、それだけ人々の恨みを買っていたはずである。 (党錮といい、皇后廃位といい、萌・吉の振る舞い様といい…どうもわしが矢面に立つ格好になっておるな。備えをしておかんと) そう考えた王甫は、皇帝に働きかけ、段ケイ【ヒ+火+頁】を太尉にした。段ケイ【ヒ+火+頁】は、前述の様に数年前にも太尉になっていた時期があるのだが、在任期間十ヶ月(熹平二【173】年三月に就任し同年十二月に罷免)で退任しているから、久々の復職であった。 太尉といえば三公の一つにして、軍事を司る官職。歴戦の勇将たる段ケイ【ヒ+火+頁】が三公の高位にいるというだけで、反王甫勢力には相当な威圧をもたらすはずであるし、何より、太尉に無断で軍を動かす事は至難の業。王甫自身は後宮におり、皇帝の近くに侍っているから、そうそう手が出せない。まずは一安心である。 もちろん、段ケイ【ヒ+火+頁】には、そんな王甫の思惑など知った事ではない。自らの任を全うするだけである。 (わしももはや従心【七十歳】を過ぎた。これが最後のご奉公となろうな) 知らせを受けた段ケイ【ヒ+火+頁】は、しみじみとそう思った。今宵の酒は、普段以上に胃に沁みる様な気がする。 (不思議なものだ。「三明」と呼ばれていた中で、最も恵まれなかったわしが最も立身するのだからな…) 「(涼州)三明」と並び称された三名のうち、皇甫規は、これより先、熹平三(174)年に七十一歳で亡くなっていた。また、張奐は未だ存命とはいえ、既に失脚して家に篭もっている。当時七十六歳。政治的にはもはや過去の人となっていた。 (力量をみる限りでは、あの二人よりわしが特にまさっているというわけでもなかろう。となると、運か。分からんものだな…) 段ケイ【ヒ+火+頁】の思いはともかく、この知らせは、董卓達には祝うべきものであった事は言うまでも無い。 彼は、涼州の英雄にして、尊敬すべき先達であるし、何より、董卓にとっては、かつて推挙してもらった恩人でもあった。それに、同郷の人が高位にあるとなれば、自らの立身を図る上でも何かと都合が良い。いい事ずくめなのである。 「義父上、お聞きになりましたか。このたび、段公が太尉になられたとか」 そういう事情を理解しているだけに、牛輔の声も自然に明るくなる。 「あぁ、聞いておるよ。我らにとっては、めでたい事だからな」 「まことにそうですな」 「そうそう、伯扶よ。鈞の様子はどうかな?」 「それでしたら、もう至って健やかでございますよ。もう自分で立ち上がる事もできます」 「ほほう。白ももう自分で立てる様になっておるからな。いや何より。先が楽しみだな」 「はい。必ずや、義父上の様な勇敢な武人に育ててみせますよ」 「そうだな。勝や、いずれ産まれるであろうその子達のよき補佐役になってもらわんとな」 「そうですね」 時に、光和二(179)年三月。うららかな、春の日のひとこまであった。しかし、都・洛陽において、秘密裏にある謀議が為されていたのに気付く者は、まだなかった。謀議に加わっている数名を除いては。
113:左平(仮名) 2004/02/22(日) 21:31 「党錮以来、宦官どもの横暴には目に余るものがある。これ以上黙ってみておるわけにはいかん」 とある邸宅の一室で、数人の男達が集まっていた。党錮の禁以来、表立って宦官批判の言論を述べるのは極めて困難になっているが、通常の人付き合いまで完全に排除できるものではない。彼らは、何かに事寄せては会合を持ち、宦官勢力打倒の計画を練っていたのである。 「まことに。最近では、その養子達までもが悪逆な振る舞いを為し、民を苦しめておるというではないか」 「そうだ。孝順皇帝以来、連中は養子をとる事でその爵位・食邑を継承しておる。曹常侍(曹操の養祖父・曹騰の事)は孝順皇帝の擁立並びに多くの人材を推挙したという功の故、まだ良いとしても、王甫・曹節の如き功無き輩までもがその恩典に浴しておるという有様だ。このままでは、漢朝は連中によってぼろぼろにされてしまうぞ」 「うむ。あの連中ならば、簒奪さえもやりかねん。あやつらは、奸智のみは王莽並みだからな」 「君側の奸か。ならば、除くしかない」 「さよう。陛下がその事にお気づきにならぬ以上、我らの手で何とかするしかあるまい」 「その通りだ。しかし…問題は、いかにして連中を討つかという事だ」 「そうだな。なにしろ、あの段紀明が太尉に任ぜられておるから、軍を動かすのは至難の業」 「何より、宦官どもは後宮におり、下手に刃を向けると、逆臣呼ばわりされる」 「いかがいたしたものか…」 威勢は良いものの、いざ実行の手段となると、とんと案が出ないという有様であった。 「そこで、わしの出番というわけだな」 沈んだ雰囲気の中、そう発言したのは、当時司隷校尉【首都圏の警察権を持つ官職】の任にあった陽球であった。 陽球、字は方正。幽州・漁陽郡の名門の家に生まれた彼は、「好申韓之学【申不害・韓非−ともに法家の思想家として知られる−の学問を好んだ】」という。修身・立身の為、儒教思想の経典を学ぶのが常道とされていた当時としては、やや珍しい経歴を持つ人物と言えよう。 士大夫の一人として宦官勢力と戦ったにもかかわらず、その伝が「酷吏列伝」に記されているというのは、若い頃人を殺めたという事・後述するその嗜虐性もさる事ながら、その経歴も影響しているのかも知れない。 「なるほど、司隷校尉殿であれば、罪状を暴き立てて逮捕する事もできますな」 「となれば…あとは、王甫とその一党の罪状が分かれば良いのだが…」 「確かにそれは必要だ。しかし、それだけでは足りぬ」 「足りぬとは?」 「いかに確かな罪状を暴き立てても、王甫が陛下のそばにいては、すぐに握り潰されてしまうであろう。それでは、何にもならぬ」 「確かに」 「王甫が不在の折を狙うしかない」 「不在の折…そうか!あやつの休沐日に奏上すれば…で、その後は…」 「そういう事だ。なに、あやつらの事だ。叩けば埃などいくらでも出てくるわ。わしから直接奏上すると何だから、京兆尹【長安地域の長官】の楊文先(楊彪。『四知』という言葉で知られる楊震の曾孫)殿からの報告という事にしてもらえば良い。最近聞いた話だが、連中、あのあたりで何かやらかしたらしいからな」 「それがよろしいな」 「では、王甫めの休沐日を期して、動くぞ。良いな」 「分かり申した」
114:左平(仮名) 2004/03/07(日) 23:16 五十七、 四月。朔に日食があった。 日食は、往々にして不吉な前兆とされるが、もうこの頃になると、少々の怪異などは珍しくもないという感さえある。何しろ、先月も京兆で地震があったばかりなのだから。 ただ、それを、いささか違う思いで見上げる者達がいた。陽球達である。 「あれを見よ。一度は日が消えてしまうが、また再び現れてくる様を。これは吉兆ぞ。我らの働きによって、宦官という闇を除き、漢朝に光を呼び戻すのだ」 先に話し合われた謀を実行する時が、近づきつつあった。 「どうだ?」 「まだ動きはない。…んっ?あの車…。間違いない、王甫のものだ」 「そうか。どちらに向かった?」 「邸宅の方だ」 「そうか…。間違いない。休沐だな」 「と、なれば…」 「あぁ。明日こそが…」 「おっと。それはこれからの話だ。急ぎ、方正殿にお知らせしろ」 「分かってるよ。じゃ、また後でな」 車中の王甫は、そんな事など気付くはずもない。久方ぶりの休沐をどう過ごすか、それで頭が一杯になっていたのである。 「あぁ、全く…。それにしても、四月になったばかりだと言うに、暑くなったものよのぉ。行水でもするかな」 手で顔を扇ぎながら、そんな事を呟いていた。 「そうか、王甫めは休沐に入ったか」 「はい。車が確かに邸宅に向かって行きました。間違いなく、休沐に入ったものと思われます」 機は熟した。今こそ決起の時である。恐れる事はない。大義はこちらにある。 「行くぞ、支度をせよ。上奏するとともに、直ちに王甫どもの捕縛にかかる。遮る者があれば、殺しても構わぬ。良いな」 「はっ!」 (王甫よ。これで貴様も終わりだ。せいぜい今のうちに休沐を楽しむのだな) そう思うと、思わず陽球の口元が緩んだ。 王甫邸− 「ご主人はご在宅かな?」 「はて、どちら様でしょうか?本日、面会なさる方がおられるとはうかがっておりませんが」 「予定などあるはずもなかろう。…司隷校尉の陽方正である!おとなしく致せ!」 「はっ?一体何事…」 「どけいっ!」 取次ぎの男を荒々しく突き倒すや否や、陽球とその配下はずかずかと王甫邸内に入り込んだ。それは、王甫達の逮捕と同時に、京兆で発覚した、銭七千万にものぼる不正摘発の為の家宅捜索であった。 「なっ、何をなさいますか!それは殿のお気に入りの…」 「やかましいっ!口を挟むな!いい加減にせんと斬るぞ!」 「ひっ!」
115:左平(仮名) 2004/03/07(日) 23:17 「何事だっ!」 あたりの騒々しさを聞いた王甫が姿を現した。いかに宦官とはいえ、さすがに宮中随一の実力者。態度は堂々としたものである。 「あっ、殿!そっ、それが…」 「何がどうしたと言うのだ。落ち着いて説明せい」 「これはこれは、王中常侍殿ではありませんか」 王甫の姿を見つけた陽球は、あえて丁寧な態度をとった。相手の警戒心を緩くする為である。 「何だ、陽球。この騒ぎは」 「それがですね。京兆尹殿から、とある事件の摘発があったのですよ」 「事件?そんなもの、わしは知らんぞ」 「そんなはずはないでしょう。これは、あなたの門生がやった事なのですから。なにしろ七千万という大金が絡んでおりますからねぇ…」 「何が言いたい?」 「者ども!こやつがこの件の首魁である!引っ捕らえろ!」 「なっ!?」 王甫が口を挟む間もなく、彼は屈強な男達によって取り押さえられた。腕力では劣るとはいえ、相当に抵抗したから、髪も衣服もぼろぼろになってしまった。 「ええいっ、放さんかっ!わしをどうするつもりだ!」 「どうもこうもないわっ!官の財物を横領した容疑で取り調べるまでの事!引っ立ていっ!」 王甫はなおも陽球を罵りつつ、引き立てられていった。 「さて、次は…王萌・王吉、それに…」 そう言いかけたところで、陽球は口をつぐんだ。 「それに…誰を捕えるのですか?」 「ちと気が重いが…太尉の段紀明だ」 「段太尉を、ですか?しかし、太尉はこの件には関与しておりませんが…」 「そんな事は承知しておる。だがな、段紀明は王甫との関係が深い。数年前には、宦官どもの意を受けて学生達を弾圧したではないか。放っておいては、我らが危うくなるのだ」 「しかし…」 「しかしも何もない!とっとと行かんか!」 「はっ!」 (なるほど、確かに対羌戦の勇将ではある…むざむざ消し去るには惜しい存在ではある…だが、こうするより他ないのだ。俺は間違ってはおらんぞ!) びっくりした部下が駆けていくのをみながら、陽球は、自分にそう言い聞かせていた。
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小説 『牛氏』 第一部 http://gukko.net/i0ch/test/read.cgi/sangoku/1041348695/l50