小説 『牛氏』 第一部
108:左平(仮名) 2004/01/25(日) 23:22
五十四、

厄介な事態になった、というのは、こういう事である。

劉カイ【小+里】の事件が起こる前の年−建寧四(171)年−の七月に、皇帝の元服をうけて皇后が立てられていた。
彼女は、当時執金吾の位にあった宋鄷という人物の娘である。宋氏は、前漢の時代まで遡れるという名家であり、曽祖父の世代では、章帝に寵愛された貴人を出している。(彼女がとある事件により自殺を余儀なくされた為に)その皇子・慶は太子の位を廃されたものの、その子の祜が安帝として即位し、安帝・順帝・沖帝と続いている。
沖帝が幼くして崩じ、質帝・桓帝・今上帝(霊帝)と傍系の皇族が立て続けに擁立された為、当時においては宋氏と今上帝との血のつながりはないが、帝室との関係は浅からずある一族でもある。
先の宋氏が自殺を余儀なくされたとはいえ、その孫が皇帝となっているのであるから、皇后が立てられた時点では宋氏に何の問題もなかった事は言うまでもない。王甫(及び宦官勢力)から見ても、それは同じであった(でなければ宋氏の娘が皇后に立てられるはずもない)。
しかし、劉カイ【小+里】の事件があった為、少なくとも王甫にとってはそうもいかなくなったのである。
なにしろ、獄中で死んだ劉カイ【小+里】の后は、新皇后の姑母(父の妹。日本でいう叔母)なのである。一族を半ば殺された形となる宋皇后が、その悲劇の張本人であるのが王甫と知ったらどうなるか。贅言は不要であろう。

劉カイ【小+里】を滅ぼし、溜飲を下げた後になって、王甫はその事に気付いた。
(まずい事になったな…)
一時の怒りに任せた結果、予期せぬ禍根を作ってしまったのであるから、良かろうはずはない。
なにしろ、相手は皇后陛下である。皇后というのは、単に皇帝の正婦というに留まらない。中常侍の彼にとっては、直接の上司にあたる存在でもあるのだ。これは、自らの地位を保つ上でも大問題である。
(さて、どうしたものか)
しばし悩んだであろう事は、想像にかたくない。この時点では、彼には二つの選択肢があったと言える。
一つは、それこそ皇后の手足として忠実に働き、(姑母の死にかかわりがあると知られても)そうそう容易には排除できない様な重宝される存在になる事。もう一つは、策謀を弄して皇后を失脚させ、自分にとっての危険な芽を摘み取る事である。
もし前者をとる事ができていれば、宮中は、もう少し平穏な日々であったのだろうが…。王甫の、のみならず霊帝の人となりを考えると、それは所詮無理な相談というものなのかも知れない。

というのは、宋皇后の立場は、存外危ういものだったからである。
皇后が立てられた建寧四(171)年時点で、皇帝は数え十五歳。その正婦である宋氏は、おおよそ同年代であったろう。この世代の少年からみると、同年代の少女というのはまだ(性的魅力という点において)物足りなく思う事がままあるもの。ましてや、皇帝ともなると、後宮には全国から選りすぐった美女が溢れかえっているのである。
これで皇后に目を向けようとなると、皇后が絶世の美女(この時点では美少女か)であるとか皇帝に相当の自制心がある事が必要であるが…崩じた後、『霊』という諡号(最悪とまではいかないが、かなり悪い部類の諡号)をつけられる様な人物にそれを望む事は、ほぼ不可能というものであった。
それに、皇帝は、十二歳で即位するまでは貧しい辺境の一諸侯に過ぎなかった。史書に「扶風平陵人」とある事から、少なくとも当時の首都圏の出身であると確認でき、なおかつ名家の出である皇后とは、いま一つそりが合わなかったとしても不思議ではない。
その為、彼女は寵無くして正位(皇后の位)に居るという状態にあった。寵愛されない皇后が、やがて寵姫にとって代わられるという事はままあるから、現時点で、その地位が磐石のものであるとは到底言えないのである。
1-AA