小説 『牛氏』 第一部
116:左平(仮名) 2004/03/21(日) 22:44
五十八、

段ケイ【ヒ+火+頁】邸に陽球とその配下達が姿を見せたのは、それから間もなくの事であった。

「何事かな?この様な大人数で」
表の騒ぎを聞いた段ケイ【ヒ+火+頁】が姿を現した。まだ、何が起こったのかは分かっていない様子である。
「太尉殿でいらっしゃいますね?」
「そうだ」
さすがは、長きにわたって辺境の地で活躍した勇将である。前線に出なくなってから数年が経つとはいえ、王甫とは、まるで貫禄が違う。この威厳を前にした司隷校尉配下の者達の−いや、陽球自身もだが−額に、冷や汗が滲んだ。喉がからからになるのを感じつつ、陽球はようやく声を絞り出した。
「ご同行願います」
「なに故に?」
一瞬の沈黙が周囲を支配する。確かに、今回彼を逮捕する様な容疑はないのである。
「…太尉殿。貴殿は、王中常侍と親しゅうございますね」
「確かに、王中常侍とは親しく付き合っておるが。それがどうかしたのか?」
「このたび、京兆において大きな事件がありましてね。それに、王中常侍、いや、王甫が関与しておったのですよ」
「ほう。しかし、それがわしと何か関係があるのかな?わしは、その様な事には一切関わってはおらんが」
「そういう問題ではございません!貴殿は、王甫の一党を倒す際の障害なのですからな!ここにおられてはこちらが困るのですよ!」
「わしのどこが障害になるというのだ?捜査を妨害するとでも言うのか?」
「その存在自体が!…むっ、ここでぐだぐだ言ってても仕方がないっ!者ども!引っ立ていっ!」
「そう大声を出すでない。何の事か分からんが、わしがおると捜索するのに不都合だというのなら、同行しよう。それで良いのだな?」
「…では、ご同行願おう」
「うむ」
「殿!」
連行される段ケイ【ヒ+火+頁】をみて、邸内の家人達が叫んだ。これからどうなるのか、その顔には不安の色が浮かぶ。もし主人に万一の事があれば…。それは、自分達にとっても死活問題なのである。
「そう心配するでない。そなた達はここで待っておれ」
周囲の者達の声が皆上ずっている中、ひとり彼の声だけは冷静さを保っていた。
(こやつがわしをどうするつもりかは分からんが、この様な事で取り乱す段紀明ではないぞ)
武人たる者、何があっても冷静さを失ってはならない。その矜持が、彼を支えていた。

その時、段ケイ【ヒ+火+頁】の姿が遠ざかるのをみた家人の数人が、あちこちに走り始めていたのに気付く者は無かった。
(急ぎお知らせしないと…このままでは殿が…!)
主・段ケイ【ヒ+火+頁】の危難を救うには、かつて主が推挙した者達の助力を乞うしかない。誰が命ずるでもなく、彼らはそう考え、行動を起こしたのである。たとえ主がそれを望まぬとしても、主に仕える者として、手を拱いている事はできなかった。
西へ、東へ、北へ、南へ。彼らは、一心不乱に走り続けた。
1-AA