小説 『牛氏』 第一部
123:左平(仮名) 2004/05/24(月) 00:03
「誰かおらぬか!直ちに参内するぞ!」
「はっ!」
大急ぎで車が用意され、董旻は、とるものもとりあえず乗り込んだ。翌日になるのを待ってなどおれない。日没前に宮中に入らなければならないのである。
(この様な状況において、何を為せばよいか…)
宮中に向かう車中にあって、董旻はしばし目を閉じ、考え込んだ。この様な重大事において、兄の意思を待たずに判断を下すのは、ほとんど初めてなのである。
彼自身、段公が捕えられたという知らせに動転している。このまま参内したのではうまくものが言えないであろう。何としても、それまでに心を落ち着かせなければならないのである。
(兄上ならば…どうなさるであろうか…)
兄・董卓の顔が頭に浮かんだ。その立場に立って考えてみると、どうであろうか。
(そなた、何をぐずぐず考えておる。そなたはわしの弟であろう。わしの性分が分からぬのか?考えるまでもないではないか)
そう言っている様な気がした。そうだ、答えは一つしかない。
兄ならば、自分のあらん限りの力を振り絞って段公を救解しようとするであろう。たとえ、その為に身の破滅を招くとしても悔いる事はないはずだ。
(段公なくして、今の我らはなかった。その大恩を思えば…。そうですね、兄上)
心の中でそういう結論が出ると、幾分肚が据わってきた。あとは、全力を尽くして救解に努めるまでである。

宮中に着いた。普段であれば、どこかしら気圧されるところであるが、今日は違う。そんな状況ではない。
「至急、お取り次ぎ願いたい」
そう言う声ひとつとってみても、その違いが分かる。ややせわしない感じはするものの、普段の、おどおどとした感じは微塵もない。
「叔穎殿、いかがなされた。またえらく急いでおられる様だが」
「話は後だ。とにかく、急いでくだされ!」
「はっ?はぁ…まぁ、分かりました…。しばし、お待ちを…」
(段公、しばしのご辛抱を。涼州の者は皆、あなたの味方ですぞ)
この時、既に段ケイ【ヒ+火+頁】が壮絶な最期を遂げていた事を、董旻は知る由もなかった。


一方、董旻が兄に向けて送った使者もまた、精一杯に急いでいた。
董氏に仕える者であれば、いや、涼州に生まれ育った者であれば、たとえ敵対する者であろうとも、段公に対し篤い敬意を持っている。その人の危機を、黙って見過ごす事はできない。使者には、強い使命感があった。
「急げ、急げ!なにをもたもたしておるか!急ぐのだ!」
御するは家中随一の乗り手、馬もまた家中随一の駿馬である。しかし、それでもなお遅く感じられてならなかった。この様な状況におかれてなお斉の景公を哂う者は、まずおるまい。
(ああ、あの鳥の様に翼があれば…いやいや、そんな事を考えている場合ではない!)
気ばかりが先走るのを辛うじてこらえながら、使者はまっすぐに董卓のもとに向かっていった。
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