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小説 『牛氏』 第一部
134:左平(仮名) 2005/07/19(火) 23:42 六十七、 「殿?いかがなさいましたか?」 「ん?」 「この者の仕留めた獲物はいかがでしょうか?」 「おぉ、なかなかやるではないか。褒めてつかわすぞ。わしも負けてはおられぬな」 「いやいや、殿の仕留められた獲物も大物ばかりではございませんか」 「なになに。このくらい、いつでも仕留めてみせるぞ」 (…おっと、いかんいかん。このわしとしたことが) この様な楽しむべき場でしんみりとしてしまうとは何事か。わしらしくもない。董卓は、自らにそう言い聞かせた。 しかし、ひとたび段公に想いが向くと、なかなかそこから抜け出せなくなるのもまた事実。 いかに段公の自死が衝撃的な出来事であったとはいえ、こんなにも尾を引く事は今までにはなかっただけに、戸惑いを禁じ得ない。 半ば無理やりに笑みを浮かべ、何とかその場はしのいだ。せっかく家人達が一生懸命に自分を気遣ってくれているのに、それを無駄にはできないのである。しかし、気分はいっこうに良くならない。いや、かえって前より悪くなってしまったかも知れない。 (一体どうしたものか…) 何とか、自力でこの状態から脱しなければならない。しかし… −この時董卓は、今でいう鬱病にかかっていた様である。それも、気力が著しく減退し、肉体にも具体的な変化が現れるほどの重症であった。 現在では、鬱病の治療法は第一に休養をとる事とされており(投薬等の具体的な治療は休養の後に行う。現在では有効な薬剤もあるというから、適切な診察を受ければ回復は可能)、また、下手な励ましや気晴らしは逆効果になりかねないとして避けるというから、この時周囲がとった行動は、その想いとは裏腹に、最悪のものだったと言えるのである。− もちろん、その様な事など、誰も知る由もなかった。 この狩りで、いくらかでも気が晴れて心身とも壮健さを取り戻してくださる…。そう信じてやまなかったのである。 「よし、では、そろそろ帰るぞ」 「はっ!」 董卓の合図をうけ、皆、意気揚々と帰途についた。ただ一人、董卓を除いては。 何も慌てる必要はないが、多くの獲物を得たことを早く知らしめたかったのか、その足は、驚くほど速かった。
135:左平(仮名) 2005/07/19(火) 23:44 「ただいま戻りましたぞ!」 「おぉ、意外と早かったですな。で、成果はいかほどで?」 「まぁ、これを御覧くだされ!」 「ほぅ、これはまた見事なもんだ」 「でしょ?ささ、はやく宴の支度を。今宵はぱぁ−っといきましょうよ、ね、殿」 「んっ?!ん、そうだな…」 「分かりました!では、早速。酒も用意しませんとな。久々に、賑やかにいきましょうか」 主も了承済みとなれば、話が早い。狩りに随行していた者達までもが、一斉に邸内に駆け込み、支度にとりかかる。 (おいおい、こりゃまたえらい早業だな…) 主の董卓が半ば呆れつつ見守る中、誰が指示するでもなく、てきぱきと宴の支度が整えられていった。 老若男女を問わず、皆、目が回るほどの忙しさである。しかし、楽しげであった。なにしろ、久々の宴なのだ。 まず、家人達が総出で獲物を解体する。小さい獲物であれば子供でも何とかなるが、大物だとなかなかそうもいかない。どうしても大人数人が仮になる。 「よ−し、じゃ、さばくぞ。え−と、このあたりかな…」 家人の一人が、恐る恐る刃先を獲物の皮にあてがう。 「おい、何やってんだよ。そんなところからやったら骨に当たって刃こぼれしちまうぞ。おれに代われ」 「え〜。おまえ、そう言っていいとこ持ってこうってんじゃねぇのか?」 「何言ってんだ。肉を切るのはおれでも、仕分けられるのは殿だそ。ね、殿」 「まぁな」 「なっ。殿もああおっしゃってるんだし。おれに任せとけって」 「しょうがねぇな。代わってやるよ。ちゃんと切れよ。変に切ったら、あとが面倒だからな」 「よ〜し、それじゃ。…おっと、炭を用意しとけよ。生肉ばっかりじゃ何だからな」 「分かってるって。そのへんは抜かりなく整えてるよ。羹もこしらえときたいしな」 「おっと。そう言ってて塩忘れてたってのはなしだぞ。こないだみたいな目にあっちゃかなわんからな」 「へへ、やけによく覚えてやがるな。いつの話だよ」 「当たり前だ。塩気なしの羹なんざ、まずいことこの上ねぇからな」 「ありゃたまたまだ。殿も召し上がるってのにそんなへまはしねぇよ」 「言いやがったな。今日は抜かるなよ」 「分かってるって」 「あと、臭みをとるのも忘れんなよ。血の臭みが残ったままじゃまずいからな」 主の気風を受けてか、皆、闊達に動き回っている。生きていることを、精一杯享受している様である。 (段公…) またしても、段ケイ【ヒ+火+頁】に想いが及んだ。なかなか、おさまってくれそうにない。
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