小説 『牛氏』 第一部
27:左平(仮名)2003/03/16(日) 21:39
董氏の別邸に移るという事は、何を意味するか。それくらいは、別段深く考えずとも分かる。姓は牛のままであるにしても、事実上、董氏の人間になるという事だ。
父は返事をしなかったと言う。結論を出すのを自分達に任せたという事だが、本心ではどうお考えなのだろうか。私の事をどう思っておられるのか。そのあたりの事を考えると、気持ちがもやもやする。こんな事なら、父から答えてもらい、「こういう事になった」と結果だけ告げらける方が気楽である。
(それなら、義父上がおっしゃる様に董氏の別邸に移った方が良いか…)
移ったなら移ったで、その前途は、決して楽なものではあるまい。しかし、このままもやもやとした日々を過ごすよりはましであろう。
冷静を装ってはいるが、心のどこかで投げやりになっているのが分かる。だが、ひとたび気持ちがそうなってしまった以上、自分ではどうにもならない。
(やはり、輔の心中に疑念が生じているか…。このままでは、いかなる結論を出すにせよ、輔にとってはよろしくないな。なれば…)
省29
28:左平(仮名)2003/03/23(日) 21:59
十四、

「あなた。もう遅いですよ。そろそろお休みにならないと」
既に寝支度を整えた姜が、床の中から心配そうに言う。いつもならば、寝支度が整ったとなると、飛びつく様に床に入り、自分を抱きしめるというのに。父が言い出した事で、夫が悩み苦しんでいるのであろうか。だとすれば、やりきれない。
「やはり、迷われているのですね」
「ん?」
省32
29:左平(仮名)2003/03/23(日) 22:02
「姜。何か分かった様な気がするよ」
「何か、って何ですか?」
「まぁ、それはまたゆっくり話すよ。…明日からは、引越しの支度で何かと忙しくなるぞ」
「では、董氏の別邸に移られるのですね」
「あぁ。この部屋でそなたを抱くのも、もうあと少しだ」
そう言うが早いが、姜に抱きついた。
省43
30:左平(仮名)2003/03/30(日) 21:37
十五、

その日から、引越しの作業が始まった。牛氏にとっては、かつて羌族の叛乱の際に避難した時以来の、大規模な引越しであった。
なにしろ、姜を迎える際に持ち込まれた家財道具に加え、牛輔の身の回りの品、さらに、夫婦と共に移る家人達の持ち物もあるのだ。仕分けをし、車に積み込むだけでも一仕事である。

「これはこっち!それはあっちだ!それは…って、こりゃ持ってくもんじゃねぇだろうが!」
省35
31:左平(仮名)2003/03/30(日) 21:39
とはいえ、ここでは間違いなく、彼は一家の主である。若い家人達の指揮をとり、家内を治めるのは、なかなか大変な仕事である。
(父上には、しばし思い留まって頂いて正解だったな)
ちと情けないが、これで跡目を継いでいた日には、体がもたなかったかも知れない。
(とにかく、早く慣れないと…)
いずれ、自分が跡目を継ぐのである。のんびりしてはいられない。それに、いずれ出仕するとなれば、学問や礼儀、それに武芸も身に付けておかなければならない。

省42
32:左平(仮名)2003/04/06(日) 21:16
十六、

その知らせは、ほどなく董卓のもとにも届けられた。まぎれもない吉報である。
「なに?姜が懐妊したとな?」
「はい。あと六、七ヶ月ほどでお産まれになるとの事です」
「そうか。来年には孫の顔を見られるか。伯扶め、真面目そうな顔をして、なかなかやりよるな」
省40
33:左平(仮名)2003/04/06(日) 21:18
「季節は秋。そろそろ、羌族など遊牧の民が暴れだす頃だ。それは、そなたも知っておろう」
「はい」
羌族については、彼自身もよく分かっているつもりである。収穫の時期を狙って蜂起するという事は十分に考えられる。
「今の羌族には、鮮卑の檀石槐の様な大物はおらぬ。それゆえ、この地では、孝安皇帝や孝順皇帝の御世に起こった様な大乱は、そうそうあるまい。だが、彼らの叛乱は止まぬ」
「…」
その様に言われると、牛輔としては、黙り込むしかなかった。果てなく続く戦いという事か。そんな中で、自分は一体どう振る舞えば良いのだろうか。
省20
34:左平(仮名)2003/04/13(日) 20:09
十七、

出立の日が来た。
真新しい戎衣(軍服)に身を包んだ牛輔の姿は、多少のぎこちなさを残してはいたものの、それなりに凛々しいものであった。
「あなた、行ってらっしゃい」
「あぁ。行って来るよ」
省40
35:左平(仮名)2003/04/13(日) 20:12
「こいつらは、目が良い。それに、一人で戦うほど無謀ではないし、逃げ出すほどの腰抜けではない。それではいかんか?」
「いえ、そうではなくて…。彼らは、体格といい、経験といい、てんでばらばらではございませんか。それでは、報告にぶれが生じるのではありませんか?」
「ふむ。そなたの言う事にも、一理ある。だが、わしにはわしの理がある」
「そうですね。よろしかったら、教えて下さいませんか?」
「そうだな。後学の為にも、話しておこうか」

省36
36:左平(仮名)2003/04/20(日) 20:27
十八、

部隊は、戦いの地に近付きつつあった。既に、吹く風は冷たくなりつつある。冬が近いのである。
果てしなく広がる平原にあるのは、ただ、僅かな灌木と枯草ばかり。いかにも、荒涼とした風景である。
(なにゆえ、羌族の叛乱は止まぬのか)
よくは分からないが、この風景に、その答えがある様に思われる。
省31
1-AA