小説 『牛氏』 第一部
52:左平(仮名)2003/06/08(日) 22:22
二十六、

当時の中国人は、宇宙の構造を「天は円(まる)く地は方形」であると捉えていた。半球状の天が、方形の地に覆い被さる形とみていたのである。この様な考え方を「蓋天説」という。実際、地から天を眺めると、巨大なド−ムの中にいる様な感じがしないではない(そう思えるのは、現代の我々が地球は丸いという事を知っているがゆえの事かも知れないが、実のところはどうであろうか。円屋根の建物もあったらしいので、一概には言えない)。
後には、より精緻な「渾天説」が登場するが、一般的には、なお「蓋天説」が信じられていた。
牛輔が長子につけた「蓋」という名には、その様な大きな意味が込められていたのである。
ただ、董卓が満足げにうなづいたのは、それとはいささか異なるところにあった。彼が反応したのは、「天蓋」の「天」というところに対してである。


「天」−。それは、単に天空のみを示すのではない。
そもそもは、人の頭頂部を示す(『脳天』などがそう)この言葉は、やがて、原義とは全く異なる意味を持つに至った。

「天」に、原義と異なる意味を与えたのは、周王朝であったと考えられている。
国家にしろ、会社にしろ、いかなる組織も、その存立の基となるのは、その組織が存在する理由、即ち「正当性(レジティマシ−)」の存在である。
当時、周が打倒しようとしていた商(殷)王朝には、「帝」という、強力な正当性の根拠があった。商王の権威は、無形の神である「帝」によって正当づけられていた為、他の勢力が打倒しようとしても、できなかったのである(形のないものは破壊できない。その為、たとえ商王を殺したとしても、商王朝の正当性を破壊し否定する事ができず、真の意味で滅ぼす事ができない。そう考えられた)。
そこで周は、「帝」に対抗できる概念として、「天」を持ち出した。

「天」に与えられた新たな意味。それは、多分に唯一神としての性格を持つものであった。ただ、いわゆる一神教と異なるのは、全ての人の為のものではなく、また、人々の運命に対して直接の影響を与えるというわけではないというところである。
それは、帝王一人の為のものであった。
天は、徳のある人に天命を授け、天下に君臨させる。帝王のことを「天子」ともいうのは、その為である。天命は、周にあって商にはない。周は、そう喧伝する事によって、正当性において商を圧倒し、ついに滅ぼすに至ったのである。

ただ、「天」の思想は、いわば諸刃の剣であった。というのも、帝王に徳がなくなった、少なくともそうみなされた場合、とって替わる事が(その成立の経緯上)可能となるからである(「革命」という言葉は、正確には「易姓革命」。「姓を易【か】え天命を革【あらた】める」という意味)。
それゆえ、天を祀る事は、帝王のみがなしうる事とされた。他の人間が「天」についてふれる事は、本来、あってはならない事なのである。

普通の人であれば、「天」についてふれる事は恐れ多いと考え、あえて意識の外に置くところであろう。だが、董卓はそうではない。
この時点では、まだ漢朝に対して叛旗を翻そうという気はないが、尊崇しようという気も薄い。それゆえ、天という概念に対しても、何ら臆する事はなかったのである。


赤子が産まれて三月の後、家廟にこの事を告げる儀礼が行われた。赤子が正式に家族の一員となるのはこの時であるとされる。「蓋」という名も、正式にはここからのものである。
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