小説 『牛氏』 第一部
75:左平(仮名)2003/08/24(日) 21:59AAS
「殿。お話があるのですが」
気がつくと、賈ク【言+羽】が牛輔の前に座っていた。
「あれっ? そなた、いつの間に?」
「いつの間にって…。何度も咳払いを致しましたよ。それに、目も合ったではありませんか」
「そうだったか?」
さっぱり気付かなかった。考え事にすっかり気を取られていた様だ。
「それはすまんかったな。で、話とは何だ?」
「はい。実は、一つお願いがあるのです。いささか身勝手な願いではあるのですが…」
「構わん。話してくれ。ただし、辞めたいとかいうのは困るぞ」
「辞めるなど…。そんな事、つゆほども考えておりませんよ。実はですね…」
別にやましい話というわけでもないのに、なぜか彼の声は小さくなった。

「なにっ? 私と立ち合いたい?」
「はい」
「それは構わんが…なにゆえ私なのだ?立ち合うなら、他にいるではないか?家人では不満か?」
「いえ、家人の方々に不満がとかいうのではありません。ただ、どうしても殿と立ち合わせていただきたいのです」
「どうしても、か」
「はい」
「ふむ…」
牛輔は、自分の技量のほどはよく承知している。武術の腕前については、自分より上の者は掃いて捨てるほどいるからだ。となれば、家人では物足りないからというわけではない。
(いったい、何のつもりだ?)
少しいぶかしく思うが、賈ク【言+羽】のたっての望みである。彼の事を知る、よい機会ではないか。
「分かった。立ち合おう」
「ありがとうございます」
「で、いつ立ち合う?」
「殿のご都合がよろしければ、今すぐにでも」
「そうか。では、庭に出よう。誰かおるか!」
「はっ!殿、いかがなさいましたか」
「おお、盈か。適当な長さの棒を二本持ってきてくれ。文和と武術の立ち合いをする」
「はい」
「文和。棒を使うぞ。よいな」
「はい」

「殿。こんなものでよろしいでしょうか」
「おぉ、そうだな。それでよかろう」
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