小説 『牛氏』 第一部
76:左平(仮名)2003/08/31(日) 20:14
三十八、

二人は、二丈(当時の一丈は約2,3m)ほど離れて向かい合った。
盈が持ってきた棒は、二本とも、おおよそ十尺(当時の一尺は約23p)ほどである。戟・戈など、当時の武器の大きさを考えると、もう少しくらい長くても良いのではあるが、これは実戦ではなく、あくまで立ち合いである。まあこんなものであろう。
実は、二人とも武術には疎い。その構え一つとっても、いっぱしの武人から見れば実に心もとない。傍目には、武術の立ち合いというより、何かの踊りみたいである。
だが、当の二人にとっては、真剣勝負であった。特に、自分から申し出た賈ク【言+羽】にとっては。この立ち合いは、彼には二つの意味があったのである。

一つは、自らの長である、牛輔という人物を知る事である。
(一見したところ、伯扶殿はさして腕が立つ様には見えない。この涼州という地にあっては、それは男としては致命的な欠陥であるはず。しかし、董氏には篤く信頼されている様だ。単に娘婿だからか?いや、それ以外の何かがある。そう思えてならぬ…)
それは、恐らく幾多の言葉を費やしても容易に分かる事ではあるまい。となれば、実際に体ごとぶつかって確かめるしかない。『彼れを知り己を知らば百戦して殆うからず』という。その『知る』という事は、何も敵に対してだけのものではない。
もう一つは、自らの中にあるもやもやを少しでも晴らす事である。
ろくに抵抗もできぬまま賊に捕らえられたというのは、いかにも情けなく、自分の力の無さをつくづく思い知らされる事であった。張済ならば、そういう時、賊を斬り血路を開く事ができたはず。それが、涼州の男というものであろう。
だが、眼前にいる牛輔はどうであろうか。部下の身でありながらこんな事を考えるのは甚だ失礼ではあろうが、『この方になら勝てるのではないか』。そう思える。ならば、この立ち合いで勝ち、少しでも憂さを晴らしておきたい。そうでもしないと、この先ずっと卑屈に生きるしか無い様に思えてならない。
そんな事を考えるほど、彼は、精神的に滅入っていたのである。

もちろん、そんな賈ク【言+羽】の胸中は、牛輔には知りようもない。ただ、受けて立つのみである。
「では!」
「おう、いつでもよいぞ!」
二人の声とともに、立ち合いが開始された。

「やぁ−っ!!」
賈ク【言+羽】は、足を踏み出すと同時に、棒を思いっきり持ち上げ、いわゆる上段の構えをとった。戈を振り下ろす要領である。頭に食らえば、相当の衝撃があるから、一撃で決着がつく。
「それ−っ!!」
全身の力を込めて振り下ろす。これが当たれば、自分の勝ちだ。
「おっとぉ!」
牛輔は、それをさっとかわした。彼の方は、まだ棒を振る態勢にさえ入っていなかった。よけるしかない。
(文和め、なかなか素早いな)
賈ク【言+羽】の攻撃をよけながらも、牛輔は感心していた。長身の割には、彼の動きは敏捷である。それは、他の面々と比べても決して劣ってはおらず、むしろ優っているくらいであろう。単なる文弱の徒というわけでもなさそうだ。さすがに、涼州の男である。
だが、その彼の攻撃を、自分はかわす事ができた。日頃の修練が、少しは効いたのであろうか。
「おりゃ−っ!!」
(おっと、感心してる場合じゃないな。こいつ、もう次の態勢に入っている)
棒を握る手に、思わず力が入る。自分だって、負けたくはない。
(さて、どう攻めたものか。棒を振る速さは、あいつの方が上だし…。ん!)
しばらく攻撃をかわしているうちに、ある事に気付いた。
1-AA