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小説 『牛氏』 第一部
103:左平(仮名)2003/11/30(日) 22:53
「では、話しておこう。まず、そなたの字は『伯陽』だ」
「『伯陽』、ですか?それには、一体どの様な意味があるのでしょうか」
「『伯』という字はそなたも承知しておろう。これには、三つの意味を込めている」
「三つの意味、ですか」
「そうだ。まず、『おさ(長)』という意味。そなたはこの家の大事な跡取りだからな。字にもそれを示しているのだ」
「はい。父上の字もそうなんですよね」
「そうだ、よく分かっているな。そして、もう一つは、『伯夷』だ」
「伯夷というと、弟の叔斉とともに、周の粟を食む事を拒み、ついに餓死したというあの義人ですか」
(父上は、わたしに対し、その様な人物をも意識せよと。そうおっしゃるのか…)
まだ幼い蓋ではあるが、『伯夷』のもつ意味の重さは承知しているつもりである。思わず、背筋が伸びる思いがした。
余談であるが、かの水戸黄門こと徳川光圀は、若い頃は素行が悪かったという。しかし、十八歳の時に『史記』の『伯夷列伝第一』を読んで感動して更生し、名君としてその名を残している。傍目には愚者とも見える伯夷・叔斉の兄弟ではあるが、節義に殉じたその姿勢が、人々の心を打つのであろう。
「あれっ?父上、それでは二つの意味ではないのですか?」
「いや、三つだ。『伯夷』に二つの意味があるからな」
「二つの意味?」
「そうだ。一つは、そなたの申した義人・伯夷。もう一つは、そなたもその血をひく羌族の神・伯夷の事を指すのだ」
「伯夷には、その様な意味もあるのですか」
「そうだ。伯夷は帝舜に仕え、典刑をつくったという」
「これはまた…。父上がそこまで考えておられるとは。そうしてみると、わたしはたいへんな字を持つわけですね」
「確かに、容易な事ではないな。しかし、孟子もおっしゃっているではないか。『王の王たらざるは、是れ枝を折ぐるの類なり(王が王者になっていないのは、目上の人に腰を曲げておじぎをする事のたぐいである。つまり、物理的にできないのではなく、単にする気がないのに過ぎない)』と。大抵の事については、要は、自らの有り様次第なのだ。よいな」
「はい、分かりました。伯夷の如くなれる様、努めてまいります」
「そうだな。是非そうなってもらいたい」
「ところで、『陽』は?」
「『陽』は、天の中心たる太陽にちなんでのものだ。名と字にはそれぞれ関連した字を用いる事となっているからな」
「なるほど」
「さて、鈞の字だが。こちらは『仲泰』だ」
「『仲泰』、これにはどの様な意味が?」
「『仲』は、『なか(二番目、または真ん中)』という意味だ。次男だからな」
「では、『泰』はさしずめ『泰山』の事を指すのですか?」
「よいところに気付いたな。その通りだ。そなたは賢いな」
「父上にそう言われると、何か照れますね」
「五岳(中華を代表する五つの山。東の泰山、西の華山、南の衡山、北の恒山、中央の嵩山)の一つである泰山は、古くから羌族の信仰の対象であったというから、羌族の血をひく鈞の字にふさわしい。それに、まことの帝王のみに許される封禅の儀式が行われるという事を考えると、泰山もまた、地の中心であると考えられるからな。名と字に関連がある、とまぁこういうわけだ」
「なるほど…」
「この字、気に入ったかな?」
「気に入るも何も…。名と同様、素晴らしいとしか言い様がございません」
「では、そなた達が志学(十五歳)になったら、この字を使う事としよう。よいな」
「はい!」
−この後この兄弟は、乱世の中、文字通り激動の生涯を歩む事となる。幾多の苦難の中、彼らの最後のよりどころとなったのは、この、父から賜った名と字、そしてその由来であった−
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