小説 『牛氏』 第一部
105:左平(仮名)2004/01/01(木) 00:15AAS
ことの起こりは、劉カイ【小+里】という人物の素行がよろしくなかった事にあると言えるかも知れない。少々長くなるが、その経緯を記しておく。

劉カイ【小+里】は、先帝(桓帝。諱は志)の弟である。兄の志が、質帝の崩御をうけて帝位に就く(本初元【西暦147】年)と、その翌年、蠡吾侯から一躍渤海王に昇格した。
今上帝の弟という事を考えると、この昇格自体は別段不思議な事ではない。しかし、傍系の皇族として、一県程度の食邑しか持たない貧しい侯であった(しかも、兄がいるのだからその嫡子ですらない)のがいきなり郡規模の食邑を持つ富貴な王になったのである。自由に使える財貨も増えるし、配下の人数も後宮の規模も、格段に大きくなる。彼自身にとっては、望外の喜びであったろう。
しかし、そこに落とし穴があった。
桓帝が即位したのが十五歳の時というから、その弟である彼は、当時、まだ十歳そこそこといったところであったろう。人格を練る事もなく、そんな年でいきなり富貴を得たらどうなるかは、我々の身近にもまま見られるところである。
皇弟というのは、大変な地位である。皇帝である兄に万が一の事があれば、直ちに次の帝位に就くかも知れないのであるし、何より、皇族の模範として、最も忠実な藩屏である事が求められる。何事にも慎重に振る舞い、小心翼翼としておらねばならないのである。しかし、彼にはそうする事はできなかった。

「不逞の輩を集め、酒や音楽にうつつを抜かしている」。延熹八(165)年、彼にかけられた嫌疑は、ごくごく簡単に言うとこういったものであった。単に酒や音楽にうつつを抜かしているというだけなら、王朝にとってさしたる実害はない(皇帝とその直系の子孫以外の皇族については、あまりに優秀であってもまた問題になり得るのである)。しかし、皇弟の邸宅に不逞の輩が出入りしているとなれば、話は別である。彼は罰せられる事になり、オウ【疒+嬰】陶王に降格された。この措置により、収入が大幅に減少したのは、言うまでもない。
場合によっては賜死を余儀なくされたかも知れないのであるし、第一、もともとは一諸侯でしかなかったのである。降格されたとはいっても、なお以前の侯より上の王位にある。元に戻ったくらいに捉える事ができていれば、それで話は済んでいたかも知れない。しかし、一度味わった富貴は、容易に手放せないものらしい。彼は、復位するべく、宮廷内部に働きかけた。
その相手となったのが、時の中常侍・王甫である。彼は、前述の(第二次)党錮の禁にも大きく関わっており、当時、宮中でも一、二を争うほどの実力者であった。その王甫を動かす事ができれば、復位も容易であろう。劉カイ【小+里】は、そう考えた。
「(渤海王に)復位した暁には、謝礼として銭五千万を出そう」
彼は、王甫にそう約束した。ちょっとした仲介で銭五千万の報酬。いかにあちこちから利得を得られる地位にあるとはいえ、これはなかなかに魅力的な話である。王甫がこれを受諾したのは、言うまでもない。

その甲斐あってか、降格の二年後、永康元(167)年に、劉カイ【小+里】は渤海王に復する事ができた。
となれば、当然、劉カイ【小+里】から王甫に銭五千万が渡されるところなのであるが…そうはならなかった。そして、それが事の発端となった。
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