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小説 『牛氏』 第一部
113:左平(仮名) 2004/02/22(日) 21:31 「党錮以来、宦官どもの横暴には目に余るものがある。これ以上黙ってみておるわけにはいかん」 とある邸宅の一室で、数人の男達が集まっていた。党錮の禁以来、表立って宦官批判の言論を述べるのは極めて困難になっているが、通常の人付き合いまで完全に排除できるものではない。彼らは、何かに事寄せては会合を持ち、宦官勢力打倒の計画を練っていたのである。 「まことに。最近では、その養子達までもが悪逆な振る舞いを為し、民を苦しめておるというではないか」 「そうだ。孝順皇帝以来、連中は養子をとる事でその爵位・食邑を継承しておる。曹常侍(曹操の養祖父・曹騰の事)は孝順皇帝の擁立並びに多くの人材を推挙したという功の故、まだ良いとしても、王甫・曹節の如き功無き輩までもがその恩典に浴しておるという有様だ。このままでは、漢朝は連中によってぼろぼろにされてしまうぞ」 「うむ。あの連中ならば、簒奪さえもやりかねん。あやつらは、奸智のみは王莽並みだからな」 「君側の奸か。ならば、除くしかない」 「さよう。陛下がその事にお気づきにならぬ以上、我らの手で何とかするしかあるまい」 「その通りだ。しかし…問題は、いかにして連中を討つかという事だ」 「そうだな。なにしろ、あの段紀明が太尉に任ぜられておるから、軍を動かすのは至難の業」 「何より、宦官どもは後宮におり、下手に刃を向けると、逆臣呼ばわりされる」 「いかがいたしたものか…」 威勢は良いものの、いざ実行の手段となると、とんと案が出ないという有様であった。 「そこで、わしの出番というわけだな」 沈んだ雰囲気の中、そう発言したのは、当時司隷校尉【首都圏の警察権を持つ官職】の任にあった陽球であった。 陽球、字は方正。幽州・漁陽郡の名門の家に生まれた彼は、「好申韓之学【申不害・韓非−ともに法家の思想家として知られる−の学問を好んだ】」という。修身・立身の為、儒教思想の経典を学ぶのが常道とされていた当時としては、やや珍しい経歴を持つ人物と言えよう。 士大夫の一人として宦官勢力と戦ったにもかかわらず、その伝が「酷吏列伝」に記されているというのは、若い頃人を殺めたという事・後述するその嗜虐性もさる事ながら、その経歴も影響しているのかも知れない。 「なるほど、司隷校尉殿であれば、罪状を暴き立てて逮捕する事もできますな」 「となれば…あとは、王甫とその一党の罪状が分かれば良いのだが…」 「確かにそれは必要だ。しかし、それだけでは足りぬ」 「足りぬとは?」 「いかに確かな罪状を暴き立てても、王甫が陛下のそばにいては、すぐに握り潰されてしまうであろう。それでは、何にもならぬ」 「確かに」 「王甫が不在の折を狙うしかない」 「不在の折…そうか!あやつの休沐日に奏上すれば…で、その後は…」 「そういう事だ。なに、あやつらの事だ。叩けば埃などいくらでも出てくるわ。わしから直接奏上すると何だから、京兆尹【長安地域の長官】の楊文先(楊彪。『四知』という言葉で知られる楊震の曾孫)殿からの報告という事にしてもらえば良い。最近聞いた話だが、連中、あのあたりで何かやらかしたらしいからな」 「それがよろしいな」 「では、王甫めの休沐日を期して、動くぞ。良いな」 「分かり申した」
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