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小説 『牛氏』 第一部
38:左平(仮名)2003/04/27(日) 20:49AAS
十九、
「郎中殿! いま火を用いればわが方はもっと楽に勝てますぞ! なにゆえ…」
「黙れ! その事は口にするでない!」
「しかし! このまま普通に戦い続けていては、勝利しても犠牲者が多く出ます!」
「分かっておる! だがな、火を用いるわけにはいかんのだ!」
「なっ、なぜ…」
「くどいぞ、伯扶! それについては、後でゆっくり話す!」
董卓は、頑ななまでに火を用いようとはしない。なぜか?今の状況では、火をかけるべきではないというのだろうか?
(いや、そんなはずはない。この時期、急に風向きが変わる事はないし、第一、弩の攻撃によって双方の兵は離れている。まかり間違っても、こちらが火に巻かれる事はないはずだ)
戦術的に見れば、火を用いない理由が見あたらない。となれば、董卓が火計を仕掛けないのには、それとは別の理由があるというのか。
牛輔がそう考えているうち、徐々に勝敗の行方が見えてきた。
長兵と弩兵による複合攻撃に、羌族の騎兵は翻弄された。いかに精鋭であるとはいえ、長時間にわたって駆け回った為、人馬ともに疲れの色は隠せない。その様子を董卓は見逃さなかった。
「今だ! 者ども、行け−っ!」
号令のもと、周りにいた騎兵が一斉に丘を駆け降っていった。個々の武勇という点においては、漢人の兵は羌族のそれに劣るが、組織的に動くという点では優っている。
羌族の騎兵に疲れが見える今なら、彼らと十分に戦えるであろう。先の報告を聞く限りでは、敵に援軍はいないらしい。眼前の敵を撃破すれば、まずはこちらの勝ちだ。
(これで、この戦は終わる…)
牛輔は、心底ほっとした。と、思ったその矢先。
「伯扶、何をしておる!」
董卓の声に、思わずはっとした。見ると、自分以外は皆丘を駆け下り、敵の追撃に入っているではないか。しかも、将の董卓が、いつの間にかその先頭に立っている!
「もっ、申し訳ありません!」
牛輔も、直ちに馬を駆り、追撃に入った。戟を握る手に、力が入る。
(いかん。ぼんやりしてた)
一人出遅れてしまった。後でお目玉を喰らいそうである。懸命に追いつき、彼なりに戦った。結局、一人も討ち取る事はできなかったが。
凄まじい掃討戦となった。董卓の武勇は、既に羌族の間にあまねく知れ渡っており、我こそはという羌族の勇者達が、何人かうちかかって来た。あれほどの激戦を戦ってきたというのに、彼らはまだそれほどの力を残しているというのか。牛輔には、正直信じられなかった。遊牧の民の力を見せつけられる思いがした。
「郎中殿! 危のうございますぞ!」
「なに、心配は無用ぞ!」
董卓は、馬上から巧みに矢を放ち、戟を振りかざしつつ、向かってくる敵を蹴散らしていった。彼の通るところ、次々と敵兵が斃れていく。鐙のないこの時代において、漢人で、これほど騎射に長けた者は、そうはおるまい。
(義父上、凄いな…)
ただただ感心するばかりであった。噂通りの、いや、それ以上の武勇である。
日が暮れる前に、戦は終わった。
数百の敵を討ち取るとともに、敵の所持していた牛馬を押収した。こちらにも少なからぬ犠牲は出たが、死傷者一つ比べてみても、こちらの勝利である事は間違いない。
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