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小説 『牛氏』 第一部
39:左平(仮名) 2003/04/27(日) 20:51 「深追いは無用! 今宵は、この辺りに宿営するぞ!」 その言葉を待っていたかの様に、兵達は得物を手から離し、食事の支度を始めた。表情にはまだ十分に精気があるものの、長時間の激闘を経て、肉体の疲労は相当のものがあろう。確かに、ここらで休ませた方が良さそうである。 数人の兵が、敵の逆襲に備えて偵察に向かうと共に、交替で見張りに立つ。ここは、まだ戦場である。気を緩めきってはならない。 しばらくして、食事の支度が整った。日はもう暮れつつある。 「皆の者、今日はご苦労であった。恩賞については、おって沙汰を致す。身はまだ戦場にある故、存分にとはいかぬが、少しばかり酒を携えておる。飲むが良い」 杯を手にした董卓がそう言うと、わっと喚声があがった。その多くが庶民である兵達にとって、酒などそうそう飲めるものではない。ましてや、生きるか死ぬかの戦いを終えたばかり。喜ぶのも無理は無い。 「郎中殿!」 「ん? 伯扶よ、どうかしたか?」 「ここは戦場ですぞ。いくら戦いに勝利したとはいえ、凱旋もせずに酒を振る舞うというのはいかがなものかと…」 たとえ祝杯であっても、戦場で飲酒とは何たる事か!これが初陣である牛輔にとってみれば、気が気ではない。義父は、歴史を知らないのであろうか。 春秋時代のなかば、晋と楚が、中華の覇権をかけてエン【焉β】陵の地で戦った時の事である。一日の激戦の後、楚の司馬・子反(公子側)は、疲れをおして軍を督励し、懸命に態勢を立て直したが、ひと段落ついたところで、つい酒を口にしてしまったのである。彼は酒好きであった為、一度飲み始めると止まらず、ついに酔っ払ってしまった。たまたまその時、王(共王)からの諮問があったのだが、酔っ払っていた為に答えられないと知った王は激怒し、戦場を離脱してしまったのである。 結局、王が戦場を離れた為、軍は撤退し、楚の覇権は失われた。司馬・子反はその失態を苦にし、遂に自殺して果てた。 また王も、一時の怒りの為に臣下を死に追いやった事を恥じ、自らの諡を悪い意味のものにせよと遺言したという(彼自身は、楚の歴代の王の中でもなかなかの名君だった)。 「あぁ、敵の逆襲が気になるという事か?」 牛輔の苛立ちとは対照的に、董卓の返事は暢気なものであった。その落差が、ますます彼を苛立たせる。いつもなら、目上の者に対して声を荒げる事はないのだが、今回ばかりはそうもいかない。 「当たり前です!」 「心配するな。偵察の者を遣っておるし、きちんと見張りも立てておる。第一、酔っ払うほどの量の酒は携えておらぬわ」 「そうはおっしゃいますが…」 「ふふっ。わしが何も知らぬとでも思ったか。戦場で酒を過ごして失敗した者がいた事くらい、知っておるよ」 「えっ?」 「わしとて、『左伝(春秋左氏伝)』くらいは読んでおるという事よ。そなた、楚の司馬・子反の故事を言いたいのであろう?」 「あっ、はぁ…」
40:左平(仮名) 2003/05/04(日) 02:15 二十、 考えてみれば、そうであろう。この時代の人士で、『孫子』を読んでいて『左伝』を読んでいないという様な者はまずおるまい。 そう言われると、自分の知識の浅薄さが、急に恥ずかしくなった。 義父は、経験と学問を積む事で、その人物・思考に確かな厚みを持っている。それに比べ、自分は…。牛輔は、黙りこくったまま、うなだれるしかなかった。 「そんなに気にするな。そなたの諌言が、我らの気の緩みを引き締めてくれたのは確かなのだからな。周りをよく見よ」 確かに、酒が入っているにも関わらず、騒ぐ兵はいない。しかし、その言葉を額面通りに受け取る事はできなかった。 (確かに、私の言葉が少しは役に立ったのかも知れない。だが…) 董卓といい、兵達といい、幾度も戦場を駆け巡り、死線をかいくぐって来た者達である。そんな彼らに、新参の自分如きが口をはさんでも、恥を晒しただけではなかったか。恥ずかしいやら情けないやら。 「おい、どうだ。そなたも一杯」 「はっ、はぁ…。では、頂きます」 杯を渡された牛輔は、一気にその中の酒を飲み干した。ここが戦場である事は承知しているが、あれこれ考えていると、何だか酔っ払ってしまいたくなった。 「おいおい、そんなに急いで飲まずとも良かろうに」 「えぇ。ですが…何だか、飲みたくなってきました」 「そうか。では、もう一杯いくか」 「では」 酔っ払おうかと思ったものの、そんなには飲めなかった。すぐに眠たくなったからである。そのまま横になると、たちまちのうちに眠りに落ちた。 しばらくして目が覚めた。あたりはまだ暗く、兵達も、見張りに立つ者を除いては、皆熟睡している。 やはり、この時期に野外で眠るのは、ちと寒い。眠っている者を見ると、適当な枯草やら中身を出した嚢やらを夜具の代わりにしている。中には、戦死した仲間の上着を頂戴している輩もいる。 (はぁ…。味気ないな。いつもなら、姜を抱いてるところなんだが) そんな事がすぐに思い浮かぶあたり、やはり新婚である。 朝までには、まだ時間があろう。もう少し眠っておきたいところであるが、このままでは寒い。何か夜具の代わりになるものはないか。牛輔は、半ば寝ぼけつつ、あたりを物色した。 「案外、ないもんだな。かといって、火をおこすわけにもいかないし」 そうつぶやきつつ、陣中をうろうろしていた。 ふと見ると、こんな時間に一人立っている者がいる。暗いので、はっきりとは見えないが、巨躯の男であるらしい。 (あれ? あれは…誰だっけ?) いつもなら、そんな人影に近付くはずもないのであるが、眠気で頭が鈍っていたせいか、ふらふらとそちらに向かっていった。 「そんな所で何してるんだ?」 そう、何の気なしに声をかけた。
41:左平(仮名) 2003/05/04(日) 02:19 「ん? なんだ、伯扶か」 そっ、その声は! 「ち、義父上ではありませんか! こんな夜更けに何をしておられるのですか!」 「あぁ、ちょっとな」 そういう董卓の顔は、いつもとは少し違って見えた。そこはかとなく厳粛さが感じられるのである。これから凱旋する将には見えない。 「明日も早いではありませんか。もう休みましょう」 「分かっておる。だがな、もう少しこうしておりたいのだ」 何か思うところがあるのか、自分が何か言うくらいでは、動きそうにはない。まぁ、明日は凱旋だ。もう一日くらいは、体ももってくれるであろう。そう思うと、がぜん興味が湧いてきた。 「義父上がおられるのでしたら、私もお付き合い致しましょう。…それにしても、何をしておられたのですか?教えてはいただけないでしょうか」 「そうだな。そなたにも、話しておいた方が良さそうだな。…実はな、こいつらに誄(るい:しのびごと。死を悼む言葉・文章)を読んでやろうと思ってな」 「誄、ですか…」 彼の口からそういう言葉が出るとは、正直、意外ではあった。だが、兵の死に思いをはせ、それを無駄にしないのが良将というものである。 (義父上は、紛れも無く良将であらせられる) それが分かったというだけでも、この戦いに従軍した意味があった。この方の娘婿になって良かった。心底そう思えた。 「もちろん、そんな大層なものはできん。わしは哀公(孔子が亡くなった当時の魯公)ではないし、こいつらも孔子ではないからな。まとめて、簡単なものを読む程度だが」 「確かに、我が方の勝利とはいえ、少なからぬ戦死者を出しましたからな」 「そうだ。だが、それだけではない」 「えっ?」 牛輔が一瞬きょとんとするのを尻目に、董卓はある塊に近付き、黙祷した。兵の屍である。 だが、何か様子が違う。頭のあたりに付いている飾りなどを見ると、漢人のものではない。まさか! 「義父上、その屍は敵のものではありませんか!」 これには驚いた。義父は、間違って黙祷しているのではないか。だが、その返事は意外なものであった。 「そうだ。分かっておる」 「えっ? では、義父上は敵に対しても誄を読まれるのですか…。しかし、なぜ…」 「なぜかって? そなた、母が羌族の娘であったという割には、羌族の事を知らぬ様だな。…まぁ、仕方あるまい。牛氏と羌族とは、長く敵対しておるゆえ、接触する事自体少ないからな」 「ですが…」 「いい機会だ。そなたに話してやろう。わしが我が義父(琳・瑠姉妹の父)から聞いた事や、羌族の連中から直に聞いた話をな」
42:左平(仮名) 2003/05/05(月) 21:21 二十一、 話?一体、どの様な話があるというのだろうか。羌族は文字を持たぬはず。口伝で何かしらの説話があるにせよ、これといった話があるとは考えにくいが…。 「そなた、羌族とはいかなるものだと思う?」 えっ?いかなるものか? 牛輔には、その問いの意味が分からなかった。 「いかなるものと急におっしゃられても…。我ら漢人にとっては、しばしば叛乱を起こす厄介な存在としか思えませんが…」 「そう思うか」 「それ以外、どうとらえればよろしいのでしょうか? 私には分かりかねます」 「分からぬか。ならば聞こう。『羌』という字はどの様な字だ?」 字の事を聞いてどうしようというのだろうか? ますますわけが分からない。 「えぇっと…。確か、『羊』と『人』が組み合わさった感じの字ですね」 「そうだ。では、我が娘にして、そなたの妻の名は何という?」 「『姜』です。しかし、それがどうかしたのですか?」 「何か気付かぬか?」 「えっ?」 「まだ気付かぬか。『羌』と『姜』という字は似ておるであろう」 「そういえば、確かに」 「いや、もともと同じ起源を持つ字かも知れぬな。…『姜』姓といえば、有名な人物がいるであろう」 「太公望、ですね」 太公望呂尚−。多少なりとも経書・史書を読んでいる者であれば、その名は必ず知っているであろう有名人である。周の文王に見出された彼は、殷周革命の立役者の一人として活躍した(あとの二人は、周公旦と召公セキ【大の左右の脇に百】)。兵法にも秀でていたとされ、漢の高祖・劉邦の謀臣として活躍した張良が黄石公なる人物から授かったという兵書の著者に擬せられている。 「そうだ。そして、彼を始祖とする国が斉(西周・春秋期。戦国期の斉は田氏の国)だ。それは、そなたも知っておろう」 「はい。春秋五覇の一人・桓公を生んだ斉ですね」 「そればかりではないぞ」 董卓の話はなおも続く。 「その太公望が仕えた周の始祖の名は后稷というが、その母の名は姜ゲン【女+原】といって、姜姓の女なのだ。また、武王の正婦にして成王の母である邑姜もまた、姜姓の女だ」 「となると…。周をはじめとする姫姓の国と斉には、姜姓の血が流れていると…」 「その姜姓と羌族が、字と同様、もとは同じ起源を持つとしたらどうだ?」 「えっ!」 信じ難い事である。義父は、あの太公望と羌族が同族だというのであろうか。牛輔には、字以外、両者のつながりなどこれっぽっちも見出だせないのであるが。 「驚くのも無理はないな。わしも、聞いた当初は信じられなかったからな」 「では、義父上は、今はこの様な話を信じておられるというのですか!」 「そうだ」 「そんな! その様な戯言を信じられて…」 「なぜ戯言と言える?」 そう言う董卓の顔には、凄みがあった。その顔は、戦いの時とはまた違う様だ。何がどう違うのかはよく分からないのだが。
43:左平(仮名) 2003/05/05(月) 21:24 「そなたがこの話を信じぬのは、漢人の文字を重く見て羌族の口伝を軽んじるからであろう。まぁ、それならばそれで良い。しかしな、それならばなぜ『羌』と『姜』の字の類似をも軽んじる?」 「それは…」 そう言われると、何とも言い様がない。 「まぁ、どこまで事実かは分からぬがな。だが…」 董卓の表情が、また変わった。その顔には、紛れもない哀しみの色が浮かんでいた。 「羌族は、古くから我ら中華の民と関わってきた族だ。何しろ、太古の帝王・舜の御世から、既にその名が記されているくらいだからな。もとは中原にもいたらしいが、故地を追われ、西に逃れたという…」 羌族が、もとは中原にいた?牛輔にとっては、初耳である。しかし、「舜」の名が出てきたという事は、経書のどこかにその様な事が書かれているはず。義父が羌族から聞いたというこれらの話は、まんざら嘘でもないという事なのか。 「しかし、今の羌族には、その様な面影はありませんが」 「いや、ない事はない」 「そうですか?」 「彼らは、昔のままに羊を飼って暮らす『穏やかな』民である」 「えっ?あんなに強悍な者達のどこが穏やかだというのですか!」 「嘘ではない。そなたの母上も、我が妻も、羊を飼い、静かに暮らしていたのだ。これは、わしやそなたの父上も見ておる。間違いない」 「では、なぜあの様な精強な騎兵達が…」 「そこなのだ。なぜ、羌族が戦うのか。そこにこそ、わしが誄を読む理由がある」 夜風が頬を撫でる中、董卓の話は続く。話していくうちに、その声が、また一段と哀調を帯びてきた。この人の中に、これほどの感情の動きがあるのか。人間というものの奥深さの一端が垣間見える瞬間である。 「考えてみると、羌族として生きるとは哀しいものである」 「哀しい?なぜですか?」 「そうではないか。あいつらが今生きているのは、いずれにしても異郷。故地を追われ、一族とは引き離され、生まれ落ちたその時から漢人には蔑まれ、苛酷な賦役を課せられ…」 「…そうして、生きる事に何の喜びも見出せぬまま死んでいく…」 「…」 中華に叛く蛮夷の一生とはそういうものではないか。そう言いかけた。しかし、言葉が出なかった。いや、出せなかった。 董卓の妻は羌族の女。当然、その子である姜は羌族の血を引いている。自分もまた、羌族の女を母に持つのであるから、羌族の血を引いている。 (数ヵ月後には生まれるであろう我が子は、間違いなく羌族の血を引く子…) その事を思うと、羌族を単なる蛮夷と言い切る事はできないのである。 しかし、まだ分からない事がある。 羌族の血を引くわけでもない義父が、なにゆえこうも羌族に思いを馳せるのであろうか。 また、それほど羌族の事を思いながら、なぜあれほど激しく戦いうるのか。 雲が流れ、月が顔を見せた。月光が大地に降り注ぐ中、董卓の目に微かな光が生じ、それが流れ落ちていくのが見える。 (義父上が…涙を流されている?) 世間から勇将と呼ばれる義父が、いかに娘婿の前であるとはいえ、涙を見せるとは…。牛輔は、戸惑いを隠せなかった。
44:左平(仮名) 2003/05/11(日) 22:51 二十二、 「義父上…」 「ん?どうかしたか?」 「もしや…泣いておられるのですか?」 「さぁ、どうであろうな…。少なくとも、わしは哭するという事はせぬ」 「…?」 (誄は読むが哭する事はしない…?一体、どういう事なんだろうか?ますます義父上の考えが分からなくなってきた…) 牛輔には、もはや聞き様がなかった。何をどう聞けば良いのかがさっぱり分からないのである。 「そなたには分からぬであろうな。なにゆえに、人一倍羌族に同情するこのわしが羌族と戦うのかが」 「確かに」 「人には理解されぬやも知れぬが…わしの中には、ある思いがある」 「どの様な思いがあるというのですか?」 「羌族は、様々な場面において、漢人に蔑まれておる。だが、わずかではあるが、漢人と対等に扱われる時がある。そういう事だ」 「漢人と対等に扱われる時? そんな時があるのですか?」 「分からぬか。ほれ、つい数刻前の…」 「…あっ!」 確かに、そうだ。戦いの場においては、漢人も羌族も関係ない。ともに死力を尽くして戦うのみである。 「ただ戦いの場においてのみ、羌族は漢人と対等になる。勝者には栄光、敗者には死…。そういう場を持たせてやる為に、わしはあいつらと戦っておるつもりだ」 「では、あの時火を用いなかったのも、その為だと…」 「そうだ」 「ですが、火計というのは、兵書にも載っているれっきとした戦法ですぞ。特に卑劣というものではございません。あえてその手段を封じるというのはどうも分かりません」 「そう、戦法を論ずるのであればその通りだ。だがな、わしにはできぬ」 「なぜですか?」 「わしは、『この手で』あいつらを死なせてやりたいのだ。悲惨な奴僕としてではなく、誇りある戦士としてな」 「…」 「火を用いれば、確かにもっと楽に勝つ事ができよう。しかしそれでは、あいつらを、あたかも草木の如く焼き払ってしまう事になる。それは、奴僕として死ぬよりも、もっと悲惨ではないか?」 「戦いで死なせてやるのが情け…。羌族には、それしか望みがないのですか…」 「今のところはな。誄は読むが哭しないというのも、同じ理由だ。哭すれば、あいつらとは敵同士にならなくなってしまう。今は『敵』としてしか接する事はできぬ」 「…」 牛輔の心の中に、ある危惧の念が生じた。 (義父上は、漢朝に対し良からぬ思いを抱いておられるのであろうか…) そうであるなら、いつの日か、漢朝に対し叛旗を翻すかも知れない。そうなった時、自分はどうすればいいのだろうか。反逆者となるのはまっぴらだが、義父の人となりを知った以上、見殺しにするなどという事はできない。第一、自分はこの人の娘婿なのである。関わらずに済むわけがない。
45:左平(仮名) 2003/05/11(日) 22:53 確かに、今の漢朝は乱れている。数々の怪異現象、相次ぐ天災、中央の政変、地方での叛乱…。この国の事を愁う心有る者ならば、何らかの行動に出たくもなるであろう。 (今上陛下【霊帝】は、まだお若い。成長なさり、光武皇帝の如き英明さを発揮していただければ…) かすかではあるが、今はそれに希望をつなぐしかあるまい。 そんな事を考えているうちに、あたりが少しずつ明るくなってきた。夜明けである。やがて、東から日が昇るのが見え始めた。 「…!」 牛輔は、ある事に気付いた。 義父の甲冑は、返り血にまみれているのである。あれほどの激戦の後なのだから当たり前なのではあるが、あらためて見ると、その凄まじさが分かる。 「義父上…」 「どうした?」 「その甲冑…返り血にまみれておりますぞ」 「そうだな…」 「…」 普段なら、早く脱いで洗ったらどうかと言うところであるが、そういう気にはならなかった。この血こそ、羌族が戦士として戦い、死んだ証。血に汚されたなどと言う事はできないのである。 「さぁ、帰るぞ。皆が待っておる」 「あっ…はい!」 凱旋である。戦場に赴く時とは違い、兵達の表情も、心なしか柔らかい。勇敢に戦い、そして勝利した者達が持つ、誇りと自信に溢れた姿がそこにはあった。 牛輔も、そんな中にいた。とはいえ、彼の思いは、それだけには留まらなかった。 今後自分が担うであろう重責、漢朝と羌族との関係、義父の真意…。今回の戦いは勝利したものの、いつまでも喜んでばかりもいられないのである。 (何にしても、難しいな) 考え事をしているうち、牛輔は、いつしか屋敷の門前に立っていた。ほんの数日しか経っていないというのに、妙に懐かしく思える。 (ともかく、戻ってきた) そう思ったとたん、全身から力が抜けた。 「いま戻ったよ」 自分でも分かるくらい、朗らかな声が出た。やはり我が家はいい。 「あなた− お帰りなさ−い」 出迎える姜の声もまた、朗らかなものであった。その声に、安堵する。 「姜。留守中、何事もなかったかい?」 「えぇ。ご心配なく」 「そうか。そりゃ良かった」 心なしか、姜の腹がより膨れている。赤子は順調に育っている様だ。 「元気な赤子を産んでくれよ」 そう言うなり、牛輔は姜に抱きついた。姜の体は暖かく、柔らかい。その心地良さときたら、荒涼とした戦場とは大違いだ。 「もぅ、あなたったら。こんなところで抱きつかないで下さいよ」 「すまんすまん。さぁ、中に入ろう」
46:左平(仮名) 2003/05/18(日) 21:19 二十三、 年が明けて、正月。 「あぁ、正月だ。新たな年が始まったんだな」 牛輔は、昇る朝日を眺めながら、そんな事を呟いた。もう二十回以上も経験したはずの正月が、妙に新鮮なものに感じられたのである。 (そぅか…。去年の今頃と今とでは、何もかも違うんだったな。正月も、違ってて当たり前か) あらためて、結婚の持つ意味の大きさを思う。 「あなた− 早くいらして下さいよ」 姜が呼んでいる。彼女がいるだけで、世の中が明るく見えるのであるから、不思議なものだ。 「あぁ、すぐ行くよ」 現代の我々は、正月とは掛け値なしにめでたいものとして捉えている節があるが、古代の人々にとってはそうとばかりはいかなかった。 数え年という概念もそうであろうし、なにしろ、いろいろ煩雑な儀礼がある。ご馳走を食べつつ、ただただのんびりと過ごすというわけにはいかない。 ここ牛家も例外ではなかった。なにしろ、主人夫婦がまだまだ若いのに加え、家人達も皆不慣れである。年末年始はひどく慌しいものとなった。 そんな騒ぎがひと段落する頃には、姜の腹はますます大きくなっていた。来るべき授乳を控え、胸の膨らみも大きくなっているのであるが、腹の膨らみ具合が余りに大きいので、それが目につかない。 確実に母親になる日が近付いているというのに、胸の膨らみが意識されない為、かえって幼く感じられるというのも、どこか不思議なものである。 「それにしても、こうも大きくなるものかなぁ」 牛輔は、姜の腹を撫でながらそう呟いた。男にとって、妊娠・出産というのは、どうにもよく分からないものである。 「そうですねぇ。何をするにも大変です」 「だろうな。腹で足元が見えないからな。そういえば、もう少しで生まれるんだったよな」 「えぇ。あと数日の様です」 「義父上へは連絡したかい?」 「はい。先ほど」 「姓は異なるとはいえ、初孫だからな。さぞや喜ばれるであろう」 「えぇ」 姜の顔には、愛する夫の子を産む事に対する喜びがある。それは、牛輔にとっても喜ばしい事であるが、彼にはまだ不安があった。 なにしろ、牛輔の母は、彼を産んですぐに亡くなってしまったのである。今もそうであるが、衛生状態・栄養状態が(現代と比べて)劣悪だった当時においては、出産とは大きな危険を伴うものであった。 (どうか、母子ともに健やかである様に) そう、祈らずにはいられなかった。
47:左平(仮名) 2003/05/18(日) 21:22 数日後。董卓とその家族が訪れ、一族が揃った頃、姜は産室に入った。庶民の場合は、産婦が一人で身の回りの処理をする事もあった様だが、地方豪族たる牛氏の妻ともなれば、そういう事はなかったであろう。とはいえ、産みの苦しみ自体は、どうする事もできない。 (無事に産まれてくれよ) もう、気が気ではない。夫である牛輔は、席が温まる暇もなく、立ったり座ったりを繰り返せば、父の董卓も、落ち着いている様に見せてはいるものの、時々せわしなく体を揺らしている。 こういう時には、男達は何の役にも立たない。その能力とはかかわりなく。 「伯扶殿、その様にそわそわなさっていても何にもなりませんよ」 さすがに何度も出産を経験している義母の瑠は落ち着いている。 「分かっております。分かってはいるのですが…。なにしろ、姜は初産ですし」 「あの子はわたしの娘ですよ。この程度の事で根をあげたりはしません」 「はぁ…」 そんな状態が数刻も続いた。 先の戦いの時もそうだったが、こういう時の時間の進み方は、どこか不思議なものである。 早いと感じる瞬間があれば、遅いと感じる瞬間もある。そして、過ぎ去っても「過ぎてみれば短かったな」とは思えない。 悶々とした時間がこのままずっと続くかの様な、そんな感覚に襲われたその時、産室の方で声があがった。 「産まれた!」 最初に気づいたのは、瑠だった。牛輔はといえば、緊張が続いた事に疲れたのか、心ここにあらずといったふうである。董卓に至っては、席に座ったままうとうとしている。 「あなた、伯扶殿、何をぼんやりなさっているのですか! 産まれましたよ!」 「えっ? あっ、はぁ…」 「んっ? そっ、そうか…」 なかば叩き起こされる様な感じである。勇将・董卓も、愛妻の前では形無しといったところか。 そそくさと産室に向かう瑠に対し、男二人の動きは、ゆっくりとしたものであった。落ち着いているのではない。精神的な疲労のせいで、やけに体が重いのである。 「おい、伯扶」 「何でしょうか」 「もう少し、しゃきっとしたらどうだ。初めて我が子に会うのにそんなくたびれた姿をさらしてどうする」 「義父上こそ。初孫ですぞ」 「まぁな」 そんなやりとりをしている間に、二人は産室の前に立っていた。
48:左平(仮名) 2003/05/25(日) 21:25 二十四、 「伯扶よ。どっちが先に入る?」 「えっ?そっ、それは…」 二人とも、早く赤子の顔を見たいのではあるが、どこかためらいがある。 本来の出産儀礼においては、夫といえどもそうそう産室に入れるものではないのである。先の婚礼の時とは異なり、そのあたりの事にはあまりこだわりはないものの、出産という女の領域には、どこか入り難いものがある。 (伯扶よ、そなたが先に入ったらどうだ) (義父上こそ、お先に入られたらどうですか) 産室の前に突っ立ったまま、そんな状態がしばらく続いた。大の男が二人して戸の前にいる様は、何とも珍妙なものである。 「このままここに立っててもしょうがない。一緒に入るか」 「そうしますか」 初めからそうすれば良さそうなものであるが、こういう場面では、存外気がつかないものである。 「じゃ、いくぞ」 「えぇ」 「では−」 二人は一斉に足を踏み出した。その時。 「お待ちください!!」 「!?」 二人は、足を踏み出しかけたところを急に止められたので、思わず転びそうになった。声の主は、先に産室に入った瑠である。 「いま、産湯を使っているところです。もうしばらくお待ちください」 「でも、もう産まれたのであろう? なにゆえ、我らが入ってはならぬ?」 「あなた、お忘れですか? 姜が産まれた時の事を?」 「あっ!…」 そう言われて何か思い出したのであろうか。董卓は急に向きを変え、室に戻っていった。 あわてて、牛輔もあとを追う。 「義父上、以前に何かあったのですか?」 義父が、一言言われただけでこうもあっさり引き下がるのは珍しい。何かよほどの事があったのだろうか。あまり話したい事ではないだろうが、聞かずにはおれない。 「いやな。あれは、姜が産まれた時の事なのだが…」 董卓にとっては、あまり格好のいい話ではないのであろう。どこか気恥ずかしげに話し始めた。 「姜が産まれた頃は、我が家はまだ富貴ではなかった。当然、この様な産室などはなくてな。瑠は、筵などで仕切りを設けて、そこで出産したのだ。当時は兄夫婦と同居しておったから、何かと手助けはしてもらえたがな」 「はい」 「わしにとっては、初めての子だ。そりゃもう、嬉しくってな。産声があがるや、筵を払いのけて赤子と対面したのだ。だが…」 「だが?一体どうなさったのですか?」
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