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小説 『牛氏』 第一部
3:左平(仮名) 2003/01/01(水) 00:34 この様な事情があった為、牛氏一族と周囲の人々との間には、常に緊張感が漂っていた。牛輔も、幼い時から否応なしにその事を意識させられていた。 周りの子供達と遊ぼうとしても、仲間に入れてもらえなかった。名門・牛氏の嫡男という事もあって、さすがに、いじめられるという事はなかったが、いつも冷めた目で見られている様な気がしてならなかった。その冷たい視線を避けようとすれば、一人、自室にこもるしかなかった。彼の心は、どこか満たされないままであった。 彼の心が満たされない理由は、この他にもう一つあった。物心がついた頃、彼には母親がいなかったのである。いや、いる事はいたのであるが、彼女は、実の母親ではなかった。 「私の母上はどちらにおられるのですか?」 「おまえの母上は、そこにおられるではないか」 父に向かって急にそういう事を話しかけ、父を困らせたりもしたらしい。 「父上。話とは、一体…」 「まぁ、そうせかすな。そこに座れ」 「はい」 父に促され、牛輔は席についた。 「実はな…。おまえに、縁談が来ているのだ」 「縁談、ですか…」 自分の人生の一大事だという割には、落ち着いたものであった。こう言うと、いかにも彼が冷静沈着であるかの様に思われるだろうが、そういうのとはちょっと違う。 古代中国においては、男子は、二十歳で加冠の儀を行い、成人したものとされる(二十歳の事を「弱冠」というのはこれに由来する)。成人したという事は、一人前の男であるから、当然妻帯してもよいものとされるわけである。古礼では、三十で娶るとされている様であるが、実際のところはもっと早かったであろう。 彼は、この時既に加冠の儀を終えていたから、こういう話があっても何の不思議もない。ましてや、嫡男である。もっと早くから話があっても良いくらいであった。 嫡男である自分は、うかつな事をしてはならない。牛輔は、家族内における自分の立場というものをよく理解している。それ故、この数年は、悶々とした日々を過ごしていた。 大族である牛氏の邸宅には、多くの召使たちが働いている。もちろん、その中には妙齢の女性もいる。主人が下女に手を出し、妾にしたり子を産ませたりという事は、古来からままある事である。しかし、彼には、それができなかった。してはならないと、自分を律していたのである。色っぽい下女に手を出したいという欲求に駆られながらも、今までずっとそれを抑えてきている。 (弟は、もう女というものを知っている様だ。なのに、私は…) 縁談については、本音では、大喜びである。これで、堂々と女を抱けるのだから。もちろん、父に向かってそんな態度をとる事はできないのであるが。 「それで…相手の方は、いかなるお方でしょうか」 「知りたいか」 「それはもう」 「相手は…先年の并州での戦いで大功を立てられた、董郎中(董卓。并州での戦いの後、羽林郎から郎中に任ぜられた)殿のご息女だ。名を、姜という。確か、十五、六といったところであったか」 「と、董郎中殿のご息女!?」 牛輔は、仰天した。想像だにしなかった相手である。
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