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小説 『牛氏』 第一部
5:左平(仮名)2003/01/04(土) 02:19
(ほう、あの男が羽林郎とはのぅ…)
董卓の立身は、郡内の人々を驚かせた。しかし、彼の活躍はなおも続くのである。
羽林郎に任ぜられてからほどなく、匈奴中郎将の張奐に従い、その軍の司馬として羌族との戦いに加わる事になった。董卓は、羌族の中に多くの知己を持っており、彼らの事を知り尽くしていた。その故の人事であろう。
羌族は、多くの部族に分かれている。彼も、全ての部族と親しくしたわけではない。戦う事については、別段後ろめたい思いをする事もなかった。
董卓の活躍もあって、この戦いは漢軍が勝利した。戦の後、張奐は、恩賞として絹九千匹(一匹=四丈=約9,2m)を彼に与えた。しかし、彼はそれを受け取らず、全て配下の者たちに分け与えたという。
【日本においても、似た様な例がある。平安時代の名将・源(八幡太郎)義家にまつわる話がそれである。彼は、東北で起こった大乱・後三年の役を鎮圧したものの、私的な戦であるとされた為、朝廷からの恩賞は出なかった。すると、彼は、自らの私財を割いて配下の者たちに恩賞を与えたという。義家といえば、雁の列の乱れから伏兵を察知したという逸話もあるから、漢籍の知識も相当あったと思われるが、董卓の、この話はどうであったろうか】
この一事により、ますます董卓の名は高まった。配下を思う心が篤く、また、私欲が薄い。この当時にあっては、彼は、まぎれもない名将であった。
この功績と名声により、彼は郎中に任ぜられた。それとともに、張奐の尽力により、一族と共に、弘農への移住を許されたのである。牛氏との縁談という話が持ち上がってきたのは、ちょうどそんな頃であった。
当時の縁談というものは、その時まで相手の顔も知らないままに進められる事が殆どであった。いや、名前さえも知らされなかったかも知れない。もちろん、当人の意志は全く反映されない事は言うまでもない。牛輔の場合も、そうであった。
相手が自分の意に沿わぬからといって、断る事などできるわけもない。ましてや、相手の父親は、あの董卓である。これからどうなる事やら。
「董郎中殿の方も、この話には乗り気でな」
父は、最後にさらりとそう付け加えた。その口ぶりからすると、父の方からこの縁談をもちかけたという事か。それを聞いた牛輔の心に緊張が走る。どうやら、この話からは逃れられそうにない。
あの董卓の娘。一体、どんな娘なのであろうか。それより何より、董卓が自分の岳父になるという事実をどう捉えればよいのか。
「そうですか」
そう答えるのがやっとであった。
「近く、納采の儀(結婚の六礼の一つ。男子側から結婚を申し込んだ後、礼物を女子の家に贈る)が行われる予定である。これから、何かと忙しくなるぞ」
「はい」
「話は、以上だ」
「はい。では、失礼します」
牛輔は席から立ち、退出した。
(董郎中殿の娘と…。どうしてまたそういう話に…)
彼の頭は、しばらく混乱したままだった。自分の居室に戻り、横になったものの、どうも落ち着かない。
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