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小説 『牛氏』 第一部
50:左平(仮名) 2003/06/01(日) 22:55 二十五、 二人は、産室に向かった。 先ほど、あれほどためらわれたのは何だったのだろうかというほど、今度はすんなりと入れた。 産室は、どこか異質な雰囲気を漂わせている。室そのものには、何も特別な装飾などは施されてはいないのだが、どうもそういう気がしてならない。 (どうしてだろうか?) ふとそんな事を考えた。もっとも、考えても、男には分かりそうもない。 室内に入った瞬間、血の臭いがした。見ると、何かは分からないが、血に塗れた物体(へその緒とか胎盤とか)がある。あれも、出産に伴って生じたものであろうか。 (それはそうと、姜は? 赤子は?) 一瞬、その物体に気をとられはしたが、今は、そんなものに構っている場合ではない。 目を下に向けると、そこに、子を産んだばかりの姜がいた。相当体力を消耗したのか、顔は、産室に入る前に比べやつれており、また、全身に汗が浮かんでいる。呼吸も荒く、決して安産ではなかった事が伺える。 ただ、その顔は、安らかである。ひと仕事を終えたという充実感がそうさせるのであろう。 「姜…」 「あ…あなた…。子供は…無事に…」 「あぁ、分かってる…。大変だったな。ゆっくり休めよ」 よくやってくれた。そんな姜が、いとおしくてならない。 「まぁ。二人とも、じっと見つめあっちゃって。仲がいいこと」 「そうだな」 「伯扶殿。夫婦仲がいいのも結構ですけど、赤子を忘れちゃいませんか」 「あっ…そうでした」 「ほら。こちらがあなた達の和子ですよ。男の子よ」 瑠は、そう言って、産着にくるまった赤子を手渡した。 「こ…これが我が子ですか…」 牛輔が赤子を見るのは、これが初めてというわけではない。弟達が産まれた時、その様子を見たはずなのである。しかし、もう十数年も前の事であるから、そういう記憶は、もうおぼろげでしかない。 「赤いでしょ? どうして赤子って言うか、分かった?」 瑠は、明るくそう言う。牛輔の緊張をほぐそうとしているのであろう。 「はぁ…」 そうは言われても、緊張はほぐれそうにない。 泣き声をあげる赤子は、彼からみても、小さく、たよりなさげなものである。 (だが、この子は、まぎれもなく我が夫婦の子、そして、義父上の孫) 男であるそうだが、一体、どの様に育つのであろうか。将か、相か。それとも他の何者かか。 「伯扶殿。ぼんやりしている場合ではありませんよ」 瑠の声に、思わずはっとした。 「えっ?」 「この子の名は、いかがなさるのですか?」 「そ、それは…」 一応、考えてはいたのだが、そう言われると、一瞬慌てた。
51:左平(仮名) 2003/06/01(日) 22:57 「慌てる事はありませんが、きちんと考えておいてくださいね」 「え、えぇ…」 「それと、あれを片付けてくださいね」 「え? あれってのは?」 「ほら、あれですよ」 そう言って瑠が指差したのは、さっき見た、血に塗れた物体であった。 「えっ? 私がですか?」 「そうですよ。それも夫たる者の務めです」 この間、董卓はほとんど何も言わなかった。産室の中では、女の方が強いという事であろうか。その事が、ちょっと可笑しかった。 「はい、分かりました」 そう答える牛輔の声は、至極明るいものであった。 「義母上。ところで、これは何ですか?」 片付けが終わると、皆、産室から出た。 姜も別室に移った。産後の肥立ちが悪ければ、直ちに命にかかわってしまう為、しばらくは養生しなければならない。 名門の家ともなると、通常、乳母が必要になる。とはいえ、同じ頃に子を産んだ女など、すぐに見つかるものではない。それまでの間は、姜自らが乳を与える事になる。 姜が乳房を出し、子に吸わせる。子は、ひたすらに吸い、乳を飲んでいる。のどかな景色である。 しばらく後、命名の儀礼が行われた。 名は、「諱(いみな)」とも呼ばれる様に、外に向かってはあまり用いられるものではない。主に家族の内で用いられる。 とはいえ、名と字の間には、通常、何らかの関連性があるから、変な名をつけるわけにはいかない。 正式な命名は、家廟に告げる時なのであるが、実際のところはどうであろうか。 「伯扶よ。子の名は決まったかな?」 「えぇ。…それにしましても、名をつけるというのも大変なものですね。字義だの何だのと、いろいろ考えないといけないのですから」 「そうか? わしなどは、余り悩まなかったがな」 「それは…何と言いますか…」 「で、何と名付けるつもりだ?」 「はい。『蓋』と名付けようかと」 「『蓋』?どういう意味があるのだ?」 「はい。『天蓋』からとりました。地を覆う、天の如く大きくなってもらいたいという思いを込めて」 「天蓋、か…。こりゃまた、大きい名であるな」 「お気に障りましたか? 義弟の名との釣り合いが気になるのですが…」 「いやいや、大いに気に入ったよ。そうか、天蓋か…」 董卓は、満足げにうなづいた。
52:左平(仮名) 2003/06/08(日) 22:22 二十六、 当時の中国人は、宇宙の構造を「天は円(まる)く地は方形」であると捉えていた。半球状の天が、方形の地に覆い被さる形とみていたのである。この様な考え方を「蓋天説」という。実際、地から天を眺めると、巨大なド−ムの中にいる様な感じがしないではない(そう思えるのは、現代の我々が地球は丸いという事を知っているがゆえの事かも知れないが、実のところはどうであろうか。円屋根の建物もあったらしいので、一概には言えない)。 後には、より精緻な「渾天説」が登場するが、一般的には、なお「蓋天説」が信じられていた。 牛輔が長子につけた「蓋」という名には、その様な大きな意味が込められていたのである。 ただ、董卓が満足げにうなづいたのは、それとはいささか異なるところにあった。彼が反応したのは、「天蓋」の「天」というところに対してである。 「天」−。それは、単に天空のみを示すのではない。 そもそもは、人の頭頂部を示す(『脳天』などがそう)この言葉は、やがて、原義とは全く異なる意味を持つに至った。 「天」に、原義と異なる意味を与えたのは、周王朝であったと考えられている。 国家にしろ、会社にしろ、いかなる組織も、その存立の基となるのは、その組織が存在する理由、即ち「正当性(レジティマシ−)」の存在である。 当時、周が打倒しようとしていた商(殷)王朝には、「帝」という、強力な正当性の根拠があった。商王の権威は、無形の神である「帝」によって正当づけられていた為、他の勢力が打倒しようとしても、できなかったのである(形のないものは破壊できない。その為、たとえ商王を殺したとしても、商王朝の正当性を破壊し否定する事ができず、真の意味で滅ぼす事ができない。そう考えられた)。 そこで周は、「帝」に対抗できる概念として、「天」を持ち出した。 「天」に与えられた新たな意味。それは、多分に唯一神としての性格を持つものであった。ただ、いわゆる一神教と異なるのは、全ての人の為のものではなく、また、人々の運命に対して直接の影響を与えるというわけではないというところである。 それは、帝王一人の為のものであった。 天は、徳のある人に天命を授け、天下に君臨させる。帝王のことを「天子」ともいうのは、その為である。天命は、周にあって商にはない。周は、そう喧伝する事によって、正当性において商を圧倒し、ついに滅ぼすに至ったのである。 ただ、「天」の思想は、いわば諸刃の剣であった。というのも、帝王に徳がなくなった、少なくともそうみなされた場合、とって替わる事が(その成立の経緯上)可能となるからである(「革命」という言葉は、正確には「易姓革命」。「姓を易【か】え天命を革【あらた】める」という意味)。 それゆえ、天を祀る事は、帝王のみがなしうる事とされた。他の人間が「天」についてふれる事は、本来、あってはならない事なのである。 普通の人であれば、「天」についてふれる事は恐れ多いと考え、あえて意識の外に置くところであろう。だが、董卓はそうではない。 この時点では、まだ漢朝に対して叛旗を翻そうという気はないが、尊崇しようという気も薄い。それゆえ、天という概念に対しても、何ら臆する事はなかったのである。 赤子が産まれて三月の後、家廟にこの事を告げる儀礼が行われた。赤子が正式に家族の一員となるのはこの時であるとされる。「蓋」という名も、正式にはここからのものである。
53:左平(仮名) 2003/06/08(日) 22:24 子が産まれた事で、牛輔夫婦の生活にも、相当の変化が生じた。 赤子には何もできないし、言う事を聞かせる事もできない。躾をしようにも、ある程度育たない事にはどうにもならない。どうしても子が中心の生活となる。 また、若者が多いこの邸内では、子育てに慣れた者は少ない。実家から、経験豊かな家人達を呼び寄せたりしながら、何とかやりくりしている状態であった。 それゆえ、夫婦の間にも、多少の波風が生じた。 二人とも互いに強く相手を意識しているのではあるが、ともに初めての子育てであるので、どうしても子に目が向きがちであった。その為、しばらく疎遠になっていたのである。 ある日、蓋が寝静まった後の事である。 「ねぇ、あなた…」 姜が、甘えた声を出してきた。母親になって以来、こういう声を聞くのは久しぶりである。 「ん?どうした?」 牛輔は、横になったままそう答えた。何が言いたいかくらいは、よく分かっている。 「もぅ…。分かってらっしゃるでしょ」 「あぁ…。ただ、どうにも眠たくってな…」 「それは分かります。わたしも眠いんですもの。でも…」 「でも…何だい?」 「わたしも、もう産褥から出ました。確かに今は蓋の母ですけど、女でなくなったわけではないのですよ」 「分かってるよ」 「分かってらっしゃるのでしたら…」 「そうか。じゃ…」 そう言うと、牛輔は姜の床にもぐり込み、彼女を抱いた。 子を産んだその体は、以前よりもやや丸みを帯びていた。子育てに忙しかった為、少し疲れの色は見えるものの、抱いた時の心地良さは変わらない。いや、むしろ良くなっているくらいである。 彼自身、多少の疲れはあったが、ひとたび抱くと、猛烈に求めずにはいられなくなった。 二人は、数ヶ月ぶりに、激しく交わった。 「はぁ…。やっぱりいいもんだな」 「でしょ?」 「しかし…。どうしたんだ?そなたから求めてくるなんて」 「だって…。あなたったら、今度来た乳母の事をじっと見てらっしゃるんですもの。わたし、つい嫉妬しちゃって…」 「あれは、蓋がきちんと乳を飲んでるかどうか見てたんだよ」 「そうなのですか?」 「あぁ。私が彼女に劣情を催したとでも思ったのかい?」 「若い女が夫の前で乳房をあらわにしてるんですよ。いくら授乳の為とはいえ。そんなところを見せられると、つい…」 「そうか。そう見られるとは、私もまだまだ人間ができてないって事か」 「いえ、そういうつもりでは…」 「そなたを責めているわけではないよ。…すまなかったな。子育てにかまけていて、そなたに構ってやれなくて」 「あなた…」 「そんな顔をするなよ。何だか、また催してきちゃったよ」 「えぇ。喜んで」 波風といっても、若い二人のそれは、この様なたぐいのものであった。
54:左平(仮名) 2003/06/15(日) 21:01 二十七、 忙しくはあったが、子育ての日々は、概ねこの様に平穏なものであった。 蓋は、普通の赤子よりも大柄で、乳もよく飲む。十分に栄養をつけた彼は、すくすくと育っていた。 そんなある日、牛輔邸に一人の来客があった。 「連絡したかと思いますが…。義兄上にお会いしたく、参りました」 「あぁ、若様。これはどうも。殿でしたら、ご在宅でいらっしゃいますので、どうぞこちらへ」 「では、上がらせてもらいましょう」 来客というのは、董卓の嫡子・勝であった。牛輔からみると義弟にあたる彼は、ほどなく志学(十五歳)になろうかという年頃である。 ちょうどその頃、牛輔は姜と一緒に、蓋をあやしているところであった。 「なに? 勝殿が参られたとな?」 「はい。堂にてお待ちしておられます」 「そうか。分かった、すぐに行く。蓋の様子を見に来られたのかな。姜よ」 「はい」 「しばらく勝殿と話をする。頃合いを見て、蓋と一緒に参れ」 「はい」 これが初対面というわけではないが、じっくりと話をするのはほとんど初めてと言ってよい。 (はて、どんな顔だったかな) 少し首をひねりつつ、牛輔は堂に向かう。 堂に入ると、数人の従者とともに、一人の少年 −いや、風貌は既に青年と言ってもよい。それくらい落ち着いて見える− が立っていた。 (これが勝殿か) 牛輔が見る義弟・勝は、義父・董卓ほどではないとはいえ、堂々たる体躯の持ち主であった。 「義兄上、お久しゅうございます」 勝は、うやうやしく拱揖の礼をとった。その仕種は実に自然なものである。これなら、礼に厳しい人にまみえたとしても、失礼であると咎められる事はあるまい。その立ち居振舞いから、彼がいかにきちんと身を修めているかが伺える。 また声は、高くもなく低くもなく、抑揚は滑らかであり、耳に不快感を与えない。心身ともに健やかに育っているという事であろう。 容貌は、義父とは異なり、穏やかな笑顔が印象的である。体格は父親に、顔は母親に似ている。 人からみると、妬ましいくらいによくできた義弟と言えるであろう。もっとも、彼をみると、そういう妬みの類の感情も生じさせない様である。 「おぉ、勝殿か。久しいな。まぁ、ゆっくり座って話そうではないか」 年下という事もあるが、勝には、人を威圧させる様なところはみられない。それゆえ、牛輔も割と気楽に話しかける事ができた。 「はい。では…」 義兄が座るのに呼応する形で、勝は席についた。その間の取り方一つとっても、礼にかなっている。 「今日来るとは伺っていたが、いかがいたしたのかな?」 「いや、大した用件ではないのですが…」 「気にするでない。我らは兄弟ではないか。何なりと申せ」 「はい…。年が明けると、私も志学になります」 「うむ。それで?」 「そろそろ、字をつけようかと思うのですが、どの様な字を用いれば良いか、義兄上に相談に乗って頂こうかと思いまして」
55:左平(仮名) 2003/06/15(日) 21:03 「そういう事か。それなら、喜んで相談に乗るよ。しかし、そなたを見ると、私が偉そうに教える事もなさそうだがな」 「まぁ、いくらか書を読んではおりますが…。私一人で決めるのも不安なもので」 「そういうものか。…分かった、ちょっと待てよ。その類の書を持ってくるから、二人でじっくりと考えようではないか」 そう言うと、牛輔は席を立った。 「う−む…。こんなものかな」 自室に戻った牛輔は、書を収めた箱を開け、中身を確認しつつ、数冊選び取った。この当時、字義の解説書としては「爾雅」などがあった(当時、「説文解字」は既に世に出ていたが、どの程度普及していたかは不明)が、それだけを見たわけではなかったであろう。複数の経書も参照したのではなかろうか。 「さて、勝殿。ゆっくりと考えましょう」 牛輔の自室から運ばれた、木簡やら巻物の束が、二人の間に置かれた。汗牛充棟とまではいかないものの、なかなかの蔵書量である。 「えぇ…。しかし義兄上、多いですね。こんなに多くの書を読まれるのですか?」 「いや、それほど読んでいるというわけではないが…。何かの時、役に立つという事もあるだろ?」 「こんな時に、な」 「はは…。そうですね」 「さて、読むか。とはいっても、あてもなく探すと時間ばかりかかってしまうな」 「そうですね。いかがいたしましょうか?」 「まぁ、今回は、勝殿の字を考えるわけだからな。名の『勝』に似た意味の字に絞ろう」 「『勝』というのは、『かつ』という意味がありますね。『かつ』という意味を持つ字となると…」 二人の間にしばしの静寂が訪れた。といっても、深刻なものではない。互いに、書に目をやっているので、話しようがないのである。そうして、ようやく幾つかに絞れてきた。 「『克』か『捷』、それに『戡』といったところですね」 「そうだな」 「このうちのどれかという事になるのでしょうが…。さて、どれにしたものやら」 「もう少し、意味を詳しくみてみようか?」 「そうですね」 「う−ん…。『戡』は勇ましい感じではあるが…」 「いくら『かつ』とはいえ、ちょっと血なまぐさい様な…(『戡』には『ころす』などの意味がある)」 「では『克』は…」 「確かに『かつ』ですが、どこか苦しんでる感じが…(『克』には『たえる』などの意味がある)」 「と、なると…」 「『捷』ですね…」 「『捷』か…。他に『はやい』とかの意味もあるな。ただ、ちょっと軽い感じがしないか?」 「そうですか?でも、悪い意味はないでしょ?」 「そう。悪い意味はない。じゃ、この字にするか」 「はい」 「もぅ、勝ったら。字一つ決めるのにいつまでかかってるのよ」 長いこと待たされた姜は、少し不機嫌そうであった。 「あっ、姉上。こりゃどうも…」 「まぁまぁ、姜よ。そう言うなよ。字といえば一生ものなんだから。じっくり考えさせてやれよ」 「もぅ、あなたまで。待たされてうんざりしてたのはわたしだけじゃないんですからね」 待ちくたびれたのであろうか。蓋は、すうすうと寝息を立てている。気がつくと、外は既に薄暗くなっていた。 「今日はうちに泊まりなさい。蓋と遊んでもらうまでは帰しませんからね」 「えぇ。そうさせてもらいますよ」
56:左平(仮名) 2003/06/22(日) 21:34 二十八、 結局、勝は、牛輔邸に一晩泊まる事になった。翌日。 「じゃ、気をつけてな。義父上によろしく伝えておいてくれよ」 「はい、承りました」 義兄達に見送られて、勝は帰っていった。 「父上、ただいま戻りました」 「おぉ、お帰り。勝よ。向こうの様子はどうだったかな?」 「ええ。義兄上も姉上も、お元気でしたよ。蓋殿も」 「そうか。そりゃ何よりだ」 「ほんと、仲の良い夫婦で…」 「なに顔を赤くしてるんだ。ははぁ…。隣で『あの』声でも聞かされたか」 董卓がそう言うと、勝は、ますます顔を赤くした。なりは大きくても、そのあたりはまだ少年である。その様子をみた董卓は、急に威儀を正してみせた。 「勝よ」 「はい、父上」 「年が改まれば、そなたも字を持ち、大人として扱われる事になる」 「はい」 「そなたは、大人になるという事がどういう事だと思っておる?」 「それは…」 そう言われると、どう答えれば良いのであろうか。勝は言葉に詰まった。 「なに、そう難しく考えずともよい。要するに、自分の今ある立場をわきまえ、それにふさわしく振る舞えばよいのだ」 「あっ、なるほど…」 父の一言により、難問はたちまち氷解した。そんな勝は、実に理解力のある少年である。 「もちろん、年が経てばおかれる立場も変わるから、それに合わせて自分も変わる必要があるのだがな」 「『君子は豹変す』ですね。父上のお言葉、しかと留めておきます」 「うむ。…まぁ、厳しい事もあるが、そればかりでもない。…そなたも、そろそろ女というものに興味が出てきた頃であろう。違うか?」 今度は、急にからかう様な口調に変わった。董卓の、このあたりの切り替えは実に素早い。 「…」 勝の顔が、また赤くなった。 「そろそろ、縁談を考えておる、姜の時もそうだったが、そなたの意に沿わぬ相手であれば、無理をする事はないからな」 「はい!」 父と子の、穏やかな日常の一こまであった。 そうして、しばしの時が流れた。そんな、ある日のこと。 「おう、伯扶。元気にしておるか」 牛輔邸に、何の前触れもなく、董卓が姿を見せた。 「ち、義父上!いかがなさったのですか!」 董卓の急な来訪に、牛輔達は驚きを隠せなかった。いつもなら事前に連絡してくるのに、今日は一体、どうしたのであろうか。
57:左平(仮名) 2003/06/22(日) 21:36 「どうした?驚いておるのか?」 「驚きますよ!来られるのでしたら連絡くらいしてください!何の支度もできないではありませんか!」 「ほほう。わしが来た事自体は大した驚きではなさそうだな」 「義父上ではありませんか。来られる事には驚きませんよ」 「それを聞いて、ちと安心したよ」 「は?」 「堂へ行こう。実は、そなたに重要な話があるのだ」 「重要な、ですか…」 (はて、何の事だろうか。羌族の叛乱ではないのは確かだが…。まさか鮮卑?しかし、いくら何でも、并州を無視してここ涼州を攻めるとは考えにくいが…) 自分なりに持っている情報を整理するが、思い当たるふしはない。 「まぁ座れ」 「はい」 「わしの言う、重要な話とは何だと思う?」 「う−ん…。羌族も鮮卑も、今のところ目立った動きはありませんから、戦いという事ではなさそうですが…。私にはさっぱり見当がつきません。一体、いかがなさったのですか?」 「ははは…。『重要な話』というのは悪い話ばかりではないのだぞ」 「えっ?」 「そなたも、その様子では気苦労が多いだろうな。だが、その心構えは悪くない」 「おっしゃる事の意味が分かりませんが…」 「実はな、わしはこのほど、并州は広武県の令となったのだ」 董卓、牛輔の出身地が涼州である事は前述したが、并州はその東隣である。その中心地は晋陽といい、春秋時代からその名が知られているが、そのさらに北に、雁門(広武)という邑がある。董卓は、そこの県令になったのである。 広武という県の規模はよく分からないが、中程度の県の令でも六百石の官(大きい県の令だと千石の官)というから、前職の郎中(比三百石の官)よりも俸禄は高い。俸禄が高いという事一つとっても、董卓の地位が上がった事が伺える。 「令という事は…昇任ではございませんか! 義父上、おめでとうございます!」 「うむ。ただ、一つ問題がある」 「何でしょうか?」 「県令になるという事は、その地に赴任せねばならぬという事でもある。広武県は并州の中でも北方に位置するだけに、ここにちょくちょく立ち寄るというわけにはいかぬ」 「そうですね。と、なりますと…」 「そう、我が軍団をどうするかという問題が生じるのだ」 「いったん解散して、義父上の復帰を待つというわけには…」 「そうはいかん。兵というものは、いったんなまってしまうと、なかなか元には戻らんものだからな」 「確かに」 「そこで、だ。しばらくの間、そなたに我が軍団を託そうと思うのだ」 「なんと!」 牛輔は、驚きを禁じ得なかった。
58:左平(仮名) 2003/06/29(日) 13:40 二十九、 この軍団は、長年にわたって董卓自らが育ててきたもの。それを、一時的に、娘婿にとはいえ、他人に渡すとは…。自分が信頼されている事は嬉しいが、若干の戸惑いもある。義父の真意はどこにあるのだろうか。 「私でよろしいのですか?第一、勝、いや、伯捷殿がおられるではありませんか」 「確かに。いずれは、勝に継がせるつもりではあるがな。ただ…」 「ただ?」 「勝には、わしとは異なる道を歩んでもらおうと思っておる。ゆえに、いま軍団を預ける事はできぬ」 「異なる道、ですか…。それはいったいどういう事ですか?」 何か考えがあっての事の様だ。ならば、その考えを聞いておこう。 「うむ。わしは軍事には自信があるが、政治の事についてはいま一つよく分からん。出自の事もあるから、よくて地方の太守あたりになれればといったところであろう」 「はぁ…」 「だが、わしが言うのも何だが、勝はよくできた子だ。あれには、もっと上を目指してもらいたい。そうなると、軍事のみに携わるのではなく、政治というものを知っておく必要が出てこよう」 「という事は…。伯捷殿を広武に同行させ、政治の何たるかを学ばせようという事ですか」 「そうだ」 「おっしゃる事は分かりました。ですが、それでしたら、なぜ叔穎(董旻。董卓の弟)殿ではなく、この私なのですか?」 「不満か?」 「いえ、私は構いません。ですが、姓の異なる私が、義父上の弟である叔穎殿をさしおいて軍団を預かるというのは、いささか問題があるのではないかと思うのですが」 「ふむ。そなたはそう思うか」 「はい」 「なかなかよく考えておるな。だが、気遣いは不要だ。旻には旻の務めというものがある」 「叔穎殿には叔穎殿の務め、ですか。それでしたら、私があれこれ言う事もありませんな」 「まぁな。そなたが励んでおる事は姜から聞いておる。そなたであれば、大過なくこの務めを果たしてくれるであろう、とな」 「分かりました。それでしたら、喜んでお引き受けいたしましょう」 「うむ。我が軍団を、頼むぞ」 「はい」 「そうそう、今日は、そなたの配下となる者達を連れて来ておるのだ」 「私の配下、ですか」 「そうだ。いくら何でも、そなたが全てをみるわけにはいかんからな。今から紹介しよう。おい、入れ」 「では、失礼します」 そう言うと、三人の男達が入ってきて、それぞれ席についた。董卓に従って戦場を駆けてきたせいか、皆、堂々たる体躯の持ち主である。だが、年の頃は自分とさほど変わらないであろうと思われる。 「ん?一人足りんな。どうした?」 「あぁ、新入りのあいつですか。まだ来てない様なんですよ」 「何だ、まだか。まぁ、都から帰ったら来いとしか言わんかったからな。まぁ良い。そいつは後だ」 「そうですね。では、私から自己紹介を」 「そうだな。始めるか」 そう言うと、その男は牛輔の方を向いた。
59:左平(仮名) 2003/06/29(日) 13:43 「初めてお目にかかります。私は、姓名を李カク【イ+鶴−鳥】、字は稚然と申します。北地郡の出です。どうぞよろしく」 「ああ。こちらこそ、よろしく頼むよ」 字があるという事は、それなりの家の出であろう。その字が稚然という事は、兄弟が多いのだろうか(長幼の序列を示すのに伯仲叔季という字がよく用いられるが、稚というのはそのまた後に用いられる事がある。したがって、彼には四人以上の兄がいた可能性がある。実際、史書にも兄がいた事は記されている)。 挨拶の仕方もきちんとしているし、変に肩肘張ったところはない。頭の方も、まずまずといったところか。なかなか、頼りになりそうである。 続いて、二人目の男が口を開いた。 「わ、私は、郭レと申します。張掖郡の出です」 こちらは、やや緊張している様だ。ただ、悪い感じはしない。ちょっと前の自分をみる様で、微笑ましいくらいである。 「あれ?字はないのかい?」 「それが…。まだ加冠してないもので、字は…」 「そうか…」 「どうだ、伯扶。そなたが字をつけてやったらどうだ」 「えっ?私がですか?」 「そうだ。勝の字もそなたが考えたのだし、これからこいつらの長になるのだからな。ちょうどよかろう」 「急に言われましても…。あの時は、あれこれと書物を引っぱりだしてようやくでしたから…」 「なに、仮のもので良いのだ。今、この場で思いつくものを挙げてみよ」 「う−ん…。しかし、私は彼の事を何も知らないわけですし…」 「ちなみに、こいつは次男だ」 「次男となれば『仲』とつくでしょうが、もう一文字が…」 (名が「し」だからなぁ…「し」の字は、えぇっと…) この時、牛輔はちょっとした勘違いをしていた。郭レの名は『レ』が正しいのであるが、何がどうしたのか『侈』と聞き間違えたのである。 (『侈』ってのは、『おおい』って意味だから…そうだ!) 「仲多、なんてどうでしょうか」 それを聞いた途端、董卓と李カク【イ+鶴−鳥】は大笑いし始めた。 「『ちゅうた』!? ははは、そりゃいいや。まるで鼠だな、おい」 「ほんとに。いかにも、ちょろちょろしてるこいつらしい字ですね」 「えっ?」 二人の笑い声を聞いて、牛輔は勘違いに気付いた。 「まっ、間違えました!もう一度、考え直します!」 「いやいや、それで決まりだ。レよ、そなたの字は『仲多』だ。いいな」 董卓は、笑いながらそう言った。しばしこの地を離れるとはいえ、この軍団の主の言葉は絶対である。 「はっ、はぁ…」 郭レも、照れ笑いを浮かべながら了解した。
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