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小説 『牛氏』 第一部
68:左平(仮名) 2003/08/03(日) 21:53 三十四、 牛輔が目を開けた時、空一面に星が瞬いていた。まだ、真夜中である。だが、夜明け前に夜襲をかけるとなれば、決して早すぎるという事はない。 (よし、出撃だ!) もう賊の隠れ家は近い。昨日から馬に枚を銜ませているくらいであるから、大声を出すわけにはいかない。細かく伝令を発し、小声で命令を発するさまは、傍目には滑稽に見えるが、やってる当人にとっては真剣そのものである。 「どうやら、指示は行き渡った様だな」 頃合いをみて旗幟を掲げると、それに応えて兵達が得物をすっと上げた。大声は出せないから、これが合図となる。いよいよ、攻撃開始の時が来た。 漆黒の中を、千余りの兵が黙々と進んだ。これほど気を遣う行軍も、そうはあるまい。もっとも、その行軍自体はすぐに終わった。賊の隠れ家のそばに着いたからである。 「あれが、賊の隠れ家か」 二、三百人はいるというが、はなから襲撃される事など考えてはいないのであろうか。一応の囲いくらいはあるが、これといった備えはしていない様だ。打ち破るのはたやすかろう。とはいえ、ぐるりと包囲するには、兵が足りない。兵法には「十(倍)なれば即ち之れを囲い、五(倍)なれば即ち之れを攻め〜」とあるから、四、五倍程度では包囲殲滅という手段はとれそうにない。 (さて、どうしたものか) 考える猶予は余りない。夜が明けてしまっては、せっかく夜襲を試みた意味がないからである。 (そうだ。先の戦いでは使えなかった火計、使ってみるか) 前回は義父に止められたが、今度の相手は、羌族ではなく、テイ【氏+_】族の単なる賊に過ぎない。彼らが相手なら、義父も、火計を咎めたりはすまい。また、風についても問題はない。やってみる価値は十分にあると言えよう。 「弩兵は東に回り込み、用意が整ったら、一斉に攻撃を開始せよ。そなた達の攻撃が、他の者達への合図になる。心してかかれ」 弩兵達は、無言でうなづいた。 「やつらに、たんまりと火矢を食らわしてやれ」 「火の手が挙がったら、騎兵は喚声を発しつつ、一気に駆けて敵を蹴散らせ」 「長兵は逃走を図る敵を突き倒し、短兵は人質や女子供がいないか探しつつ敵を斬れ」 軸となる戦術が決まれば、後の流れは決まる。指示を受けた兵達は、一斉に配置についた。 全ての配置が終わったのは、予定通り、夜が白む前の事であった。 「者ども、撃て−っ!」 合図とともに、一斉に火矢が放たれた。乾燥したこの地では、いったん可燃物に火がつくと、実に簡単に燃え広がるのである。火は、瞬く間にあたりを覆っていった。 にもかかわらず、賊の反応は鈍かった。自分達が襲われるとは思いもよらなかったし、東の方から明るくなった為、気付くのが遅れたという事もあった。ともあれ、この遅れが、致命傷となった。 「なっ、何だ?」 「かっ、火事だ!」 「なっ、なんでだ!?」 「うわっ!」 「どうした? ぐえっ!」 火の手が挙がると同時に突入してきた騎兵達により、賊はあっけなく倒されていった。ようやく落ち着きを取り戻し、反撃を試みようとするも、今度は続々と来る長兵に圧倒され、動きがとれない。 戦いとはいえないくらいの、一方的な展開である。 夜が明ける頃には、賊はほぼ壊滅していた。一方、こちらの犠牲は殆どない。文句無しの完勝である。 (ほう。伯扶め、なかなかやるではないか) いかに兵力差があるとはいえ、この戦果は見事なものである。これには、董卓も十分に満足した。
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