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小説 『牛氏』 第一部
85:左平(仮名)2003/09/28(日) 22:13AAS
さして大きな林ではなかったが、思ったとおり、泉があった。泉には、清澄な水がたたえられている。
(そういえば、こういう所で父上と母上が会われたんだったな…)
前述のとおり、牛輔には母の記憶はない。しかし、緑と静寂に包まれたこの場所に、どこか懐かしいものを感じずにはいられなかった。
「盈よ。私は、ここで産まれたのかも知れぬな」
何の気なしにではあるが、そんな言葉が出てきた。別段深い意味はないのだが、盈には甚だ意外な言葉である。
「えっ?殿は牛氏のご嫡子ではないのですか?なにゆえ、この林で産まれたなどと…」
省20
86:左平(仮名)2003/10/05(日) 23:01AAS
四十三、
「殿。何か物音がしませんでしたか?」
盈が半身を起こし、小声でそう聞いてきた。大型の獣だとすれば、横になったままでは危険である。
「あぁ、聞こえた。だが、そう大きい音ではなかったな。我々の身が危ないというわけでもなさそうだ」
眠気のせいもあったが、牛輔は割と冷静にそう判断した。
省45
87:左平(仮名)2003/10/05(日) 23:04AAS
二人は、賈ク【言+羽】と鳥の、どちらを見れば良いのかと一瞬迷った。しかし、迷う必要はなかった。
「殿!あれを!」
「あ!あれは!」
二人とも、思わず声をあげていた。後で考えると、よく気づかれなかったものである。
賈ク【言+羽】は、片手を腰の袋に入れ、中から二、三個の石ころを取り出していたのである。
しばらくその感触を確かめ、じっくりと鳥の行方を見定めたかと思うと、腕を巧みに折り曲げ、手首に捻りをかけて、その石ころを鳥に向かって投げた。
省40
88:左平(仮名)2003/10/12(日) 23:33AAS
四十四、
翌日、賈ク【言+羽】と盈が戻ってきた。幸い、二人であの様子を見ていた事は気づかれなかった様だ。
「盈よ。どうであった?」
「はい。あれからずっと見ていたのですが、他には妙なところはございませんでした」
「そうか…。ともあれ、一安心だな」
省41
89:左平(仮名)2003/10/12(日) 23:35AAS
「ですが、義父上も私も、漢朝の人間であり、羌族とはしばしば戦っております」
「そう。その、羌族の血によって、わしの地位はますます上がりつつある…」
董卓の眉間に深い皺が寄った。彼には、明らかに羌族に対する同情がある。にもかかわらず、漢朝に仕えている以上、否応なしにこういう現実に向き合わねばならない。豪壮と言われる董卓の内面にある、この苦悩のほどは、余人にはなかなか理解できまい。
(かく言う私にも、一体どの程度分かっているのであろうか…)
義父に対する敬意があるが故に、何と言えば良いのか迷うところである。
「だが、他に手段がないのだ」
省18
90:左平(仮名)2003/10/19(日) 23:47AAS
四十五、
「あなた」
ふと気づくと、後ろに姜が立っていた。いつも明るい彼女であるが、今日はまた一段と機嫌がいい様である。
「ああ、姜か。どうした?何かいい事でもあったか?」
「分かりますか?」
省34
91:左平(仮名)2003/10/19(日) 23:49AAS
「殿!羌族が動き始めましたぞ!」
季節が秋から冬に向かいつつあったある日、盈がそう言いながら駆け込んできた。それは間違いなく急報であり、事態が切迫している事を感じさせる。
「そうか、来たか。で、兵力はいかほどだ?」
「完全にはつかめておりませんが…およそ千ほど」
「千か…」
牛氏・董氏の両軍団の兵員を総動員すれば、数の上では十分に上回る。三千も用意すれば十分であろう。もう何度となく戦いを重ねているので、このあたりの計算は慣れたものである。
省24
92:左平(仮名)2003/10/26(日) 23:32AAS
四十六、
羌族の兵の動きは、ほどなく牛輔達の知るところとなった。
「殿!あれを!」
「む、あれは…。間違いなく、羌族の兵だな」
「いかがなさいますか?」
省41
93:左2003/10/26(日) 23:35AAS
(我らは、知らぬ間に窪地に入っているではないか!)
そして、ふと見上げると、羌族の騎兵の姿が映った。それも、一騎、二騎ではない。
(我らは包囲されたのか!)
こうなると、形勢は完全に逆転してしまう。
周囲は、崖とは言わないまでも駆け上るにはやや苦しい坂になっている。ここで包囲されたりしたら、いかに数にまさるとはいえ、勝てるという保証はない。急いで脱出せねばならないが、ここを抜けるには、前進か後退しかない。しかし、もうあたりは薄暗くなっている。このままではまずいが、かといって、前後の状況が分からないのでは手の打ち様がない。
省35
94:左平(仮名)2003/11/02(日) 21:44AAS
四十七、
「話は分かった。しかし、それだけの兵があれば良いのか?」
「はい。私が率いる部隊は、あくまでも陽動部隊です。ですから、この程度の人数で十分です」
「しかし、それならそれで、どうしてその様な者達を使うのだ?必要ならば、もっと精鋭を引き連れても良いのだぞ?」
「お言葉は嬉しいですが、この策を成功させるのには、この者達こそが最適なのです。少なくとも、私はそう判断しました」
省43
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