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小説 『牛氏』 第一部
87:左平(仮名) 2003/10/05(日) 23:04 二人は、賈ク【言+羽】と鳥の、どちらを見れば良いのかと一瞬迷った。しかし、迷う必要はなかった。 「殿!あれを!」 「あ!あれは!」 二人とも、思わず声をあげていた。後で考えると、よく気づかれなかったものである。 賈ク【言+羽】は、片手を腰の袋に入れ、中から二、三個の石ころを取り出していたのである。 しばらくその感触を確かめ、じっくりと鳥の行方を見定めたかと思うと、腕を巧みに折り曲げ、手首に捻りをかけて、その石ころを鳥に向かって投げた。 手から離れた石ころは目にも留まらぬ速さで飛び、鳥の体に命中した。鳥は、さっきの二羽と同様、まっさかさまに地面に落ちていった。 表情が変わらないところを見ると、あれはまぐれではない。いや、確実に撃ち落とせるという自信さえ感じられる。 「盈よ。見たか、今のを」 「はい。しかと」 「文和がしょっちゅう遠駆けに出ていたのはこの為であったか…」 牛輔にはおおよその見当がついた。肉がつかず、腕力では他の者達にかなわぬと思い知ったがゆえ、自分に褒められた俊敏さを生かそうと鍛錬を積んでいたというわけか。そして、いつの間にかこれほどの腕前に…。 「たいしたやつだな」 そう、関心せずにはいられなかった。 「まったくです」 盈も、同感とばかりにうなづいた。 「おっ、夕焼けか…。あっ!しまった!」 「殿!大声を出してはならないと…」 「すまんすまん。姜と約束してたんだ。今日は日没までには必ず戻るって。…急がんと間に合わんぞ」 「ですが、文和殿の様子を探るにはまだ不十分かと」 「それはそうなのだが…。すまん、盈よ。そなた、ここに残って様子を探ってはくれんか?」 「えっ?それは、まぁ、構いませんが…」 「では、頼むぞ」 そう言うやいなや、牛輔は馬の方に走り出していた。 (妻を怖がっていると思われるかな…) ちょっと情けなくはある。が、姜の怒った顔を見たくないという思いは、その情けなさにまさっていた。 「頼むぞ。全速で走り切ってくれ」 戦場においても、これほど馬をせき立てる事はない。そう思うほどに駆け続け、ようやく自邸の門にたどり着いた時、日はまさに地平線の下に消える寸前であった。 「ま、間に合った…」 なかば倒れこむ様にして、牛輔は邸内に着いた。 「お帰りなさいませ」 「あぁ。結局、盈と一緒に遠駆けしただけだから、何もなかったが…」 「いいんですよ。その様な事は」 そう言って出迎える姜は、笑みを浮かべていた。自分との約束をきちんと守ってくれた事が、何より嬉しかった様である。その笑顔を見た事で、ほっと人心地ついた。 「さ、今晩は…」 甘えた声を出したかと思うと、姜は牛輔にもたれかかってきた。いつの間にか、帯も緩んでおり、艶っぽい素肌が垣間見える。 「分かってるよ。たっぷりと…」 牛輔も微笑を浮かべた。もう慣れてはいるが、惚れた女の媚態である。悪い気はしない。
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