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小説 『牛氏』 第一部
88:左平(仮名) 2003/10/12(日) 23:33 四十四、 翌日、賈ク【言+羽】と盈が戻ってきた。幸い、二人であの様子を見ていた事は気づかれなかった様だ。 「盈よ。どうであった?」 「はい。あれからずっと見ていたのですが、他には妙なところはございませんでした」 「そうか…。ともあれ、一安心だな」 「そうですね。…しかし殿、ああいうところで大声を出さないでくださいよ。文和殿に気づかれない様にするのにえらく苦労したんですから」 「はは…。すまんかったな」 (配下に注意されるあたり、威厳という点では私もまだまだだな) 牛輔は、そう思い、苦笑した。 −数年が過ぎた。 皇帝の愚昧、宦官の跳梁跋扈、そして、それらを批判し正すべき士大夫層の無力化…。様々な理由により、中央政府はろくに機能していない状態にあった。 それを嘲笑うかの様に、北方においては、檀石槐率いる鮮卑族による寇掠が繰り返されていた。 幸い、鮮卑の脅威に晒され続ける幽州、并州に比べると、ここ涼州は比較的平穏ではある。 (しかし、それはとりあえずの幸運に過ぎぬ。ひとたび檀石槐の如き傑物が現れたなら、今はおとなしくしている羌族やテイ【氏+_】族もまた…) 羌族による、かつての大乱を知る人々はまだ多い。それだけに、いつ来るか分からない脅威に対する危機感は強かった。その危機感の故、董氏や牛氏がその勢力を蓄える事をよしとする雰囲気がある。まだ父の後を継いだわけでもないというのに、牛輔の家産と家人が増えつつあるのが、その証と言えよう。 穏やかな秋の陽気の中、一人中庭に立った牛輔は、静かに彼方の空を見上げた。 「羌族なくして、今のわしはなかった…」 秋の澄み渡った空を仰ぎ見ながら、牛輔はふっと、義父・董卓がある時しみじみとそう話していたのを、思い起こしていた。 「そうではないか。わしの父は、数十年にわたって漢朝に忠勤を励み、数々の功を為したというに、県の尉にしかなれなかった。我が兄もまた、豊かな才を持ちながらも、その地位は上がらず…幼子を残して夭逝してしまった…」 「…」 「わしは、ただ膂力に優れていただけでまとまった学問をする事はなかった。普通ならば、到底立身など適うまい。しかるに今、かつて夢想だにしなかった高位にある…。不思議だとは思わんか?」 「しかし…。義父上は、漢朝の為に大いに働かれたのですから、高位に就くのも当然では…」 「そうか?ならば、なにゆえ我が父、そして兄は高位に就けなかったのか?二人には功がなかったのか?」 「それは…」 「理由は一つしかない。父や兄には、富がなかったからだ」 「富?では、義父上はいかにして富を得られたというのですか?」 「それよ。あれは、もう二十年以上も前の事になるかな…。羌族の集落で世話になった礼に、耕牛を殺して少しばかりの酒肉を振る舞った事があったのだ。すると、その答礼に大量の牛馬を頂いてな。それを人に貸したり売り払ったりして、相当の財を得たのだ」 「その様な事があったのですか」 「そうだ。あの財によって、わしは立身の足がかりを得たのだ」 「なるほど…」 「そればかりではなく、かわいい女もついてきた、と」 「それって、ひょっとして義母上…」 「そうだ」 「なんともまぁ…」 その様な結ばれ方があるのか。何とも微笑ましい話で、思わず顔がほころんでしまう。だが、現実における、自分達と羌族の関係は…。
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