小説 『牛氏』 第一部
111: 左平(仮名) 2004/02/09(月) 00:15
しばらく後−王甫邸に、王萌・王吉、二人の姿があった。ともに、王甫が呼んだ理由までは分かっていない。
「二人ともよく来てくれた。実はな、話というのは…」
「何と!」
これには二人とも驚くしかない。とはいえ、この謀の成否は自分達の生存に関わってくる。慎重に考えねばならない。
「中華の歴史は長い。その中では、こういった事もままあったはず。そうだな?」
「はい」
省36
112:左平(仮名) 2004/02/22(日) 21:29
五十六、

今回の皇后廃位は、皇帝は自分の意思によると思っているであろうが、王甫の差し金によるという事は公然の事実であった。それは、王甫の実力を知らしめる事になる一方で、敵を増やす事にもつながった。なにしろ、彼だけではなく、養子の王萌・王吉もまた、要職にあって権勢を振るう一方で、あちこちに敵をつくっていたのであるから。
史書によると、二十歳そこそこで沛国の相となった王吉は、性残忍であり、在任期間五年でおよそ一万余りの人を殺したという。沛は漢高祖・劉邦の故郷にして大国であったから、人口も多くそれだけ犯罪も多かったろうが、この数は異常である。当然、多くの無辜の民が殺戮されたであろうから、それだけ人々の恨みを買っていたはずである。

(党錮といい、皇后廃位といい、萌・吉の振る舞い様といい…どうもわしが矢面に立つ格好になっておるな。備えをしておかんと)
省30
113:左平(仮名)2004/02/22(日) 21:31
「党錮以来、宦官どもの横暴には目に余るものがある。これ以上黙ってみておるわけにはいかん」
とある邸宅の一室で、数人の男達が集まっていた。党錮の禁以来、表立って宦官批判の言論を述べるのは極めて困難になっているが、通常の人付き合いまで完全に排除できるものではない。彼らは、何かに事寄せては会合を持ち、宦官勢力打倒の計画を練っていたのである。
「まことに。最近では、その養子達までもが悪逆な振る舞いを為し、民を苦しめておるというではないか」
「そうだ。孝順皇帝以来、連中は養子をとる事でその爵位・食邑を継承しておる。曹常侍(曹操の養祖父・曹騰の事)は孝順皇帝の擁立並びに多くの人材を推挙したという功の故、まだ良いとしても、王甫・曹節の如き功無き輩までもがその恩典に浴しておるという有様だ。このままでは、漢朝は連中によってぼろぼろにされてしまうぞ」
「うむ。あの連中ならば、簒奪さえもやりかねん。あやつらは、奸智のみは王莽並みだからな」
「君側の奸か。ならば、除くしかない」
省30
114:左平(仮名)2004/03/07(日) 23:16
五十七、

四月。朔に日食があった。 日食は、往々にして不吉な前兆とされるが、もうこの頃になると、少々の怪異などは珍しくもないという感さえある。何しろ、先月も京兆で地震があったばかりなのだから。
ただ、それを、いささか違う思いで見上げる者達がいた。陽球達である。
「あれを見よ。一度は日が消えてしまうが、また再び現れてくる様を。これは吉兆ぞ。我らの働きによって、宦官という闇を除き、漢朝に光を呼び戻すのだ」
先に話し合われた謀を実行する時が、近づきつつあった。
省39
115:左平(仮名) 2004/03/07(日) 23:17
「何事だっ!」
あたりの騒々しさを聞いた王甫が姿を現した。いかに宦官とはいえ、さすがに宮中随一の実力者。態度は堂々としたものである。
「あっ、殿!そっ、それが…」
「何がどうしたと言うのだ。落ち着いて説明せい」
「これはこれは、王中常侍殿ではありませんか」
王甫の姿を見つけた陽球は、あえて丁寧な態度をとった。相手の警戒心を緩くする為である。
省29
116:左平(仮名) 2004/03/21(日) 22:44
五十八、

段ケイ【ヒ+火+頁】邸に陽球とその配下達が姿を見せたのは、それから間もなくの事であった。

「何事かな?この様な大人数で」
表の騒ぎを聞いた段ケイ【ヒ+火+頁】が姿を現した。まだ、何が起こったのかは分かっていない様子である。
省33
117: 左平(仮名) 2004/03/21(日) 22:47
「こちらへ」
「うむ。…ほぅ、これはまた随分な扱いだな」
彼がいざなわれたのは、牢獄であった。特別な設備などは何も無く、一般の囚人が入るそれと変わらない。これは、現職の−この時点では罷免する旨の詔勅はまだ出ていない−太尉に対する扱いとは思えない。
(こやつ、王中常侍ばかりでなく、わしをも罪人とするつもりか)
牢獄自体は、かつて戦った辺境の地の過酷な気候を思えば何という事はないが、この扱いには承服し兼ねるものがある。さすがの彼も少しばかり不機嫌な表情になった。
「いかがなされた?」
省33
118:左平(仮名) 2004/04/25(日) 21:12
五十九、

陽球の顔から嘲笑の色が消えた。その顔は一見穏やかそうに見えるが、それこそ、酷吏・陽球の本性がむき出しになる瞬間であった。
(あ−あ、やっちまったよ…)
捕えられた時点で、この父子の運命は既に決まっていた。しかし、わざわざ余計に苦しむ事もなかろうに。属吏達は、半ば呆れていた。
「うるさいやつだ。口を塞いでしまえ」
省31
119:左平(仮名) 2004/04/25(日) 21:14
腹部に至ろうかというところで、ついに王甫の首がぐったりと倒れた。属吏がいったん打つのをやめ、心拍と呼吸の有無を確認する。
「心臓は止まっております。息もありません。死にました」
「そうか、存外早かったな。まだ手足の形がこれだけ残っておるというのに」
「まぁ、年寄りですからね。むしろ、ここまでよくもったものです」
「そうだな。あとの二人もさっさと片付けろ!」
「はっ!」
省27
120:左平(仮名) 2004/05/03(月) 23:31
六十、

「紀明殿。いかがなされた?」
「これから尋問であろう。さぞ長くなるだろうから、一つ家の者に連絡しておかんと、と思ってな」
「そうですか」
(何をたくらんでおる?自らの助命でも嘆願するつもりか?無駄な事を。まぁ、かつての勇将が無様に命乞いをする様というのも、それはそれで見物ではあるがな)
省34
1-AA