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小説 『牛氏』 第一部
125:左平(仮名) 2004/06/13(日) 23:55 「では話すぞ。よいな、一語一句、書き漏らしてはならぬぞ」 「…はい」 皆、神妙な面持ちである。董卓が「〜してはならぬ」と言った場合、それを守れなかったら後が怖いし、何より、あの董卓自身の神妙さをみると、とてもだらけてなどはおれない。 時は初夏。少し暑いくらいであるが、みな、汗も出ないくらいに緊張していた。 「段公は…鄭の共叔・段(春秋初期の覇者・鄭の荘公の同母弟)を遠祖とし、西域都護・(会)宗の従曾孫であらせられます…」 董卓は、まず段ケイ【ヒ+火+頁】の祖先(とされる人物)の名を挙げた。共叔・段自身は、兄の荘公に叛逆して敗れたというから、歴史上においては、さして傑出した存在というわけではない。しかし、鄭国の初代にあたる桓公・友(荘公、共叔・段の祖父)は周王の子であり、周王室と同じ姫姓という事になるから、それだけでも、どこぞの馬の骨とは違うという証になろう。 この時代にあっては、そういう出自がものをいうのである。強調するに越したことはない。 「段公は…若くして弓馬の道に通じられ、長じては古学を好まれました…」 続いて、その人となりと経歴を語った。実は、若い頃の段ケイ【ヒ+火+頁】は遊侠(任侠の徒)であり、放埓に振る舞っていたが、年を経て学問に目覚め、孝廉に挙げられたという。 その人生はなかなか波乱に富んでおり、最初からおとなしく六経を暗誦していた者とは気構えが違う。 若い頃遊侠であったという履歴は董卓にも重なるものであり、彼は、その経歴を誇りに感じてさえいた。 「段公は…辺境を荒らす鮮卑、羌族をしばしば討ち、伏波将軍(馬援。「矍鑠」という言葉はこの人の故事からきた)もかくやという戦果を挙げられました。…敵は容赦なく殲滅する一方で、兵をいつくしみ、辺境にある間、蓐に入る事もなさらず、ただひたすら漢朝の為に戦ってこられました。…京師(洛陽)に帰還なされた後は、高位を歴任し……」 そう語る中、董卓は胸が詰まる様な思いがした。 段ケイ【ヒ+火+頁】の歩んできた道は、まさに、武人としてのあるべき姿そのもの。自らが理想とするものであった。その人が、今、ゆえなくして投獄されている。 何としても、その人の危難を救いたい。その思いには、一点の偽りもなかった。 董卓の弁舌は、お世辞にも巧みなものではないが、その訥々たる言葉の数々は、その場にいた人々の胸を打つに値するものであった。もし彼が洛陽にあって救解に努める事が出来たならあるいは、とも思われたほどである。
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