小説 『牛氏』 第一部
17:左平(仮名)2003/02/09(日) 21:47AAS
これから、妻を迎えようとするところである。落ち込んではいられない。
門が開いた。馬車がゆっくりと中に入っていく。別邸とはいえ、なかなか広い。中庭で、彼は手綱を董氏の家人に預け、車から降りた。

堂(中庭の側が吹き抜けになっている広間)に上がり、祖廟での一連の儀礼が終わると、新妻を車に乗せる
事になる。
姜が、姿を現した。彼女もまた、当時の儀礼に従い、新婦が身につける纓(えい:頭にかける紐飾り)を除いては、わりと地味な衣装をまとっている(古礼によると、この時の衣装は、黒いものを用いるという。これでは喪服と同じではないか、と思うかも知れないが、古代の喪服は白いものを用いたというから、問題はない)。顔は、ここからではまだよく分からない。照れて、顔を合わせるのもままならないのである。それは、向こうも同じらしい。顔を伏せ気味にしてこちらに近付いてくる。
省19
18:左平(仮名)2003/02/16(日) 00:28AAS
九、

一通りの儀礼を終えた二人は、ゆっくりと、居室に入った。室内には寝具が整えられており、燭台には火がともっている(当時の照明に用いられたのは、木片か獣脂。木片は松明の形で、獣脂は、灯心をさして蜀台の上で燃やした)。寝具は、もちろん一つしか用意されていない。
別に、寝所に入る際にはゆっくり歩かなければならないというわけではない。しかし、急ぐ事はできなかった。晴れて夫婦になったとはいえ、なにしろ、初対面である。そんな相手と、いきなり男女の交わりを持つのであるから、心は逸るものの、体がいう事を聞かない。二人とも、全身が緊張していた。

ようやく、寝具のところに腰を落ち着けると、二人は向き合った。さっき、車に乗り込む際に顔を合わせたはずなのであるが、あの時は緊張の中にいた為、顔をよく見ていなかった。いま、ようやく互いの顔を見つめあった。
省36
19:左平(仮名)2003/02/16(日) 00:31AAS
体の緊張が、(一箇所を除いて)少しずつほぐれてきた。
言葉を交わす事で、彼女の人となりが、何となくではあるが見えてくる。その表情といい、声といい、変な翳りは感じられない。彼女は、心身ともに健やかに育った事は間違いなかろう。それ故、少なくとも、夫である自分を故なく軽んじる事はなさそうである。
妻、そして母としてはどうであるかはまだ分からないが、一人の女として彼女を見れば、特に文句をつける様なところはない。あとは、自分が彼女にふさわしい男になれるかどうか、である。

「じゃ、そろそろ…」
「えぇ…」
省33
20:左平(仮名)2003/02/23(日) 22:21AAS
十、

事が終わり、重なっていた二人の体が離れた。呼吸は荒く、体と寝具は、汗やら何やらで、ぐっしょりと湿っている。
「こんなに…」
「ん?」
「こんなに…いいものだなんて…。お父様とお母様がしょっちょうしてるのも分かるわ…」
省39
21:左平(仮名)2003/02/23(日) 22:24AAS
「婦」という字は、「女」と「帚」から成り、「ほうきを持った女」という意味あいを持つ。そもそもは、神を祀る宗廟を清めるという重要な役割を担っていた様である。この頃には、そういう意味は失われていたものの、婦人が、家庭内においては重要な存在であった事は間違いない。単に、夫の快楽の相手というだけではないというのは、今も昔も同じである。

夫との関係は良いものとなろう。それだけに失敗は許されない。そう、緊張して臨んだ儀礼ではあったが、すんでみれば、そう大したものではなかった。
(良かった。お義父様もお義母様もお優しい方で)
十分に練習はしてきたものの、完璧にできたというわけではない。しかし、真摯に取り組んでいるさまを見て、二人とも大目に見てくれた様である。
自分の顔を見た時、舅がちょっと驚いた様であったが、特に何も言われなかった。あれは、何だったのだろうか?ちょっと気になったが、すぐに頭から消えた。
省16
22:左平(仮名)2003/03/02(日) 18:25AAS
十一、

牛氏の邸宅に、数人の男達が訪れた。多くの戦場を踏んできたのであろうか。その顔つき・体つきは、精悍そのものであった。その中でも、ひときわ体格の大きい男が、門番に話しかけてきた。

「ご主人はおられるかな?」
「えっ? 失礼ですが、どちら様でしょうか。今日は、お客様が来られるとは聞いておりませんが…」
省36
23:左平(仮名)2003/03/02(日) 18:27AAS
ふと気付くと、外が騒がしい。きりのいいところだし、ちと休むか。そう思った牛輔が部屋の外に出ると、家人達が忙しく立ち働いている。食事時でもないのに配膳の支度をしているのである。
「随分忙しそうにしてるが、何かあったのか?」
「あ、若様。実は、董郎中様がお見えなのです。で、酒肴の支度をする様に、との事なので」
「えっ!? 義父上が? で、いかがなさっておられる?」
「いや、今は殿とお話されております。どうも、大事なお話をされている様で…」
「そうか」
省40
24:左平(仮名)2003/03/09(日) 21:48AAS
十二、

その後、牛朗と董卓は、しばし談笑した。董卓にとっては、やはり隴西の方が気楽である様だ。ときおり、弘農の人間に対する愚痴もこぼれる。
「ははは…。まぁ、そうおっしゃられるな。もう一杯、いかがですかな?」
「えぇ。では、頂きます」
「しかし…。それならば、何故に弘農に移られたのですかな?」
省45
25:左平(仮名)2003/03/09(日) 21:50AAS
「確かに、その通りの様ですな…。ここまで話が一致するとなれば、そうとしか考えられません。…と、なると…。伯扶殿と姜とは、従兄妹同士という事ですか」
「恐らく」
「こりゃまた…」
「まぁ、大した事ではありますまい。輔と姜殿は、姓が異なりますからな」
「それはそうですが…。名族・牛氏としてはそれでよろしいのですか?」
「えぇ。構いません」
省28
26:左平(仮名)2003/03/16(日) 21:37AAS
十三、

「おいおい。そう驚くなよ」
「おっ、驚かないわけがないでしょ! 従兄妹同士が交わったなどとは…。それでは、私達は禽獣以下という事ですか!」
「わっ、わたし、もぅ…」
二人とも、泣き顔になっている。こんな事が明るみになれば、人から何と言われるだろうか。その事を考えると、前途には絶望しかない。
省32
1-AA