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小説 『牛氏』 第一部
6:左平(仮名)2003/01/05(日) 23:52AAS
三、
夜。天空には、月と星が輝いている。そして、地上には、一人それを見つめる男がいた。人並み外れた巨躯を持つその男の名は、董卓という。
一人夜空を見つめているからといって、別段、何か考えていたというわけではない。ただ、月が美しかったから、それを眺めつつ酒を呑んでいたのである。風は少し冷たいが、なに、大した事ではない。
「お父様。わたしの夫となられる方が決まったそうですね」
後ろから、声をかける者がいる。愛娘の、姜である。愛らしい顔つきといい、小柄な体つきといい、母親の瑠によく似ている。十五、六というと、まだまだ幼いと思われるだろうが、古代中国においては、女子は、十五歳で笄礼を行い、成人したものとされるから、もう結婚の事をいっても不思議はないのである。
【『韓非子』外儲説右下篇に、斉の桓公が「丈夫は二十にして室有り、婦人は十五にして嫁せよ(男子は二十歳で妻を娶れ。女子は、十五歳で嫁に行け)」と布告した、という話がある】
「あぁ、そうだよ」
振り返った董卓が、そう答える。戦場で敵と対峙する時の鬼気迫る姿からは想像もつかないほど、その顔は穏やかであった。平時だからという事もあるが、彼は、家庭愛が強いのである。特に、娘の姜には甘い。
「お相手は、どんな方ですの?」
少し甘えた口調で、父に尋ねる。そんな口ぶりも、母親に似ている。
「牛氏の嫡子で、名を輔、字を伯扶(この作品中での字:実際の字は不明)という。まぁ、隴西の牛氏といえば、なかなかの名門ではあるな」
「家の事ではございませんよ。わたしは、伯扶様の事を知りたいのです」
「あぁ、伯扶殿の事か。…まぁ、実のところを言うと、わしもよく知らぬのだ。真面目で、もの静かな青年という事だがな。まだ会った事はない。容貌は、なかなからしいな」
「もの静かな青年、ですか…」
姜は、少々戸惑いを覚えた。父とは全く性質の異なる人物らしい。どの様に接すれば良いのだろうか。その様子をみた董卓が、さりげなく尋ねる。
「不満か? 不満なら、無理せずとも良い。この話をなかった事にしても良いのだぞ」
もちろん、牛氏との縁談は、董卓にとっても望むところではある。一族と共に弘農に移住したとはいえ、郷里である隴西に影響力を残そうとすれば、その地の名族と結びつくのが最も良い方法なのであるから。しかし、姜の意に沿わぬのであれば、無理をする必要はない。彼は、本気でそう考えていた。
「いえ、不満というのではないのですが…。男の方の事はさっぱり分かりませんから、少し不安なんです」
「不安か。ふふっ、瑠が聞いたら何と言うかな?」
董卓は、少しからかう様に言った。
「お母様と一緒にしないで下さいよ。お母様の場合は、結婚前からお父様の事を知ってたし、好きだったそうじゃありませんか。お爺様に言われて牛馬を届けた際に、そのまま嫁いだって…。わたしは、伯扶様の事は何も分からないし、好きも嫌いもないし…」
「まぁな。わしも、あれには驚いたもんだぞ。羌族の女とは何と大胆なんだってな。どうだ、おまえも、納采の儀の前に伯扶殿の胸に飛び込んでみるか?」
「そんな! そんな事をして伯扶様に嫌われでもしたら、わたしは…」
姜は、声を詰まらせた。今にも泣き出しそうな顔をしている。
「冗談だよ。わしと瑠は特別だ」
董卓は、そうなだめた。
「まぁ、二人ともどうしたのです? まだ起きてたのですか?」
そう聞いてきたのは、正妻の瑠である。子供達は既に十代に達しているとはいえ、彼女が董卓のもとに嫁いできたのは、まだ十代の時であったから、年は、ようやく三十を少し過ぎたといったところである。
立身した董卓には既に側室がいるが、二人の夫婦仲は至って良い。彼は、膂力もさる事ながら、精力(性的なものばかりではない)にも相当なものがあり、数人の妻女を満足させる事ができたのである。
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