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小説 『牛氏』 第一部
95:左平(仮名) 2003/11/02(日) 21:46 賈ク【言+羽】の話が進むに連れ、兵達の顔に恐怖の色が浮かんだ。 説明によると、この策の実行にあたっては、夜陰に乗じて敵のすぐ脇をすり抜け、囲みの外に出る必要があるというのである。いくらなんでも、そんな事ができるのであろうか…。 (これだけの軍勢がいるってのに、どうしてまたそんな危険な賭けを…) 皆、不審に思った。正攻法でかかっていけば勝てるはずであるのに、こんな事をする必要があるのかと。 「怖いか。まぁ、無理もないだろうな。私も怖いからな」 「じ、じゃどうして…」 「では、逆に問おう。『今』、そなた達は怖いと思ったが、それはなぜだ?」 「そ、それは…おら達より相手の方が強いし…」 「そなたも仲間達も、昼間は勇敢に戦っていたではないか。なぜ今は怖いと言う?」 「…だって、今は囲まれてるんですよ…」 「だろうな」 「すいません。でも、怖いもんは怖いですよ」 「責めておるわけではない。人とはそういうものだからな」 兵にしろ、政にしろ、『法』というものの対象は、基本的には平凡な者達である。稀にしか現れない非凡な者に頼っていては、常に成功するという目標が達成できないからである。 彼らをいかに動かすか、それが重要なのだ。ここが、自分の才知の見せ所となる。賈ク【言+羽】の心は、静かに高揚していた。 「ただ、もう少し考えてみよ。自分がその有様だ。他の者は、敵に囲まれていると知っても落ち着いていられると思うか?」 「そ、それは…」 「確かに、我らの方が数にはまさっていよう。しかし、浮き足立った状態で敵と戦ったところで、いたずらに犠牲が増えるばかりだ。ならば、たとえ危なっかしくとも、我らでこの策をやってみる価値はあるとは思わぬか?」 「でも、おら達にそんな事ができるんですか?」 「私は、そなた達ならできると思っている。ともかく、だまされたと思って私の指示に従ってみよ」 「分かりやしたよ。やってみましょう」 「よし。では今から出発だ」 あたりは、完全に闇の中にある。かすかに瞬いていた星達も、今は雲に隠されている。風はないので、しばらくはこの状態であろう。 (よし。ちょうどいい具合に曇ってくれたな) 賈ク【言+羽】は、早くもこの策の成功を確信した。 完全な暗闇の中を、松明も掲げずに兵達は進んだ。何も見えないので、当然手探りでゆっくりと進むしかないのであるが、そう長い距離ではない。 (囲まれているとはいっても、敵の兵力はさほどではない。せいぜい五、六列程度であろう。となれば、この状態で行軍するのは二、三里といったところか) 二、三里であれば、明け方までにはまだ十分な時間がある。詳しい説明は、そこからである。 すぐそこに敵兵がいる。そう思うと、かすかな物音にさえ緊張が走る。皆、寿命が縮む思いであった。
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