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小説 『牛氏』 第一部
96:左平(仮名)2003/11/09(日) 23:58AAS
四十八、
どのくらい経ったであろうか。敵兵の気配が消えた。
(どうやら、囲みの外に出たか)
そう思った賈ク【言+羽】は、隣の兵に、松明に火をつける様指示した。もちろん、敵に見えない様に工夫を凝らしたものを使う。
そうして、さらに進んだ。この策は、単に囲みの外に出るだけではなく、一定の距離をおく必要があるのである。
省44
97:左平(仮名)2003/11/09(日) 23:58AAS
(あの砂埃は…。間違いない。文和からの合図だ)
不安の中目を覚ました牛輔は、それを見ていささか落ち着きを取り戻した。策はうまくいっている様だ。これなら勝てる。
「者ども!頭上に盾をかざしつつ、全速で進め−っ!!」
その号令とともに、一斉に全軍が動き始めた。
「なっ、何だ?連中、急に動き出しやがったぞ」
省41
98:左平(仮名)2003/11/16(日) 22:20AAS
四十九、
「文和よ、よくぞやってくれた。そなたがいなければ、この勝利はなかったぞ」
戦の後、牛輔が最初にしたのは、賈ク【言+羽】を厚く賞する事であった。あの陽動部隊の活躍にはめざましいものがあったから、彼が賞
される事については、全く異論は出なかった。
省58
99:左平(仮名)2003/11/16(日) 22:22AAS
それからほどなく、義弟・勝のもとから一通の知らせが届いた。
「で、知らせには何と書かれてるんだい?」
「はい。無事に産まれ、母子共に至って健やかであるとの事です。女の子だそうで」
「それはよかった。で、名前は?」
「白、としたそうです」
「白?」
省20
100:左平(仮名)2003/11/24(月) 22:52AAS
五十、
そんな中、年が改まった。
室から外を見ると、地には、雪が積もっている。空は、さっきまでの曇り空が嘘の様に晴れ渡り、日の光が燦々と降り注いでいる。日の光が雪に反射され、きらきらと光る様は、何ともいえず美しいものである。
(伯捷が子の名に『白』とつけたのも、分からないではないな…。この、光の織り成す景色の美しさたるや、何物にも代え難い、崇高なものさえ感じさせるのだからな)
省38
101:左平(仮名)2003/11/24(月) 22:53AAS
はい。それは知ってます。でもぉ…。どうして、わたし達が母上のところに行ってはいけないのですかぁ?」
「それはな…」
(出産というものがどれほど壮絶なものか、口で話しても分かるのだろうか…。とはいえ、直に見せるのも何だしな…)
なかなか、うまい具合に説明できるものではない。
「ねぇ〜、どうしてぇ〜?」
「と、とにかく、だ。いま、母上は大変なところなのだ。そして、こればかりは、私も、そなた達も、何もしてやれないのだよ」
省27
102:左平(仮名)2003/11/30(日) 22:51AAS
五十一、
「おっと、一刻も早く姜をねぎらってやらんと」
そう思い返した牛輔は、ゆっくりと立ち上がった。自分としては、一家の主らしくすっくと立ち上がりたいところなのであるが、なにせ、眠い。思う様には体が動かないのである。
足元に多少のふらつきを見せつつ、産室に向かう。
省36
103:左平(仮名)2003/11/30(日) 22:53AAS
「では、話しておこう。まず、そなたの字は『伯陽』だ」
「『伯陽』、ですか?それには、一体どの様な意味があるのでしょうか」
「『伯』という字はそなたも承知しておろう。これには、三つの意味を込めている」
「三つの意味、ですか」
「そうだ。まず、『おさ(長)』という意味。そなたはこの家の大事な跡取りだからな。字にもそれを示しているのだ」
「はい。父上の字もそうなんですよね」
省42
104:左平(仮名)2004/01/01(木) 00:15AAS
五十二、
牛輔にとってみれば、この頃は、おおむね幸せな時期であった。
羌族との戦いがしばしばあったので平穏とは言い難いものの、これまでのところ大きな犠牲もなく済んでいるし、何より、姜をはじめとする家族にも恵まれている。
父も弟達も至って健やかであるし、義父・董卓も順調に位階を進めており、刺史や郡太守といった地位も考えられるところまできていた。
これならば、次代を担うであろう勝は、より高い位に就けるはずである。そう、牛輔の願い通り、全てがうまくいっていたのである。
省30
105:左平(仮名)2004/01/01(木) 00:15AAS
ことの起こりは、劉カイ【小+里】という人物の素行がよろしくなかった事にあると言えるかも知れない。少々長くなるが、その経緯を記しておく。
劉カイ【小+里】は、先帝(桓帝。諱は志)の弟である。兄の志が、質帝の崩御をうけて帝位に就く(本初元【西暦147】年)と、その翌年、蠡吾侯から一躍渤海王に昇格した。
今上帝の弟という事を考えると、この昇格自体は別段不思議な事ではない。しかし、傍系の皇族として、一県程度の食邑しか持たない貧しい侯であった(しかも、兄がいるのだからその嫡子ですらない)のがいきなり郡規模の食邑を持つ富貴な王になったのである。自由に使える財貨も増えるし、配下の人数も後宮の規模も、格段に大きくなる。彼自身にとっては、望外の喜びであったろう。
しかし、そこに落とし穴があった。
桓帝が即位したのが十五歳の時というから、その弟である彼は、当時、まだ十歳そこそこといったところであったろう。人格を練る事もなく、そんな年でいきなり富貴を得たらどうなるかは、我々の身近にもまま見られるところである。
省16
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