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小説 『牛氏』 第一部
100:左平(仮名) 2003/11/24(月) 22:52 五十、 そんな中、年が改まった。 室から外を見ると、地には、雪が積もっている。空は、さっきまでの曇り空が嘘の様に晴れ渡り、日の光が燦々と降り注いでいる。日の光が雪に反射され、きらきらと光る様は、何ともいえず美しいものである。 (伯捷が子の名に『白』とつけたのも、分からないではないな…。この、光の織り成す景色の美しさたるや、何物にも代え難い、崇高なものさえ感じさせるのだからな) 雪景色を見ながら、牛輔は、ぼんやりとそんな事を考えていた。 今、彼は、これから産まれて来る我が子につける名を考えているところである。だいぶ以前から考えていたのだが、戦やその後の処理などがあった為、なかなか考えをまとめられずにいた。 長男の名が『天蓋』からとって『蓋』なので、次の子には何か地にちなんだ名を、と考えているのだが、これがなかなか難しいのである。 (単に地を示すというだけでは、兄の名と釣り合わないしな…。ん?『つりあう』か。う−ん…) (「つりあう」…「均衡」…ん?「きん」?これで何か良い字はないものかな…) (そうだ、「白」には【五行思想における】金という意味合いもあるんだったな…。義父上からすればともに孫だ。あの娘との釣り合いも考えないと…) (おっ、そうだ!) 脈絡なく考えているうちに、ようやく、それらしい字が思い浮かんできた。 金扁の字は幾つもあるが、『天蓋』に比べられる様な意味合いを持つ字句は、そう多くない。しかし、一つだけあったのである。 (『鈞』だ!!) 『鈞(きん)』。この字には、「ひとしい」という意味がある。それに加え、重量の単位とかろくろという意味合いも含んでおり、ろくろから転じて、造物主とか天の意をも示すという。 そして何より、この字のついた語句に『天蓋』に比べられる様な意味合いを含むものがある。 『鈞臺【きんだい】』−。それは、古の夏王朝の王・啓が、父の禹より王位を禅譲された益との争いに勝って王として即位した時に、諸后(諸侯)をもてなしたという地の名である。 諸后が鈞臺にいる啓のもとに集まったというその事実によって、夏王朝は成立したとみなす事ができるのだが、それは、中華の歴史に大きな一歩を記す出来事であった。 「左伝(春秋左氏伝)」にも、「夏啓有鈞臺之享。 商湯有景亳之命。周武有孟津之誓」という一文があり、これが、王朝成立にかかわる重大な出来事として考えられていた事がうかがえる。 それゆえ、夏王朝の時代にあっては、そこは一種の聖地であり、また、地の中心であると考えられもしたそうである。 (兄の名が天蓋を表し、弟の名が地の中心を表す…。なかなかうまい具合になるな。うん、これでいこう) こうして、その子の名は決まった。 子供の名前が決まったのを待っていたかの様に、姜が陣痛を訴え始めた。いよいよ、出産の時である。 産婦である姜に続き、手伝いの者達数名が産室に入っていった。 もう三人目であるから、初産の時の様に慌てる事はない。しかし、そうはいっても、なかなか慣れるものでもないのもまた事実。 牛輔にとって、出産が無事終わるまでの数刻は、またしても長い長いものとなった。そうこうしているうちに、いつしか日も落ちてゆく。 「父上ぇ〜。母上はぁ〜?」 子供達が母親の様子を案じてか、しきりに牛輔に寄りかかってくるのである。 「母上はな。いま、そなた達の弟を産もうとなさっているところなのだよ」 もう夜も遅い。そろそろ寝かしつけないといけないのだが、そう言ってむずがる子供達をなだめるのが精一杯である。いかにいっても、子供達は母親に懐く傾向が強く、父親にはさほど懐くものではない。それゆえ、こういう時の扱いには苦労する。
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