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小説 『牛氏』 第一部
118:左平(仮名) 2004/04/25(日) 21:12 五十九、 陽球の顔から嘲笑の色が消えた。その顔は一見穏やかそうに見えるが、それこそ、酷吏・陽球の本性がむき出しになる瞬間であった。 (あ−あ、やっちまったよ…) 捕えられた時点で、この父子の運命は既に決まっていた。しかし、わざわざ余計に苦しむ事もなかろうに。属吏達は、半ば呆れていた。 「うるさいやつだ。口を塞いでしまえ」 「はっ。しかし、口を塞いでは疑獄の件の自白が得られませんが…」 「構わん、やれ。舌を噛み切ったりしてさっさと楽になられてはつまらんからな」 「では…」 「待て。こやつらの穢れた口をふさぐのに、清浄な布など使ってはもったいない。そこらの泥で十分だ」 「はっ?あっ、はぁ…」 「んじゃ!これでも喰らいなっ!」 「んぐっ!」 王萌の口に、足元の泥がねじ込まれた。吐き出そうとしても、屈強な男達の手で手足を押さえ込まれ、口も完全に塞がれているのでどうにもならない。口中に広がる悪味と息苦しさとで、ばたばたともがいた。王甫と王吉は、ただ呆然とするばかりだった。すっかり気力が萎えていたのである。 その様をみた陽球の口元がかすかに動いた。それは、彼の心からの笑みであった。 「あとの二人にもだ」 「はっ!」 「じっくりと痛めつけてやれ。なに、時間はいくらでもある。既に勅許も得ておるのだからな。おっと、顔だけは傷つけるなよ。せっかく市に晒しても、こやつらだと分からなくては台無しだからな」 「…」 (なに故、この様な事に…。我らが党人を弾圧したのでさえ、もっとましだったというのに…) 王甫父子の顔に、恐怖と絶望の色が浮かんだ。勅許が出た以上、皇帝にすがる事もできない。もはやこれまでである。 「思い知るが良い。これが、なんじらに対する民の怒りだという事をな」 それから、どれくらいの時間が経ったろうか。ただの一瞬も止む事なく、王甫父子に向かって杖や鞭が振り下ろされ続けた。もちろん、手加減などあろうはずもない。陽球の本心は、疑獄の解明などではなく、王甫父子の抹殺に他ならないのだから。 単に殺すだけであれば、頭部を強打するだけでも良い。しかし、それでは足りぬ。 (ただ殺しただけでは飽き足りぬ。なぶり殺しにせねば気が済まぬわ。そうでないと、党錮で死んでいった者達の霊も浮かばれぬからな) 陽球は、そう思う事で、自身の内にある嗜虐性に基づくこの行為を正当化しようとした。 まずは、手足の指先から打たせた。しばらく打つと皮が破れ、肉がむき出しになり、骨が砕けた。骨が完全に砕けたのを確認すると、続いて腕と脛を打たせた。さらに、腿と二の腕。そうして、徐々に体幹部に近づいていく。 泥で口を塞がれながらもなお漏れる呻き声は、辺りに血と汗と糞便の臭いが増していくのと反比例する様に、段々と小さくなっていった。 「そうだ、もっと打て。東海には、何でもくらげとかいう骨のない生き物がいるらしいが、その様になるまで打ち続けるのだ」 属吏達を督励する陽球の姿には、明らかに狂気が宿っていた。そこには、普通の人なら一時もその場にいられないであろう、異様な雰囲気が漂っていた。
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