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小説 『牛氏』 第一部
18:左平(仮名)2003/02/16(日) 00:28
九、
一通りの儀礼を終えた二人は、ゆっくりと、居室に入った。室内には寝具が整えられており、燭台には火がともっている(当時の照明に用いられたのは、木片か獣脂。木片は松明の形で、獣脂は、灯心をさして蜀台の上で燃やした)。寝具は、もちろん一つしか用意されていない。
別に、寝所に入る際にはゆっくり歩かなければならないというわけではない。しかし、急ぐ事はできなかった。晴れて夫婦になったとはいえ、なにしろ、初対面である。そんな相手と、いきなり男女の交わりを持つのであるから、心は逸るものの、体がいう事を聞かない。二人とも、全身が緊張していた。
ようやく、寝具のところに腰を落ち着けると、二人は向き合った。さっき、車に乗り込む際に顔を合わせたはずなのであるが、あの時は緊張の中にいた為、顔をよく見ていなかった。いま、ようやく互いの顔を見つめあった。
(あぁ、この女(ひと)が…私の妻なのか…)
(わたしの夫は…この人なのね…)
二人は、しばらく無言のまま見つめあっていた。見とれていた、と言っても良い。とはいえ、一言も話さぬままに体だけ重ねるというのも味気ない。第一、こんなに緊張した状態で、うまくできるだろうか。
(何か話して、緊張をほぐさないと…)
傍目には、歯がゆく見えたであろう。もう、衣装を脱ぐだけで良いというのに、何を固まってるんだ、と。
しばらくして、ようやく牛輔の方から口を開いた。
「き、姜さん…」
「はい?」
「何から話しましょうか?」
「何から、とおっしゃられても…」
「う−ん…。ねぇ、姜さんは、どうして『姜』って名前なんですか?」
「えっ?」
「いや、今朝、父に聞かれたのですよ。『そなた、自分の名をどう思っている?』って」
「はい。それで、どうお答えしたのですか?」
「いえ、答える事はできませんでした。そんな事は考えてもいませんでしたから。そうしたら、父が、私の名の意味を話してくれたのです」
「あなたの名は、確か『輔』でしたよね。その意味ですか」
「そうです。父は、こう言いました。『わしを「輔(たす)」けて欲しい、そういう思いを込めて名付けたものだ』と」
「でも…。あなたはご長男ではないのですか?字も『伯扶』ですし。跡目を継ぐお方が、どうして『輔』なのですか?」
「そうなんですが…これには理由があったそうで…」
そして、父から聞いた事を話した。それまで聞く事はなかったとはいえ、他言を禁じられたわけではない。妻には話しておいても良かろう。
話を聞き終わった姜は、目を見張った。驚きを隠せない様である。そりゃそうであろう。牛氏と羌族との関係は、隴西に住む者であれば周知の事なのだから。
「では、あなたも…羌族の血を引いておられるのですね」
「えっ?じゃ、姜さんも…?」
「えぇ。わたしの母・瑠は、羌族の族長の娘です。何でも、かつて父が集落を訪ねた時に一目惚れして、牛馬を届けた際にそのまま嫁いだって…」
「そうでしたか」
「不思議なものですね」
「えっ?」
「そうでしょ。だって、わたしもあなたも漢人の家に生まれましたが、羌族の血を引いてるんですから。これも、何かの縁ですね」
「そ、そうですね…」
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