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小説 『牛氏』 第一部
98:左平(仮名)2003/11/16(日) 22:20AAS
四十九、
「文和よ、よくぞやってくれた。そなたがいなければ、この勝利はなかったぞ」
戦の後、牛輔が最初にしたのは、賈ク【言+羽】を厚く賞する事であった。あの陽動部隊の活躍にはめざましいものがあったから、彼が賞
される事については、全く異論は出なかった。
「ただ、殿。文和の率いた部隊の活躍ぶりは事実ですが、私の部隊の方が討ち取った敵の数は多いですぞ。なのに賞にこれほどの差がある
のはどういうわけです?」
この戦いにおいて相当活躍したと自負する李カク【イ+鶴−鳥】には、その点が少し不満である様だ。
(そうくるか。まぁ、確かにあげた首級の数でみれば稚然の言う事にも一理あるわけだがな)
二人の功はともに大きい。だが、将としてみれば、この戦いでの功は明らかに賈ク【言+羽】の方が上である。その場にいた者で、かつ、
部隊を率いるほどの者であれば、おのずと分かっても良さそうなものであるが。牛輔にはそう思えた。
(こうしたのには十分な理由があるという事を、私から言わずとも分かってもらいたいところだが、まだそこまではいかんか。まぁ、今後
の事がある。きちんと話をしておかんとな)
牛輔が賈ク【言+羽】を高く評価している事は今までにも何度か触れてきたが、別に賈ク【言+羽】のみを贔屓しているというわけではな
い。賈ク【言+羽】・李カク【イ+鶴−鳥】・郭レ・張済。彼らは皆、義父・董卓より託された、大事な配下なのである。これから、軍団
を支える人材として成長してもらわなければならない。こんなところで不満を持たれてはならないのだ。説明しておく必要があろう。
「そうだな。確かにそなたの功は大きい。しかし、だ。今回の文和の功は、単に敵を討ち取ったというだけではないのだ」
「では、他に何かあると?」
「そうだ。今だからはっきりと言えるが、あの時我らは窪地に追い込まれ、包囲されていたのだ」
「そうでしたか。そういえば、確かに周囲が坂になっておりましたね」
「そなたほどの豪の者であれば、そのくらい何という事もないであろう。攻め寄せてくる敵を、片っ端からなぎ倒せば済む事だしな。しか
し、我が方の大部分は、本来戦とは縁のない平民達だ。その様な者達にとって、敵に包囲されているという事実は、耐え難いほどの恐怖と
なるであろう」
「それは分かります。私とて、囲まれていたら冷静な判断はできないでしょうから」
「あのまま朝を迎え、包囲されている事が皆に知れたら…どうなっていたか」
「皆までおっしゃらずとも分かります。士気が低下して統制がとれなくなり、我が方の敗北という事態もあり得た、という事でしょう」
「そう、そこなのだ。今回の文和の功は、その最悪の事態を回避させたという点にこそある」
「文和が率いた陽動部隊が敵の目をこちらからそらすと共に、我が方の不利をも覆い隠してくれた、と。それゆえ、文和の功を大とした。
こういうわけですか」
「そうだ。分かってくれたか」
「分かりましたよ。…ふふっ、今回はあいつに手柄を譲っちまいましたね。今度は負けませんよ」
「その意気だ。そうあってもらわんとな」
そう言って、二人は笑みを浮かべた。
凱旋である。今までに何度もしてきた事ではあるが、牛輔にとって、今回のそれはひとしおであった。この様な感慨を抱くのは、初陣の時
以来であろうか。
(そういえば、あの時は蓋がもうすぐ産まれるって頃だったよな。で、今度は次男の誕生間近、か。不思議なものだ)
まだ産まれるのが男子かどうかは分からないのだが、そんな事を思うと、なぜか顔がほころんだ。
いつもの様に、門前には姜が待っている。見慣れたはずのその光景が、また新鮮に映る。
「お帰りなさいませ」
その声は、いつも明るく朗らかであり、これを聞く事で、我が家に帰ったという実感がわいてくる。
「あぁ、ただいま。留守中、何事もなかったかい?」
「はい」
「そうか、それはよかった。…ほぅ、また腹が大きくなっているな。赤子はよく育ってる様だ」
「はい。もうすぐですよ」
「そうだな」
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