小説 『牛氏』 第一部
112:左平(仮名) 2004/02/22(日) 21:29AAS
五十六、

今回の皇后廃位は、皇帝は自分の意思によると思っているであろうが、王甫の差し金によるという事は公然の事実であった。それは、王甫の実力を知らしめる事になる一方で、敵を増やす事にもつながった。なにしろ、彼だけではなく、養子の王萌・王吉もまた、要職にあって権勢を振るう一方で、あちこちに敵をつくっていたのであるから。
史書によると、二十歳そこそこで沛国の相となった王吉は、性残忍であり、在任期間五年でおよそ一万余りの人を殺したという。沛は漢高祖・劉邦の故郷にして大国であったから、人口も多くそれだけ犯罪も多かったろうが、この数は異常である。当然、多くの無辜の民が殺戮されたであろうから、それだけ人々の恨みを買っていたはずである。

(党錮といい、皇后廃位といい、萌・吉の振る舞い様といい…どうもわしが矢面に立つ格好になっておるな。備えをしておかんと)
そう考えた王甫は、皇帝に働きかけ、段ケイ【ヒ+火+頁】を太尉にした。段ケイ【ヒ+火+頁】は、前述の様に数年前にも太尉になっていた時期があるのだが、在任期間十ヶ月(熹平二【173】年三月に就任し同年十二月に罷免)で退任しているから、久々の復職であった。
太尉といえば三公の一つにして、軍事を司る官職。歴戦の勇将たる段ケイ【ヒ+火+頁】が三公の高位にいるというだけで、反王甫勢力には相当な威圧をもたらすはずであるし、何より、太尉に無断で軍を動かす事は至難の業。王甫自身は後宮におり、皇帝の近くに侍っているから、そうそう手が出せない。まずは一安心である。
もちろん、段ケイ【ヒ+火+頁】には、そんな王甫の思惑など知った事ではない。自らの任を全うするだけである。
(わしももはや従心【七十歳】を過ぎた。これが最後のご奉公となろうな)
知らせを受けた段ケイ【ヒ+火+頁】は、しみじみとそう思った。今宵の酒は、普段以上に胃に沁みる様な気がする。
(不思議なものだ。「三明」と呼ばれていた中で、最も恵まれなかったわしが最も立身するのだからな…)
「(涼州)三明」と並び称された三名のうち、皇甫規は、これより先、熹平三(174)年に七十一歳で亡くなっていた。また、張奐は未だ存命とはいえ、既に失脚して家に篭もっている。当時七十六歳。政治的にはもはや過去の人となっていた。
(力量をみる限りでは、あの二人よりわしが特にまさっているというわけでもなかろう。となると、運か。分からんものだな…)


段ケイ【ヒ+火+頁】の思いはともかく、この知らせは、董卓達には祝うべきものであった事は言うまでも無い。
彼は、涼州の英雄にして、尊敬すべき先達であるし、何より、董卓にとっては、かつて推挙してもらった恩人でもあった。それに、同郷の人が高位にあるとなれば、自らの立身を図る上でも何かと都合が良い。いい事ずくめなのである。

「義父上、お聞きになりましたか。このたび、段公が太尉になられたとか」
そういう事情を理解しているだけに、牛輔の声も自然に明るくなる。
「あぁ、聞いておるよ。我らにとっては、めでたい事だからな」
「まことにそうですな」
「そうそう、伯扶よ。鈞の様子はどうかな?」
「それでしたら、もう至って健やかでございますよ。もう自分で立ち上がる事もできます」
「ほほう。白ももう自分で立てる様になっておるからな。いや何より。先が楽しみだな」
「はい。必ずや、義父上の様な勇敢な武人に育ててみせますよ」
「そうだな。勝や、いずれ産まれるであろうその子達のよき補佐役になってもらわんとな」
「そうですね」
時に、光和二(179)年三月。うららかな、春の日のひとこまであった。しかし、都・洛陽において、秘密裏にある謀議が為されていたのに気付く者は、まだなかった。謀議に加わっている数名を除いては。
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