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小説 『牛氏』 第一部
16:左平(仮名) 2003/02/09(日) 21:45 八、 夕刻となった。太陽は地平線に没しつつあり、強烈な陽光も和らいでいる。少し風が吹いてきた。ここ隴西は内陸部であり、湿度は低い。頬に当たる、乾いた風が心地良い。 いよいよ、親迎である。今日、ついに、妻となる女(ひと)と会う事になるのだ。彼女はいま、牛氏の邸宅にほど近い、董氏の別邸で待っている。もちろん、父の董卓も一緒だ。 牛輔の心は、否応なしに高まっていた。 古礼によると、婚儀というものは、祝うべきものではなかったという。 妻を娶るというのは、子がそれだけ成長したという事を示す。それは同時に、親はそれだけ年老いたという事をも意味する。太古の人々は、その負の側面を意識していたのである。未知なるものへの恐れという意識がそれだけ強かったという事であろうか。 また、陰陽においては、男は陽、女は陰とされている(医学的には男性器の事を「陰茎」という。しかし、女性器と対比するとなると「陽物」と言ったりするのがその一例であろう)。妻を娶るという事は、陰を家に納れるという事になる、と考えられたのである。 それ故、婚儀は夜に行われた。陽光のもと、にぎにぎしく執り行うものではなかったのである。 とはいえ、この頃になると、人の有り様も変わっている。いつしか、婚儀は、その正の側面を意識するものに変質していたのである。まぁ、この時代は、儒に基づく礼教がやかましく言われていたから、儀礼の様式自体は、ある程度古礼にのっとっていたであろうが。 牛輔自らが手綱をとる馬車が、ゆっくりと動き始めた。馬車の扱いには慣れていないのであるが、不思議とすんなりと動いた。 太古に用いられた戦車は、ながえ(車につく、かじ棒。横木・くびきなどを介して、車と馬をつなぐ。一本ながえをチュウ【車舟】、二本ながえを轅という)が一本であったが、この頃には、二本のものが普通であった。この形の方が、効率が良く、また、馬の制御もやり易いのだという。もっとも、一本ながえの戦車には二〜四頭の馬をつないでいたのに対し、二本ながえの馬車には一頭の馬しかつながないのであるから、全体の力は下回りそうである。速度も、さほどではあるまい。 戦場を駆け回るのならともかく、妻を迎える分には、これくらいの方が良さそうである。 あたりが暗くなり、天空に星がまたたき始めた。先導する従者が松明に火をつけると、暗がりの中に馬車がぼんやりと浮かび上がった。 (これが正式な儀礼なのは分かっている。とはいえ…) 高まる心とは裏腹に、あたりの空気はしんと静まりかえっている。このまま、闇の中を走り続けるのだろうか。そんな気持ちにさえなってくる。 ふと気付くと、大量の松明がともっているのが見える。間違いない。董氏の別邸である。 (いくら、三日三晩火をともし続けるのが儀礼とはいえ、ちと多過ぎはしないか) 闇の中、董氏の別邸の周囲のみは、まるで昼間の様な明るさである。こういうところにも、董卓という人の性格が表れているという事か。 門が見えた。門前に、巨躯の男が立っている。岳父となる董卓、その人である。 その姿を認めた牛輔は、頃合いを見計らい、車上から拱揖(きょうゆう:両手を胸の前で重ねて会釈する)の礼をとった。董卓も、同じ礼を返した。まだこの時点では、互いに言葉を交わす事はない。ただ、目を合わせ、無言の中に何かを伝えようとするのみである。 (さすがは、歴戦の勇将。ものすごい威厳だ。向こうは、私の事をどう思っただろうか?頼りないやつと思っただろうか?) 彼の娘婿となれば、戦いに加わる事も多かろう。それ相当の力量が必要となるはずである。今の自分がそれにふさわしいかと言えば、自信はない。 (もっと武芸に励むべきだったか…。おっと。今は、親迎の儀礼を滞りなく済ませる事の方が先だったな)
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