小説 『牛氏』 第一部
31:左平(仮名)2003/03/30(日) 21:39
とはいえ、ここでは間違いなく、彼は一家の主である。若い家人達の指揮をとり、家内を治めるのは、なかなか大変な仕事である。
(父上には、しばし思い留まって頂いて正解だったな)
ちと情けないが、これで跡目を継いでいた日には、体がもたなかったかも知れない。
(とにかく、早く慣れないと…)
いずれ、自分が跡目を継ぐのである。のんびりしてはいられない。それに、いずれ出仕するとなれば、学問や礼儀、それに武芸も身に付けておかなければならない。

自分も大変ではあるが、姜は、もっと大変であろう。婦人としての修練もそこそこに、主婦になったのであるから。自分はまだ無官であるから、男としての仕事はまだ僅かであるが、彼女は女として一通りの仕事をせねばならないのである。

「無理するなよ。俺は、そなたがいてくれるだけでいいんだから」
夜、彼女を抱きしめながら、そういたわってやるのがせいぜいである。
「そう言っていただけると嬉しいです…」
そう言う声が、どこか弱々しく感じられる。気のせいか?忙しくて疲れているのか?ならいいのだが、やはり心配である。
「そろそろ冷えてくるからな。俺が暖めてやるよ」
「はい…」

数日後の事である。
自室で書を読んでいると、何だか外が騒がしい。ふと見ると、家人達が慌しく走り回っている。
「若様!…いえ、お館様!たっ、大変です!」
「どうした!騒々しいな、何事だ!」
「そっ、それが…。奥方様が、気分が悪いとおっしゃって…」
「なっ、何っ!姜が!」
「いかがいたしましょうか」
「と、とにかく、一刻も早く診てもらえ!」
「はい!」
(やはり具合が悪いのか…)

「ふむふむ、ほぅほぅ…。なるほどな…」
「で、いかがですか」
「なに、心配ご無用。ご懐妊ですよ」
「か、懐妊!それは、間違いないでしょうね!」
「えぇ。間違いないです。ご気分が悪かったのは、つわりのせいですな。ま、奥方様は初産になられるのですから、お体には十分ご注意なさる様にして下さい」
姜が懐妊…。という事は、もう何ヶ月かで、自分は父親になるという事か。いずれこういう日が来るのは分かっていたが、まだ、いま一つ実感はわかない。

「姜、具合はどうだ?」
「あっ、あなた。すみません…心配させてしまって…」
「いいんだよ。ゆっくり養生するといい。そなたの体は、今やそなただけのものではないんだから。無理はするなよ」
「はい」
「しかし…。ここから赤子が出てくるというのが、何とも不思議なもんだなぁ…」
「そうですね…。わたしも、よく分からないです」
「不安か?」
「確かに不安ですが…。でも、嬉しいです。確かに、今、あなたとの子供がここにいるんですから」
「そうだな…」
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