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小説 『牛氏』 第一部
34:左平(仮名)2003/04/13(日) 20:09
十七、
出立の日が来た。
真新しい戎衣(軍服)に身を包んだ牛輔の姿は、多少のぎこちなさを残してはいたものの、それなりに凛々しいものであった。
「あなた、行ってらっしゃい」
「あぁ。行って来るよ」
省40
35:左平(仮名)2003/04/13(日) 20:12
「こいつらは、目が良い。それに、一人で戦うほど無謀ではないし、逃げ出すほどの腰抜けではない。それではいかんか?」
「いえ、そうではなくて…。彼らは、体格といい、経験といい、てんでばらばらではございませんか。それでは、報告にぶれが生じるのではありませんか?」
「ふむ。そなたの言う事にも、一理ある。だが、わしにはわしの理がある」
「そうですね。よろしかったら、教えて下さいませんか?」
「そうだな。後学の為にも、話しておこうか」
省36
36:左平(仮名)2003/04/20(日) 20:27
十八、
部隊は、戦いの地に近付きつつあった。既に、吹く風は冷たくなりつつある。冬が近いのである。
果てしなく広がる平原にあるのは、ただ、僅かな灌木と枯草ばかり。いかにも、荒涼とした風景である。
(なにゆえ、羌族の叛乱は止まぬのか)
よくは分からないが、この風景に、その答えがある様に思われる。
省31
37:左平(仮名)2003/04/20(日) 20:30
乾燥したこの地では、少し動いただけでも砂埃が上がる。彼らの突撃を見ていると、なるほど、数百の敵が千以上に見えたのもうなづける。馬術ひとつとっても、遊牧の民である彼らの方が上である。
「長兵! 構え−っ! 弩兵! 矢をつがえよ!」
董卓の号令のもと、各々の兵士が動く。ほどなく、両者が激突した。
前列に並んだ長兵が、突進する敵に向かって一斉に戈を振り下ろした。単純な攻撃ではあるが、首筋に刃が突き刺されば直ちに致命傷となるし、これだけの重量物が頭に直撃したなら、死にはしなくても気絶する。これによって少なからぬ敵が打ち倒された。だが、多くはそれをかいくぐり、兵を蹴散らしていく。
騎兵と歩兵とでは、明らかに歩兵の方が分が悪い。騎兵の方が速いし、何より、練度が違うからである。
省24
38:左平(仮名)2003/04/27(日) 20:49
十九、
「郎中殿! いま火を用いればわが方はもっと楽に勝てますぞ! なにゆえ…」
「黙れ! その事は口にするでない!」
「しかし! このまま普通に戦い続けていては、勝利しても犠牲者が多く出ます!」
「分かっておる! だがな、火を用いるわけにはいかんのだ!」
省37
39:左平(仮名)2003/04/27(日) 20:51
「深追いは無用! 今宵は、この辺りに宿営するぞ!」
その言葉を待っていたかの様に、兵達は得物を手から離し、食事の支度を始めた。表情にはまだ十分に精気があるものの、長時間の激闘を経て、肉体の疲労は相当のものがあろう。確かに、ここらで休ませた方が良さそうである。
数人の兵が、敵の逆襲に備えて偵察に向かうと共に、交替で見張りに立つ。ここは、まだ戦場である。気を緩めきってはならない。
しばらくして、食事の支度が整った。日はもう暮れつつある。
「皆の者、今日はご苦労であった。恩賞については、おって沙汰を致す。身はまだ戦場にある故、存分にとはいかぬが、少しばかり酒を携えておる。飲むが良い」
省25
40:左平(仮名)2003/05/04(日) 02:15
二十、
考えてみれば、そうであろう。この時代の人士で、『孫子』を読んでいて『左伝』を読んでいないという様な者はまずおるまい。
そう言われると、自分の知識の浅薄さが、急に恥ずかしくなった。
義父は、経験と学問を積む事で、その人物・思考に確かな厚みを持っている。それに比べ、自分は…。牛輔は、黙りこくったまま、うなだれるしかなかった。
省35
41:左平(仮名)2003/05/04(日) 02:19
「ん? なんだ、伯扶か」
そっ、その声は!
「ち、義父上ではありませんか! こんな夜更けに何をしておられるのですか!」
「あぁ、ちょっとな」
そういう董卓の顔は、いつもとは少し違って見えた。そこはかとなく厳粛さが感じられるのである。これから凱旋する将には見えない。
省31
42:左平(仮名)2003/05/05(月) 21:21
二十一、
話?一体、どの様な話があるというのだろうか。羌族は文字を持たぬはず。口伝で何かしらの説話があるにせよ、これといった話があるとは考えにくいが…。
「そなた、羌族とはいかなるものだと思う?」
えっ?いかなるものか? 牛輔には、その問いの意味が分からなかった。
「いかなるものと急におっしゃられても…。我ら漢人にとっては、しばしば叛乱を起こす厄介な存在としか思えませんが…」
省40
43:左平(仮名)2003/05/05(月) 21:24
「そなたがこの話を信じぬのは、漢人の文字を重く見て羌族の口伝を軽んじるからであろう。まぁ、それならばそれで良い。しかしな、それならばなぜ『羌』と『姜』の字の類似をも軽んじる?」
「それは…」
そう言われると、何とも言い様がない。
「まぁ、どこまで事実かは分からぬがな。だが…」
董卓の表情が、また変わった。その顔には、紛れもない哀しみの色が浮かんでいた。
省37
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