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小説 『牛氏』 第一部
78:左平(仮名) 2003/09/07(日) 23:32 三十九、 「…」 賈ク【言+羽】の顔は、心なしか蒼ざめていた。 「文和、どうした。腕を打たれたくらいでそんなに痛いか」 「いえ…痛いのは痛いですが、それは大した事ではございません…」 「ならば、そなたの顔が蒼ざめているのはなぜだ」 「…今は立ち合いでしたから腕が痛む程度で済みました…。しかし、これが戦であったなら…私ごときは、真っ先にやられていたでありましょう…。それを思うと…」 「真っ先にというのは言い過ぎであろう。そなたでそれなら私はどうなる?」 決して冗談ではない。少しでもうっかりしておれば、倒されていたのはこちらであったのだから。 「殿は私よりお強いではございませんか…。それに、将たるお方が真っ先に倒されるなどあり得ません…」 「そなた、何が言いたいのだ?」 「…これでは、お仕えしていても何の役にも立てますまい…。私ごとき…」 そんな、自嘲的な言葉まで出てくる有様である。 (このままではまずいな。こいつ、豊かな才智があるというのに、すっかりくさってしまっている。どうしたものだろうか…) 『この男は使える』。義父にそう言った以上、この有様ではこちらも困るのである。何とかしなければ。 (そうだ。文和には、賊に捕らえられたという負い目があるんだったな) 考えるうち、ふと、その事に気がついた。 (そうか。それで、立ち合いたいなどと言い出したのか。自分は決して弱くはないぞという事を示したいが為に…) 自分になら勝てると思ったのか。そう考えると少し不快ではあるが、まぁ、これは事実であるからおいておこう。それより、何と言えば良いのか。 (弱いはずの私が勝った以上、「そなたは弱くないぞ」とは言いにくいしな…) いずれにせよ、何とかして励ますしかない。とはいえ、なまじ頭が切れるだけに、下手な励ましは禁物である。客観的な事実を挙げつつ、その才智を褒め上げてやろう。 「文和よ」 牛輔は、できるだけ重々しい声で語りかけた。よく義父が使うやり方である。 「はい」 その声調の変化に気付いたのか、賈ク【言+羽】の姿勢も少し改まった。少しはこちらの話に聞く耳を持った様だ。 「そなた、自分には何のとりえもないと思っておるのか?」 「私に何かあると?」 「そなた、私と立ち合っていて気付いた事はないのか?結果は結果として、そなたの全てが私に劣っていたというわけではないのだぞ」 「はぁ…」 「そなたの動作は実に機敏であった。…それは、勇将たる我が義父上にも劣らぬほどである」 「まことですか!」 信じられぬという様子であった。まぁ、無理もなかろう。だが、事実である。 「あぁ。私は間近で義父上の戦い振りを見たのだ。嘘ではないぞ。…ただし、そなたの腕は女と見紛うほどに細く、非力である。それで重い棒を振り回そうとしても、力負けするのがおちだ」 「確かに…。勝ちにこだわるあまり、いささか逸っておりましたな…」 「私がそなたに勝てたのは、この立ち合いが長く重い棒を使ったものだからだ。それ以外のものであればどうだったか。…そなたの頭であれば、勝つ方法くらいいくらでも考えつくであろう」 「そうでしょうか?」 「まぁ、今日明日にも戦があるというわけではない。ゆっくりと考えるとよかろう」 「はい。そうします」 しばし時間が経ったからであろうか。ようやく落ち着きを取り戻した様である。
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