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小説 『牛氏』 第一部
95:左平(仮名) 2003/11/02(日) 21:46 賈ク【言+羽】の話が進むに連れ、兵達の顔に恐怖の色が浮かんだ。 説明によると、この策の実行にあたっては、夜陰に乗じて敵のすぐ脇をすり抜け、囲みの外に出る必要があるというのである。いくらなんでも、そんな事ができるのであろうか…。 (これだけの軍勢がいるってのに、どうしてまたそんな危険な賭けを…) 皆、不審に思った。正攻法でかかっていけば勝てるはずであるのに、こんな事をする必要があるのかと。 「怖いか。まぁ、無理もないだろうな。私も怖いからな」 「じ、じゃどうして…」 「では、逆に問おう。『今』、そなた達は怖いと思ったが、それはなぜだ?」 「そ、それは…おら達より相手の方が強いし…」 「そなたも仲間達も、昼間は勇敢に戦っていたではないか。なぜ今は怖いと言う?」 「…だって、今は囲まれてるんですよ…」 「だろうな」 「すいません。でも、怖いもんは怖いですよ」 「責めておるわけではない。人とはそういうものだからな」 兵にしろ、政にしろ、『法』というものの対象は、基本的には平凡な者達である。稀にしか現れない非凡な者に頼っていては、常に成功するという目標が達成できないからである。 彼らをいかに動かすか、それが重要なのだ。ここが、自分の才知の見せ所となる。賈ク【言+羽】の心は、静かに高揚していた。 「ただ、もう少し考えてみよ。自分がその有様だ。他の者は、敵に囲まれていると知っても落ち着いていられると思うか?」 「そ、それは…」 「確かに、我らの方が数にはまさっていよう。しかし、浮き足立った状態で敵と戦ったところで、いたずらに犠牲が増えるばかりだ。ならば、たとえ危なっかしくとも、我らでこの策をやってみる価値はあるとは思わぬか?」 「でも、おら達にそんな事ができるんですか?」 「私は、そなた達ならできると思っている。ともかく、だまされたと思って私の指示に従ってみよ」 「分かりやしたよ。やってみましょう」 「よし。では今から出発だ」 あたりは、完全に闇の中にある。かすかに瞬いていた星達も、今は雲に隠されている。風はないので、しばらくはこの状態であろう。 (よし。ちょうどいい具合に曇ってくれたな) 賈ク【言+羽】は、早くもこの策の成功を確信した。 完全な暗闇の中を、松明も掲げずに兵達は進んだ。何も見えないので、当然手探りでゆっくりと進むしかないのであるが、そう長い距離ではない。 (囲まれているとはいっても、敵の兵力はさほどではない。せいぜい五、六列程度であろう。となれば、この状態で行軍するのは二、三里といったところか) 二、三里であれば、明け方までにはまだ十分な時間がある。詳しい説明は、そこからである。 すぐそこに敵兵がいる。そう思うと、かすかな物音にさえ緊張が走る。皆、寿命が縮む思いであった。
96:左平(仮名) 2003/11/09(日) 23:58 四十八、 どのくらい経ったであろうか。敵兵の気配が消えた。 (どうやら、囲みの外に出たか) そう思った賈ク【言+羽】は、隣の兵に、松明に火をつける様指示した。もちろん、敵に見えない様に工夫を凝らしたものを使う。 そうして、さらに進んだ。この策は、単に囲みの外に出るだけではなく、一定の距離をおく必要があるのである。 (よし、ここらあたりでよいか) 「皆の者。ここらで休息するぞ」 その言葉を聞くや否や、兵達は大きく息を吐き、その場に座り込んだ。皆、輜重の重い荷を背負っているので体は鍛えられているが、これほどの疲れを感じる行軍はなかったであろう。 「よくやってくれた。ここまで来られたというだけで、この策は六、七割がた成功だ」 このねぎらいの言葉は、本心からのものである。 「ですが、まだ策は終わっちゃいないんでしょ?」 「そうだ。これから、続きの説明をする。皆疲れているだろうがら、楽な姿勢で聞いてくれ」 「分かりやした。どうすりゃいいんですか?」 このあたりは、さすがに見込んだだけの事はある。皆、実に素直に話を聞く姿勢である。 「まず、持っている戈や戟にかぶせている袋をはずせ。紐で口を縛っているであろう。それをほどくのだ」 「はい。…あれ?袋の中に何か入ってますね」 「それを取り出すのだ。何か分かるか?」 「古い布きれだとか木の枝、それに幟の房…。こんなもの、一体どうするんですか?」 「それはこれから話す。次に、持っている戈や戟を逆にしろ」 「こうですか?」 「そうだ。そして、袋の口を縛っていた紐で、その布きれや木の枝、幟の房をゆわえつけるのだ」 「これって、何か箒みたいですねぇ」 「そうだ。箒の形にするのだ」 「こんな事をしてどうするんですか?」 「簡単な事だ。夜が明けるや否や、私の号令とともに、そなた達はこの箒で地を掃き清めるのだ。全力でな」 はぁ?兵達は、皆驚き呆れた。そんな事をして、一体何になるというのであろうか。しかし、命令は絶対である。 「皆、少し休め。夜明け前には作戦開始だ。…そうそう、水は飲んでも良いが、全部は飲むなよ。明日の朝、必要になるからな」 そう言うと、彼はすぐに横になった。兵達も、それをみて横になった。 そして、夜明けが近づいてきた。 (頃はよし) 賈ク【言+羽】は皆を起こすと、さっそく指示を出した。 「よいか、皆の者!」 「おぉ!」 「徒歩の者は箒を構えよ!」 その指示のとおり、兵達は皆箒を構えた。いくら訳の分からない命令でも、命令である。 「騎馬の者は、目を除いて顔を隠せ!」 こちらは精鋭である。精悍な面構えをした男達は、黙々と顔を布で覆った。鋭い眼光だけがのぞくその顔は、味方にはますます頼もしく映る。 「支度は整ったな。…者ども!かかれ−っ!!」 傍目には、滑稽な風景であったろう。数十人の男達が、必死の形相で地を掃きつつ走るのであるから。その掃き様は凄まじく、たちまちのうちに砂埃が空高く舞い上がった。
97:左平(仮名) 2003/11/09(日) 23:58 (あの砂埃は…。間違いない。文和からの合図だ) 不安の中目を覚ました牛輔は、それを見ていささか落ち着きを取り戻した。策はうまくいっている様だ。これなら勝てる。 「者ども!頭上に盾をかざしつつ、全速で進め−っ!!」 その号令とともに、一斉に全軍が動き始めた。 「なっ、何だ?連中、急に動き出しやがったぞ」 眼下の様子に気付いた羌族の兵達が、急いで将に報告する。 「何っ?愚かな。袋の鼠だという事に気付かぬか。者ども、窪地の出口を封鎖し…」 羌族の将がそう言いかけたところで、他の兵の叫び声にかき消された。 「あっ!あれは!!」 「何事だ! …!!」 後ろを振り返ると、もうもうと砂埃が舞い上がっている。そして、その中から数騎の兵が現れてきた。その姿は、まぎれもなく漢人のものである。となれば、あれは敵か! (敵の援軍か!) そんなはずはない。あれが董氏・牛氏の手の者としても、その本拠はここから数日のところにあるはず。仮に昨晩この囲みを抜け出た者がいたとしても、こんなに早く援軍が来るはずはない。しかし、ではあの兵は何か。 そう考えるうちに、砂埃の方角から鬨の声があがる。その声も凄まじく、相当な大軍勢である事をうかがわせる。 実際には数十人にすぎないのであるが、賈ク【言+羽】がえりすぐった、特に声の大きい者達である。常人の数倍は声を張り上げたであろう。声だけをとってみれば、なるほど大軍勢と思うのも無理はなかった。 (…) 羌族の将は、しばし思考停止の状態に陥った。兵達も混乱し、眼下の様子には全く目が向かなくなった。 そんな中を、賈ク【言+羽】率いる騎兵達は何度も何度も駆け抜けた。少数なのをごまかす為、繰り返して攻撃をかけていたのである。 そうこうしている間に、牛輔の軍は前後から窪地を脱した。一方は牛輔と李カク【イ+鶴−鳥】が、もう一方は郭レと張済が、それぞれ率いている。 「稚然は左に回って仲多とともに敵を挟撃せよ!私は右に回って済とともに敵を挟撃する!」 「心得ました!」 李カク【イ+鶴−鳥】はうなづくと、猛然と馬を走らせた。それをみて、牛輔もまた駆けた。 一刻もせぬ間に、決着がついた。もともと兵力は牛輔の方がまさっていた上に、あの奇襲の為に士気の差が歴然としていたのであるから、当然といえば当然なのではあるが。 (しかし危なかった) 一時的にではあるが窮地に陥っていた事を知るのは、牛輔、賈ク【言+羽】、盈を除けばほとんどいない。傍目には、またしても完勝と映るであろう。しかし、戦場というものがいかに恐ろしいか、牛輔は思い知った。 (文和を連れてきていて良かった。あれがいなければ、今頃どうなっていたか) それを思うと、背筋に震えが走る。 実際、賈ク【言+羽】の存在が、後に彼らの命運を分かつ事になるのである。だが、この時それを意識したのは、牛輔一人であった。 いや、正確にはもう一人いた。この戦いを、少し離れて見ていた男がいたのである。 「ふむ。あいつ、もう少しはやると思っていたんだがな」 「まぁ、兵書を読んだわけでもないでしょうからね。ああいう奇策には気付かなかったのでしょう」 「それもそうだな。となると、あの陽動部隊を率いた者が誰か気になるところだな」 「そうですね」 「伯扶自身ではなかろう。今までの戦いぶりを見る限りでは、そういう奇策を思いつく程の奸智はなさそうだしな」 「では誰が?」 「恐らく…文和だな。さぁ、帰るぞ」 そう言ってその場を去ったその男の姿は、どこか盈に似ていた。
98:左平(仮名) 2003/11/16(日) 22:20 四十九、 「文和よ、よくぞやってくれた。そなたがいなければ、この勝利はなかったぞ」 戦の後、牛輔が最初にしたのは、賈ク【言+羽】を厚く賞する事であった。あの陽動部隊の活躍にはめざましいものがあったから、彼が賞 される事については、全く異論は出なかった。 「ただ、殿。文和の率いた部隊の活躍ぶりは事実ですが、私の部隊の方が討ち取った敵の数は多いですぞ。なのに賞にこれほどの差がある のはどういうわけです?」 この戦いにおいて相当活躍したと自負する李カク【イ+鶴−鳥】には、その点が少し不満である様だ。 (そうくるか。まぁ、確かにあげた首級の数でみれば稚然の言う事にも一理あるわけだがな) 二人の功はともに大きい。だが、将としてみれば、この戦いでの功は明らかに賈ク【言+羽】の方が上である。その場にいた者で、かつ、 部隊を率いるほどの者であれば、おのずと分かっても良さそうなものであるが。牛輔にはそう思えた。 (こうしたのには十分な理由があるという事を、私から言わずとも分かってもらいたいところだが、まだそこまではいかんか。まぁ、今後 の事がある。きちんと話をしておかんとな) 牛輔が賈ク【言+羽】を高く評価している事は今までにも何度か触れてきたが、別に賈ク【言+羽】のみを贔屓しているというわけではな い。賈ク【言+羽】・李カク【イ+鶴−鳥】・郭レ・張済。彼らは皆、義父・董卓より託された、大事な配下なのである。これから、軍団 を支える人材として成長してもらわなければならない。こんなところで不満を持たれてはならないのだ。説明しておく必要があろう。 「そうだな。確かにそなたの功は大きい。しかし、だ。今回の文和の功は、単に敵を討ち取ったというだけではないのだ」 「では、他に何かあると?」 「そうだ。今だからはっきりと言えるが、あの時我らは窪地に追い込まれ、包囲されていたのだ」 「そうでしたか。そういえば、確かに周囲が坂になっておりましたね」 「そなたほどの豪の者であれば、そのくらい何という事もないであろう。攻め寄せてくる敵を、片っ端からなぎ倒せば済む事だしな。しか し、我が方の大部分は、本来戦とは縁のない平民達だ。その様な者達にとって、敵に包囲されているという事実は、耐え難いほどの恐怖と なるであろう」 「それは分かります。私とて、囲まれていたら冷静な判断はできないでしょうから」 「あのまま朝を迎え、包囲されている事が皆に知れたら…どうなっていたか」 「皆までおっしゃらずとも分かります。士気が低下して統制がとれなくなり、我が方の敗北という事態もあり得た、という事でしょう」 「そう、そこなのだ。今回の文和の功は、その最悪の事態を回避させたという点にこそある」 「文和が率いた陽動部隊が敵の目をこちらからそらすと共に、我が方の不利をも覆い隠してくれた、と。それゆえ、文和の功を大とした。 こういうわけですか」 「そうだ。分かってくれたか」 「分かりましたよ。…ふふっ、今回はあいつに手柄を譲っちまいましたね。今度は負けませんよ」 「その意気だ。そうあってもらわんとな」 そう言って、二人は笑みを浮かべた。 凱旋である。今までに何度もしてきた事ではあるが、牛輔にとって、今回のそれはひとしおであった。この様な感慨を抱くのは、初陣の時 以来であろうか。 (そういえば、あの時は蓋がもうすぐ産まれるって頃だったよな。で、今度は次男の誕生間近、か。不思議なものだ) まだ産まれるのが男子かどうかは分からないのだが、そんな事を思うと、なぜか顔がほころんだ。 いつもの様に、門前には姜が待っている。見慣れたはずのその光景が、また新鮮に映る。 「お帰りなさいませ」 その声は、いつも明るく朗らかであり、これを聞く事で、我が家に帰ったという実感がわいてくる。 「あぁ、ただいま。留守中、何事もなかったかい?」 「はい」 「そうか、それはよかった。…ほぅ、また腹が大きくなっているな。赤子はよく育ってる様だ」 「はい。もうすぐですよ」 「そうだな」
99:左平(仮名) 2003/11/16(日) 22:22 それからほどなく、義弟・勝のもとから一通の知らせが届いた。 「で、知らせには何と書かれてるんだい?」 「はい。無事に産まれ、母子共に至って健やかであるとの事です。女の子だそうで」 「それはよかった。で、名前は?」 「白、としたそうです」 「白?」 「何でも、この子が産まれる時雪が降っていて、その様子が大層美しかったのでそれにちなんだとか。父上も良い名だとお喜びだそうで」 「そうか…」 この時牛輔は、『白』という名にどこか引っかかるものを感じた。 (白…色としては白、五行では秋、西、金とかいった意味があるな…。この字自体には、私が知る限り、これといって悪い意味は見当たら ない。しかし…雪にちなんで名付けたというのはどうなのであろうか…) 雪は、冬に降るもの。春になれば融けて消えてしまうという、儚いものである。その様なものにちなんで子の名をつけるという事には、何 か問題はないのだろうか。そう思えてならなかった。 (勝…いや、伯捷は、そういう事に思いが至らなかったのであろうか。しかし、今更私が何か言うのも何だしな…) これは、ひょっとすると虫の知らせというものであろうか。そんな思いが頭をよぎる。 (いや、私ごときが人の命運を予測するなど…できるはずもないな。気のせいであろう) そう思った牛輔は、ほどなくこの事を忘れた。しかし、それはあながち気のせいでもなかったのかも知れない。
100:左平(仮名) 2003/11/24(月) 22:52 五十、 そんな中、年が改まった。 室から外を見ると、地には、雪が積もっている。空は、さっきまでの曇り空が嘘の様に晴れ渡り、日の光が燦々と降り注いでいる。日の光が雪に反射され、きらきらと光る様は、何ともいえず美しいものである。 (伯捷が子の名に『白』とつけたのも、分からないではないな…。この、光の織り成す景色の美しさたるや、何物にも代え難い、崇高なものさえ感じさせるのだからな) 雪景色を見ながら、牛輔は、ぼんやりとそんな事を考えていた。 今、彼は、これから産まれて来る我が子につける名を考えているところである。だいぶ以前から考えていたのだが、戦やその後の処理などがあった為、なかなか考えをまとめられずにいた。 長男の名が『天蓋』からとって『蓋』なので、次の子には何か地にちなんだ名を、と考えているのだが、これがなかなか難しいのである。 (単に地を示すというだけでは、兄の名と釣り合わないしな…。ん?『つりあう』か。う−ん…) (「つりあう」…「均衡」…ん?「きん」?これで何か良い字はないものかな…) (そうだ、「白」には【五行思想における】金という意味合いもあるんだったな…。義父上からすればともに孫だ。あの娘との釣り合いも考えないと…) (おっ、そうだ!) 脈絡なく考えているうちに、ようやく、それらしい字が思い浮かんできた。 金扁の字は幾つもあるが、『天蓋』に比べられる様な意味合いを持つ字句は、そう多くない。しかし、一つだけあったのである。 (『鈞』だ!!) 『鈞(きん)』。この字には、「ひとしい」という意味がある。それに加え、重量の単位とかろくろという意味合いも含んでおり、ろくろから転じて、造物主とか天の意をも示すという。 そして何より、この字のついた語句に『天蓋』に比べられる様な意味合いを含むものがある。 『鈞臺【きんだい】』−。それは、古の夏王朝の王・啓が、父の禹より王位を禅譲された益との争いに勝って王として即位した時に、諸后(諸侯)をもてなしたという地の名である。 諸后が鈞臺にいる啓のもとに集まったというその事実によって、夏王朝は成立したとみなす事ができるのだが、それは、中華の歴史に大きな一歩を記す出来事であった。 「左伝(春秋左氏伝)」にも、「夏啓有鈞臺之享。 商湯有景亳之命。周武有孟津之誓」という一文があり、これが、王朝成立にかかわる重大な出来事として考えられていた事がうかがえる。 それゆえ、夏王朝の時代にあっては、そこは一種の聖地であり、また、地の中心であると考えられもしたそうである。 (兄の名が天蓋を表し、弟の名が地の中心を表す…。なかなかうまい具合になるな。うん、これでいこう) こうして、その子の名は決まった。 子供の名前が決まったのを待っていたかの様に、姜が陣痛を訴え始めた。いよいよ、出産の時である。 産婦である姜に続き、手伝いの者達数名が産室に入っていった。 もう三人目であるから、初産の時の様に慌てる事はない。しかし、そうはいっても、なかなか慣れるものでもないのもまた事実。 牛輔にとって、出産が無事終わるまでの数刻は、またしても長い長いものとなった。そうこうしているうちに、いつしか日も落ちてゆく。 「父上ぇ〜。母上はぁ〜?」 子供達が母親の様子を案じてか、しきりに牛輔に寄りかかってくるのである。 「母上はな。いま、そなた達の弟を産もうとなさっているところなのだよ」 もう夜も遅い。そろそろ寝かしつけないといけないのだが、そう言ってむずがる子供達をなだめるのが精一杯である。いかにいっても、子供達は母親に懐く傾向が強く、父親にはさほど懐くものではない。それゆえ、こういう時の扱いには苦労する。
101:左平(仮名) 2003/11/24(月) 22:53 はい。それは知ってます。でもぉ…。どうして、わたし達が母上のところに行ってはいけないのですかぁ?」 「それはな…」 (出産というものがどれほど壮絶なものか、口で話しても分かるのだろうか…。とはいえ、直に見せるのも何だしな…) なかなか、うまい具合に説明できるものではない。 「ねぇ〜、どうしてぇ〜?」 「と、とにかく、だ。いま、母上は大変なところなのだ。そして、こればかりは、私も、そなた達も、何もしてやれないのだよ」 「そばにいるのもだめなのですかぁ?」 「そうだ。分かったら、おとなしく寝てなさい」 「でもぉ〜」 「そなた達が母上の事を思っているのはよく分かった。それを聞けば、母上もさぞ喜ばれる事であろう。明日の朝には産まれているはずだから、その時、母上をしっかりとねぎらってやるのだ。夜更かししたりすれば、母上も喜ばれないぞ。よいな。さっさと寝なさい」 「はぁ〜い」 やや不承不承ながら、そう言うと、ようやくそれぞれの寝所に入っていった。 「はぁ…。子守りってのも、なかなか大変なもんだ」 慣れない事がひと段落ついたせいか、どっと疲れを感じた。 子供達を寝かしつけたとはいえ、牛輔自身は眠れない。姜の身を最も気遣っているのは、他でもない、夫である彼自身なのだから。母子ともに無事に産まれるまでは、気が気ではない。 一睡もしていないのだから、心身ともにひどく疲れている。しかし、姜の疲れはそんなものではないはずだ。 (男だろうが女だろうが構わないから、とにかく無事に産まれてくれよ) そう祈るのが精一杯であった。そんな時間が過ぎる中。 「殿!産まれましたぞ!!」 家人達の声が聞こえた。 「そうか!で、姜は!」 家人達の声には、不吉なものは感じられなかったが、念のため、そう聞き返した。 「ご心配なく!奥方様もお子様も、ともに至って健やかですぞ!!」 「そうか!よくやったぞ!!」 その言葉を聞いて、ようやく人心地ついた。ほっと胸をなでおろすと共に、安堵したせいか、ふっと体から力が抜ける。
102:左平(仮名) 2003/11/30(日) 22:51 五十一、 「おっと、一刻も早く姜をねぎらってやらんと」 そう思い返した牛輔は、ゆっくりと立ち上がった。自分としては、一家の主らしくすっくと立ち上がりたいところなのであるが、なにせ、眠い。思う様には体が動かないのである。 足元に多少のふらつきを見せつつ、産室に向かう。 近づくにつれ、出産に伴う独特のにおいがする。血やら胎盤やら羊水といった様々なものから生じるそのにおいは、決して良いにおいというわけではないが、妻への想いの故か、母子ともに健やかであるという安堵感のためか、不思議と意識する事もない。 「姜。入るよ」 そう一声かけ、一呼吸おいてから、産室に入った。初めてではないのだが、男が産室に入るのには、多少の覚悟がいる。 そこには、お産を終えたばかりの姜が横たわっていた。難産であったらしく、顔はやつれ、髪もひどく乱れている。呼吸も荒い。その姿を見るにつけ、牛輔は何とも言い難い気持ちになった。そんな気持ちが顔にも表れ、笑顔とも泣き顔ともつかない、不思議な表情になる。 「よくやったぞ。本当に」 そう優しく声をかけ、彼女に寄り添うと、首筋に手を回し、頬をすり合わせた。そんな夫のねぎらいを受け、疲労の極にある姜の顔に、笑みが見えた。まだ意識は朦朧としているものの、その笑顔は心からのものである。 「あぁ、あなた…。ごらんください。ほら、男の子ですよ」 そう言われて振り返ると、産湯につかり、むつきにくるまれた赤子がいるのが見える。赤子は、あの時の蓋に比べるとやや小さい様に思えるが、泣き声は大きく、盛んに手足を動かすその姿は元気いっぱいである。むつきをめくり、股間を見ると、男である事を示す『もの』もついている。なるほど、確かに男の子だ。 「そうか。そなたの言ったとおりになったのだな」 「はい…。名前は…いかがいたしますか…」 「明日、この子の名前を話す。楽しみにしておいてくれ。ゆっくり休もう」 「はい」 翌朝− 牛輔は、嫡男の蓋と向かい合って座っていた。普段は仲の良い親子であるが、この場については、やや改まった雰囲気が漂う。 「蓋よ」 「はい」 「来てもらったのはほかでもない。昨日産まれた、そなたの弟の名を告げるためだ」 「はい」 「この子の名は−『鈞』。牛鈞だ。よいな」 「鈞、ですか…。わたしの名の『蓋』と何らかの関連があるのですね」 「そうだ。そなたの名は天蓋、すなわち天にちなんでおり、この子の名は鈞臺、すなわち夏の御世の人々が考えた地の中心である鈞臺にちなんでいる。どうだ?」 「素晴らしい名です。わたし達兄弟がその様な名をいただいて良いのかと思うくらいに」 「うむ。この何に込めた私の想いを、無駄にせぬ様に努めるのだぞ」 「はい。わかりました」 「それとな。実は、そなた達の字も考えたのだ。実際に字を用いるのは、まだだいぶ先の事だか…」 「字ですか?それは、一体どの様な字なのですか?」 「聞きたいか?」 「それはもう」
103:左平(仮名) 2003/11/30(日) 22:53 「では、話しておこう。まず、そなたの字は『伯陽』だ」 「『伯陽』、ですか?それには、一体どの様な意味があるのでしょうか」 「『伯』という字はそなたも承知しておろう。これには、三つの意味を込めている」 「三つの意味、ですか」 「そうだ。まず、『おさ(長)』という意味。そなたはこの家の大事な跡取りだからな。字にもそれを示しているのだ」 「はい。父上の字もそうなんですよね」 「そうだ、よく分かっているな。そして、もう一つは、『伯夷』だ」 「伯夷というと、弟の叔斉とともに、周の粟を食む事を拒み、ついに餓死したというあの義人ですか」 (父上は、わたしに対し、その様な人物をも意識せよと。そうおっしゃるのか…) まだ幼い蓋ではあるが、『伯夷』のもつ意味の重さは承知しているつもりである。思わず、背筋が伸びる思いがした。 余談であるが、かの水戸黄門こと徳川光圀は、若い頃は素行が悪かったという。しかし、十八歳の時に『史記』の『伯夷列伝第一』を読んで感動して更生し、名君としてその名を残している。傍目には愚者とも見える伯夷・叔斉の兄弟ではあるが、節義に殉じたその姿勢が、人々の心を打つのであろう。 「あれっ?父上、それでは二つの意味ではないのですか?」 「いや、三つだ。『伯夷』に二つの意味があるからな」 「二つの意味?」 「そうだ。一つは、そなたの申した義人・伯夷。もう一つは、そなたもその血をひく羌族の神・伯夷の事を指すのだ」 「伯夷には、その様な意味もあるのですか」 「そうだ。伯夷は帝舜に仕え、典刑をつくったという」 「これはまた…。父上がそこまで考えておられるとは。そうしてみると、わたしはたいへんな字を持つわけですね」 「確かに、容易な事ではないな。しかし、孟子もおっしゃっているではないか。『王の王たらざるは、是れ枝を折ぐるの類なり(王が王者になっていないのは、目上の人に腰を曲げておじぎをする事のたぐいである。つまり、物理的にできないのではなく、単にする気がないのに過ぎない)』と。大抵の事については、要は、自らの有り様次第なのだ。よいな」 「はい、分かりました。伯夷の如くなれる様、努めてまいります」 「そうだな。是非そうなってもらいたい」 「ところで、『陽』は?」 「『陽』は、天の中心たる太陽にちなんでのものだ。名と字にはそれぞれ関連した字を用いる事となっているからな」 「なるほど」 「さて、鈞の字だが。こちらは『仲泰』だ」 「『仲泰』、これにはどの様な意味が?」 「『仲』は、『なか(二番目、または真ん中)』という意味だ。次男だからな」 「では、『泰』はさしずめ『泰山』の事を指すのですか?」 「よいところに気付いたな。その通りだ。そなたは賢いな」 「父上にそう言われると、何か照れますね」 「五岳(中華を代表する五つの山。東の泰山、西の華山、南の衡山、北の恒山、中央の嵩山)の一つである泰山は、古くから羌族の信仰の対象であったというから、羌族の血をひく鈞の字にふさわしい。それに、まことの帝王のみに許される封禅の儀式が行われるという事を考えると、泰山もまた、地の中心であると考えられるからな。名と字に関連がある、とまぁこういうわけだ」 「なるほど…」 「この字、気に入ったかな?」 「気に入るも何も…。名と同様、素晴らしいとしか言い様がございません」 「では、そなた達が志学(十五歳)になったら、この字を使う事としよう。よいな」 「はい!」 −この後この兄弟は、乱世の中、文字通り激動の生涯を歩む事となる。幾多の苦難の中、彼らの最後のよりどころとなったのは、この、父から賜った名と字、そしてその由来であった−
104:左平(仮名) 2004/01/01(木) 00:15 五十二、 牛輔にとってみれば、この頃は、おおむね幸せな時期であった。 羌族との戦いがしばしばあったので平穏とは言い難いものの、これまでのところ大きな犠牲もなく済んでいるし、何より、姜をはじめとする家族にも恵まれている。 父も弟達も至って健やかであるし、義父・董卓も順調に位階を進めており、刺史や郡太守といった地位も考えられるところまできていた。 これならば、次代を担うであろう勝は、より高い位に就けるはずである。そう、牛輔の願い通り、全てがうまくいっていたのである。 その『事件』が起きるまでは。 …さて、この当時の時代状況を知るよすがとなるのは、何といっても史書の記録であろう。陵墓などの遺跡から発掘される文物も重要なのだが、時代の全体像を考える上では、史書の記述を無視するわけにはいかない。 牛輔や董卓が生きたこの当時は後漢の霊帝の時代にあたるので、その当時の事を調べる為に『後漢書 孝霊帝紀第八』をひもとくと、作者の様な漢文の素人でも、すぐに目に付く事がある。 やたらに『大赦』が目立つのである。 西暦でいうと、霊帝の在位期間は168年〜189年なので、足かけ二十二年となる。その中で、何と十九回の大赦(うち二回は霊帝が崩じた後なので、霊帝在位中の大赦は十七回)が実施されている。一年ちょっとで一回という頻度である。 『大赦』とは、国家的にめでたい事(帝王の即位、立太子、成婚、瑞祥など)があった際に罪人の刑を減免する事であるので、本来であれば、一人の帝王の在世中にそう何回も出すものではない。第一、霊帝の時代には、さしてめでたい事があったわけでもない(怪異現象ならいくつか記されているが)。 では、何ゆえ、かくも多くの大赦が乱発されたのであろうか。 簡単な事である。当時の政治が、全くもっていい加減なものであったが為に他ならない。 先にもちらりと触れたが、建寧二(169)年にいわゆる『(第二次)党錮の禁』が発生し、宦官勢力に反発した多くの名士達が、処刑されたり投獄されたりしている(『後漢書』には彼らの記録をまとめた『党錮列伝』がある事からも、その凄まじさがうかがえよう)。その死者だけでも百人を超えるといわれ、さらに、その一族や関係者も、禁錮や辺境への移住を強いられているのであるから、その影響は甚大なものがあった。 人々に与えた精神的な衝撃という点もさる事ながら、現実の政治の運営にも大いに影響するところがあったのである。 先帝(桓帝)の御世に、跋扈将軍・梁冀の勢力が滅ぼされるという事があったのだが、その時、その関係者という事で多くの現役閣僚も巻き添えを食った為、朝廷は空になったといわれる。この時も、それに似た事態が発生したものと考えられる。 そう、実際の政治に携わる者がごっそりといなくなってしまったのである。 政治に空白が許されない以上、欠員となった席には誰かが入り、形ばかりでも空席が埋められる。そこに入ったのは、当然、宦官勢力に近い人々であった。 本来ならばその地位にふさわしくない者までも取り立てられたのであるから、当初から彼らの評判は芳しくなかったものと思われる。もちろん、中には、それなりの志というものを持っていた者もいたかも知れないが、基本的には、宦官達の意に沿う事を第一としているのであるから、政治の何たるかという事は顧みられなかった。 この様な状態においては、当然の様に賄賂が横行するなど、政治秩序に著しい乱れが生じる。人間というものの本性を考えると、利益を求めるという姿勢は分からないではないが、政治に関わる者が、賄賂という形で利益を求めるのはどうであろうか。権力というものについての理解があれば、その様な態度はそうそうとれないはずである。『韓非子(外儲説右下篇)』にある、魯の宰相・公儀休の話(彼は魚好きであったが、人から魚を贈られても決して受け取らなかった。魚を受け取って借りを作ると、その借りの為に、後々問題が生じるからというのがその理由)はその一例と言えよう。 凶作、叛乱、外寇…。政治がきちんとしていたとしても、これらの禍は完全に防げるとは限らない。しかし、いい加減に対処していると、その被害はますます大きくなり、しかも、さらなる禍の芽を残す。 その解決には相当な努力が必要なのであるが、この様な有様で、そんな事が出来ようはずもない。結果、その場しのぎの対策に留まる。乱発された大赦は、その様な、当時の状況を知らせる良い例なのである。 そして、そんな中で、まともに政治が行われていれば考えにくいであろうその『事件』が起こった。長い歴史の中では、ごくありふれた事件である。しかし、牛輔達にとっては、それは一族の命運にも関わる、大変な出来事であった。
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小説 『牛氏』 第一部 http://gukko.net/i0ch/test/read.cgi/sangoku/1041348695/l50