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袁紹はナゼ過小評価される!?
1:上田散人 2003/06/09(月) 12:51 どうも初めまして、上田散人と申します。 新参者が身の程知らずにもスレッドを立てて恐縮ですが、 タイトルにある通りの疑問がくすぶって消えないのです。 実は某サイトで私、ある話題から強引に脱線して 「袁紹の評価低いなぁ、袁紹って本当はもっとアレコレ云々偉大で………」言いだしたのですが、 「袁紹ってそんなすごい人だったの!」って反応結構多かったんですよ。 やっぱり袁紹って、世間的にはまだまだ低く見られているようですね。 「蒼天航路」が出てきた時、これで袁紹を見直す人がもっと現れる! なんてかすかな期待を抱いていたのに、今だにサッパリですから、ファンとして泣きたくなります。 そう思うと、真面目に「実はすごい袁紹」よりも 「袁紹が低く低く見られがちな理由」なんてものを考えざるをえなくなりました。 そんな訳で袁紹が「なぜか」過小評価されてしまう理由、原因、その考察を皆様にお伺いしたいと思います。 できれば理由を挙げると共にそのフォローもしてください。(言いっ放しじゃ袁紹がますます悲惨になるんで)
2:★ぐっこ 2003/06/09(月) 20:49 はじめまして、上田散人さま! TATSU様のところでお名前を拝見しております。 さて、スレ主旨は、「袁紹はかくも偉大である」ではなく「なぜ袁紹は低評価 なのか」ということで… 敗れたからです。 いや、もう極端に説明すればそれに尽きるかと。 私も含めて袁紹ファンの方々には気の毒ですが、もう何をどう足掻いても、 たとえ袁紹が中華十傑撰の一人に選ばれようと、手遅れ。 たとえば今川義元が再評価されるように、袁紹も蒼天航路の出現を待たずして 一定の評価を取り戻しているようです。 自分より遙かに強大であった公孫瓉を駆逐した軍事力、曹氏政権下でも密かに 偲ばれたという民治力、どれをとっても、当時の他の群雄(曹孫除く)どもとは比較 にならないでしょう。 きっと、袁氏の旗印を持たなくとも、颯爽たる時代の指導者として、彼は十分に活躍 していたに違いありません。 …でも、言ってしまえばそれだけの話。 彼は部下である曹操に出し抜かれてイニシアティブを握られっぱなし。勝つ機会は山ほど あったにも関わらず、曹操の綱渡りのような処世をノンビリ見送り続け、負けるはずもない 戦に敗れて悶死しています。 この死にざまの気の毒さを見る限り、今後も偉大とは呼ばれないでしょう。 未来の可能性を遺して早世した周瑜らと違い、袁紹の場合、自分の可能性をことごとく逃がして 死んでしまった。 彼が死後一定以上の評価を得られない所以であると思いますが。
3:左平(仮名) 2003/06/10(火) 00:00 上田散人さん、こちらでははじめまして。私からぐっこさんのご意見に言い足せるとしたら、一つ。 「(袁紹に勝った)曹操が真の勝者たり得たから」というのもあるかも知れません。 曹操がまぐれで勝ったのであれば、他の群雄に敗れていたとしたら、あるいはもっと「可能性」を考慮する事もできたかも知れないのですが。 また、その治世を慕われたとはいえ、そのゆえに、曹氏治下において叛乱が起こったというほどでもない(→曹氏の治世も十分に良いものであった)わけですし。 あとは、魏(→禅譲という正式な手続を踏んで成立した)・蜀(→遠縁とはいえ、同じ劉氏という事で、漢の後継を自認しえた)の様な正当性に乏しいのも一因かも。
4:上田散人 2003/06/11(水) 13:39 「悪」?「悪」とは敗者のこと… 「正義」とは勝者のこと…… 生き残った者のことだ 過程は問題じゃあない 敗けたやつが「悪」なのだ(BY花京院) そ、そんな……、ひどい……、身も蓋も無い……、 もといレスの付けようもない………。 それじゃあ「正史」で過小評価されているのも、「演義」で無惨な扱いなのも、 吉川三国志や横光三国志や秘本三国志で噛ませ犬なのも、蒼天航路でデブになったのも、 我王の乱でハナからデブなのも、全部「敗者だから」だというんですか!! ひどい、ひどいよ、ぐっこさん!!!! (やや意気消沈して)ハァ…、確かにぐっこさんの言う通り………、 単に敗者だというだけなら、呂布より人気がない(当社調べ)という事態はおかしい訳ですから、 チャンスをむざむざ食い潰した事に起因するんでしょうね…低評価……。 そこが「敗者」であることに加え、惜しい人物だと思わせるような、死してなお光芒を放つような、 存在感なり魅力なりに欠けるものにしてますか…………。 しかし! なお強弁させてもらえば! 底を見せて敗れたように見えるのは、呂布だって同じ! ぬぁぜ、ぬぁぜ、袁紹は人気も無くて過小評価されているのか!? 何の意識(という名の魔)が働いているというのか! 前にどこかで言ったような表現を借りれば……、 蒼天航路風に「心の闇がないから」という結論になっちゃうんですよねぇ………。 曹操は死んでもその闇が残るというのは、逆に言えば袁紹は死ねば終りということ(泣)。 なんとなく、すでに後世の人気と評価を暗示しているような (それは蒼天航路が今現在に書かれたものだからだよ)。 (ところで「きたかた三国志」は未読なので、 「きたかた的・袁紹」ってどういうものだったのか、感想を聞かせて下さい。)
5:★ぐっこ 2003/06/11(水) 22:26 なるほど、上田散人さまの袁紹へのアツい思いはしかと受け止めました。 今後歴史を学ぶにせよ別の道へ行かれるにせよ、その思いと今の疑問は尊い物です。 ずっと大事になさってください。 で。 話は戻りますが、演義はともかくとして、蒼天航路あたりはそれほど過小評価とは 思えないのですが。アレが過小評価だったら、他の作品の悲惨さはどう呼ぶのかと。 逆にあれ以上だと過大評価になりかねませんね…。 どちらにせよ、最近続々刊行されてる三国志本は、昔ほど袁紹に厳しくありませんし、 別冊宝島でも読まれてみてはいかがでしょう? あれです、いっそ袁紹小説を書いてみて、その途中、心ゆくまで彼の同時代を調べてみれば、 当時袁紹が抱えていた問題や、隠れてた新たな魅力などが発見できるかも… 袁紹については、私も学生じぶん、袁術兄弟との確執をからめた宮廷小説を書こうかなと思った こともあります。主人公は何顒ですけど。
6:★ぐっこ 2003/06/11(水) 22:27 あ、そういえば北方袁紹…‥。 思い出そうにも、あまり印象が…。どなたかプリーズ。
7:岡本 2003/06/11(水) 23:44 上田散人様、お初にお目にかかります。 岡本と申します。 >袁紹は人気も無くて過小評価されているのか 人気と人物評価は評価すること自体が完全に客観的な判断のみで なされるわけではありませんから不可分でない以上、人気が多少 低ければ評価も低くなるのは仕方がないのかもしれません。 したがって、人物の評価を考える際にはその評価を下した時節での 人気を考える必要もあるでしょう。 洛陽で西園八校尉をやっていたあたりの袁紹を見ますと、名士から の声望も高く、宦官による政治汚濁の打倒に積極的に動いていたよ うで、気鋭の人物の評価ができそうです。菫卓の乱後にも冀州窃取 があっさり可能だったりしたのも、袁紹の評価・声望が高かったことに よるでしょう。 ただ、この”声望が高い”というのは多分に袁家の七光りが大きく、 袁譚や袁尚に比べれば七光りに振り回されてはいませんが、”宦官の出” というコンプレックスを生涯持っていた曹操に比べれば恵まれた政治財産を もっていたといえます。 袁紹に比べて何も持たず、のるかそるかの博打を打ち続けてしかも生き残った 曹操そして劉備に比べると人気が落ち、結果として評価が下がってしまった のでしょう。 また、曹操の覇業を助けた荀揩遏川文人が”まず袁紹にいき、Uターンして曹操に行った” こと、史書の上での10善10悪談義といった文人間の情報操作があった可能性もあります。 三国志のPCゲームでの場合は(個人の意見ですが)、呂布は武力を極端に高くしても他のパラメータを 致命的に低くすることで史実に近い状況にできます。それに対し、袁紹の欠点は反応が鈍く、 情報の評価判断が甘いというパラメータ化しづらい欠点です。 全体のパラメータがそこそこ高いバランス型の袁紹の場合、 もし、高評価にして史実どおりの勢力基盤を与えてしまうとほぼ間違いなく 中華統一してしまうため、製作時点でかなりへぼなパラメータにして 史実に近い状況になるようにしたのがあるでしょう。
8:ななし 2003/06/12(木) 00:01 [私は誰でしょう] ここの板ルールにもありますし みんなマターリ。ね。
9:もす 2003/06/12(木) 08:53 皆さん、かなりマターリだと思いまふけど… 俺の気が抜けてるだけかな。い、、入れなおしてこないと… プシューーーーー
10:上田散人 2003/06/12(木) 11:18 すいません、ついつい熱くなり過ぎました。 悪い癖で自分の勝手な思い入れのままにガーーーッと書き込んでしまう事が多くて、 これでは無自覚系荒らしと変わりませんね。 >蒼天航路あたりはそれほど過小評価とは思えないのですが。 蒼天航路はですね、私も充分すぎるほど評価されていると思います。特に官渡の戦い前後では。 しかし、どうしても巷の話題が「鼻血」だの「デブ化」だのに偏っている感が否めず、 ナゼだ! やはり鼻血だからか? やはりデブになったからか? とついつい八つ当たりしてしまったんですよ。 確かに言われてみれば、 元より袁紹に董卓ほどの凄まじさや呂布ほどの悲哀や孫堅ほどの格好良さは有り得ないわけで (史実を逸脱し過ぎた、ないものねだりになっちまう)、 そんな中で蒼天航路は、これ以上ないほど“至強・袁紹”の魅力を存分に見せつけてくれました。 あ、ちなみに我王の乱の「デブ・袁紹」は本当に悲惨です。 名門=坊ちゃんだからデブでアホ という悪魔の方程式がここで正に働いています。 >どちらにせよ、最近続々刊行されてる三国志本は、昔ほど袁紹に厳しくありませんし これも私の問題提起が「ナゼ今だ袁紹が……」と言わんばかりで不適切でした。 個人的にも今時の袁紹評価は順当な所に落ち着いてきていると思います。 あえて声をあげるほど、袁紹解釈に不満がある本はやはり昔のものが中心です。 その具体的な不満については次のレスで。 >いっそ袁紹小説を書いてみて、その途中、心ゆくまで彼の同時代を調べてみれば、 う〜〜〜〜〜ん、袁紹(および袁家)に題材を絞ったものは書こうと思ってもみませんでした。 私、史料は読みますが史料に沿って緻密に構成してゆくのがどうにも苦手で、 書くと必ずギャグやパロディになるんですよね。 それで、どうせ「袁家残照」と競えるようなものは書けないし―――、 なんて必要以上に調べる事は怠けていたんですが、 ぐっこさんがそう勧められるんでしたら手を付けてみようと思います。
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