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袁紹はナゼ過小評価される!?
14:上田散人2003/06/21(土) 20:00
親切なアドバイスと温かい励ましの言葉に感謝します。
>わたし個人の趣味ですが、巷に溢れている「オリジナル妄想全開」の072作品
は(三国志モノでなくても)萎えてしまいます。
完全オリジナルならばまだしも、二次作品ならば元の設定を尊重しろよと眉を
顰めるタイプですので…。
省37
15:★ぐっこ2003/06/21(土) 20:32
確かにご説ごもっともでございます。個人ベースのものならともかく、
立派に本屋に売られてる三国志作品や他の歴史小説などの中にも、明らかに
作家の勉強不足が伺えるものが散見できますね…。
特に三国志作品の場合、ハッキリ分かってしまうぶんツッコミどころ満載。
前回の書き込みでは言葉不足でしたが、私は別に演義嫌いとかではありません。
省30
16:★ぐっこ2003/06/21(土) 20:40
…と、話題が変な方向へ行ってしまいますね(^_^;)
あくまでスレタイは袁紹はなぜ過小評価されるかでしたな。
>つーかさぁ、「演義」の面白いところでもあり問題なところってのはさぁ、個人劇化しすぎ?
>登場人物の行動を全部本人の性格や器量の問題にして説明しちゃうの。
>おかげさんで袁紹や劉表は一挙一動優柔不断優柔不断と無能を強調されてばっか!
省14
17:上田散人2003/06/22(日) 03:01
>>「演義的個人劇」の呪縛の内、お釈迦様の手のひらの上に終わってるってーの。
>コレに関しては、意見が分かれるところでしょうね…。小説である以上、人間が
活躍してなんぼ。史料の解釈で許される範囲ならば、むしろキャラクターとしての
特性(能力含む)を出すのは、私は問題ないと思います。それこそ袁紹一党とか。
ついでに歴史上の出来事や戦の勝敗は、自動的に発生する訳では無論なく、あくまで
人間が基ですからね…。
省27
18:上田散人2003/06/22(日) 03:15
それにこれはただの「自戒」です。
もうすでに明白(バレバレ)ですが、私はただの暴走的キャラ萌え野郎です。
大言壮語(口先ばかりと言う)に実を伴わせる為にこそ、必死でエトセトラ勉強中です。
19:上田散人2003/06/22(日) 03:37
ぐっこさんの言う通りテーマからズレてきたので本題に戻りましょう。ついでに
>あえて声をあげるほど、袁紹解釈に不満がある本はやはり昔のものが中心です。
その具体的な不満については次のレスで。
と言ったきりにもなっていたので今回は(ようやく)その具体例を。
取り上げる作品はズバリ「秘本三国志」。
省31
20:むじん2003/06/22(日) 13:47 [mujin@parfait.ne.jp]
はじめまして。横れすれす。
個人的には登場人物の心象風景の描写を主題とした小説はあまり好きではないです。
作者がそうした努力をすればするほど、結局その人物の心情は作者の心情の投影に過ぎなくなってしまいます。
袁紹の場合はそれこそ作者の凡庸性を反映したものでしょう。
むしろ事実(←作中の、ね)だけを淡々と書き連ねていくスタイルが好きですね。
省22
21:★ぐっこ2003/06/22(日) 15:41
ヨコソー、むじん様
>たとえば趙雲の武勇とか、諸葛亮の知略に対しては「萌え」ないわけです。
コレかなり同意。歴史小説でもハァハァゲームでも、いわゆる「萌え」が発生するのは、
そのキャラクターの余白部分であることが多いですよねー。
ゴンタ風に言えば心の闇か?
いや、ゴンタはどうでもよくて。――確かに個々のキャラクターの内心描写を延々と
省18
22:★ぐっこ2003/06/22(日) 15:58
で、また話がそれましたが。袁紹。
>>19
むはー。陳舜ワールドは、ちょっと別!別!(^_^;)
かの先生に描かせたら、ほとんどの世界が予定調和というか、すべてが
シナリオ通りに動いているふうになりかねませんしねえ。
省19
23:上田散人2003/06/22(日) 17:28
>20 むじんさんのレスに応えて
なるほど、なるほど、「演義」の普遍的価値とは「詳細な人間ドラマ」ではなく、
問題とは「諸々の背景の切り捨て」ではなく、むしろ逆であって、
想像力を刺激し、人間ドラマを喚起させる「切り捨て」もとい「余白」にこそ普遍的価値がある、と
(いうニュアンスで合ってますか?)。
省31
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