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袁紹はナゼ過小評価される!?
23:上田散人2003/06/22(日) 17:28
>20 むじんさんのレスに応えて
なるほど、なるほど、「演義」の普遍的価値とは「詳細な人間ドラマ」ではなく、
問題とは「諸々の背景の切り捨て」ではなく、むしろ逆であって、
想像力を刺激し、人間ドラマを喚起させる「切り捨て」もとい「余白」にこそ普遍的価値がある、と
(いうニュアンスで合ってますか?)。
「俺は思考の死角を衝かれたよ(BY蒼天・曹操)」という気持ちで一杯です。
「必読書150」ってぇ本で、かの浅田彰が「原典に直に触れる事は誤読の強度がある」
みたいなことを言っていたんですが、それに近いものを感じますね。
字面で展開されている思想の「それ以外」がよくわからないからこそ、
むしろ思考を刺激し、解釈を自分の中で導き出す生産的読書につながる、と(みたいな事を言っていた)。
私はそれもわかるんですが、どうしても原典を事前の予備知識もなく、
理解の助けもなく(格闘的想像に身を投じて)読み進むのが苦痛なんですよ。
また別に、よく言われる事で「哲学は時代背景を知っておかないと無味乾燥な抽象思考の
羅列にしか感じられず、身につかないぞ」というのがあって、私はこっちのスタンスに基づいているんですな。
だから例えば「論語」だったら、まず読むより先に孔子の略歴、春秋時代の情勢などを詳細に踏まえてから手を付ける。
背景に流れる時代的文脈こそ重視する。
しかしそれは決して、ただ一つの真実であろう解釈、に近づこうとするためのものではなくて、
むしろ知る事でより想像を刺激し、多様な解釈にひらかれたい、多様な解釈に触れたい、という思いからなんですよ
(史学者の間でこそ論争が絶えないように、調べれば調べるほど、知れば知るほどむしろ解釈は分裂して飽和してゆきます)。
(んだから、自分の「自分なりの解釈」というものはむしろ多くの解釈を吸収・咀嚼した上で形成されてるんです)。
それというのも私は多様な解釈にこそ(歴史の)強度を見出すからで。
「三国志」の普遍性は「吉川三国志」や「蒼天航路」を読んで帰納的に見出す。
しかしそれは、正しくむじんさんの言われているような、多様な解釈を喚起する存在である「演義」にこそ
普遍性を見出しているわけであって、まぁ最初からそういえばよかったわけですな。
「哲学は時代背景を知っておかないと無味乾燥な抽象思考の羅列にしか感じられず、頭に入らないぞ」という言に
代表される教養前提主義が先立って、>14 で一方的かつ傲慢な事をホザいてしまい、
>17 で言い直しても同じ轍を踏んでしまったと。
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