下
袁紹はナゼ過小評価される!?
14:上田散人2003/06/21(土) 20:00AAS
親切なアドバイスと温かい励ましの言葉に感謝します。
>わたし個人の趣味ですが、巷に溢れている「オリジナル妄想全開」の072作品
は(三国志モノでなくても)萎えてしまいます。
完全オリジナルならばまだしも、二次作品ならば元の設定を尊重しろよと眉を
顰めるタイプですので…。
三国志モノに関して言えば、昔正史厨だった頃の習性か、あきらかに演義「だけ」
がベースの二次作品は、問答無用でダウト。
あ、「イロモノ系」はその限りでないんですが…
なるほど、正史派でイロモノは例外………。「学園三国志」を見ていればよくわかります。
私は世にあふれる三国志モノに対して、正史準拠・演義準拠の別には一切こだわらないのですが、
やはり自分が作品を書く段にあっては、
いかに正史に沿いつつ新解釈(と言う名のウソ)を盛り込めるかをテーマにしております。
それが実際の歴史に舞台を借りる創作の醍醐味だと思ってますんで。
ニセクロさんのサイトは以前から知っていました。
ニセクロさんはすごいですよね、あれこそ正に“史料の行間を読む”考察だと思います。
文献紹介にズラ〜〜っと並んだ本に触発されて、
真に「三国志」を理解するには三国志のミイちゃんハアちゃん的ファンのままでいてはダメだ!
と「急がば回れ」で直接的には三国志に関係のない思想、歴史、文学の本に食指を伸ばしています。
つーかさぁ、「演義」の面白いところでもあり問題なところってのはさぁ、個人劇化しすぎ?
登場人物の行動を全部本人の性格や器量の問題にして説明しちゃうの。
おかげさんで袁紹や劉表は一挙一動優柔不断優柔不断と無能を強調されてばっか!
そんな「演義的世界観」に毒されたフィルターがかかってるから、
たとえ正史に触れても個人劇として読んでしまうってわけ。
だから「演義」の呪縛を破る!なんて吹かす正史準拠の三国志モノも大抵、
劉備がどうした孔明がどうしたばっかの「演義的個人劇」の呪縛の内、お釈迦様の手のひらの上に終わってるってーの。
かかる演義の呪縛を真の意味でブチ破るなら、後漢末・三国時代の史料を読み漁るだけでなく、
有史以来の中国社会そのものへの深い見識を有し、広く当時の文化的、制度的、思想的、地理的背景を理解し、
そこまで踏まえて「物語」を構築してみせてこそ、
やっと凡庸でありきたりで演義に引きずられていない「三国志」モノができるんだっつーの!
……なんて触発された時点で、もうこんな偉そうな事ばかり考える私……。
とっとと読め!とっとと書け!
上前次1-新書写板AA設索