「司州」という表記について
32:★ぐっこ2004/02/03(火) 01:24
そういえば南陽の連中と知り合いが多いですねえ…
むしろ彼らが洛陽に遊学でもしてたのかな、とも思いましたが、
可顒はともかくとして、他のメンツは中央の高官に付いていた
わけでもなさそうですし…
このへんは、本当に推測するしかないんですね(^_^;)

省14
33:むじん2004/02/03(火) 03:56
にょわ!それは知らんかった…。
『文帝紀』延康元年五月、太王夫人丁氏を王太后と称し…。
これですね。
うーむ、そうすると曹操が丁氏から正室を娶ったのは
近親婚ということになるけど…。まずくないかい?
34:japan2004/02/03(火) 21:56
>『文帝紀』延康元年五月、太王夫人丁氏を王太后と称し…。
>これですね。
>うーむ、そうすると曹操が丁氏から正室を娶ったのは
>近親婚ということになるけど…。まずくないかい?

武帝紀ばかり見ていました。まさか文帝紀とは…orz
省37
35:japan2004/02/03(火) 22:02
先頭に「>むじん様」と書いた部分が抜け落ちていました…申し訳ありません。
あと、スレ違いの長文レスもお詫びします。
36:bannru2004/02/03(火) 23:33
今『秦漢風俗』っていう中国の本を読んでるんですが、そのなかの記述によると、この時代「表親婚」というのがあって、
おじとめいの親族婚程度のものは珍しくなかったようです。(ある程度身分やら財産やらある人たちに限られますが)
両家の絆を強くするために、ってことでしょうね。
なんぼか例が載ってましたが、それでも自分と同じ姓のヒトと結婚するっていう例はさすがにありませんでした。でも養子に行った場合は、元の姓はそんなに問題に
されないのではないでしょうか。
後世中国は親族関係にとても厳格になるので、簡単には信じられないような、とんでもない話と思われたのでしょう。
省8
37:ばんる2004/02/03(火) 23:36
な、なまえが…orz(←マネして使ってみる)
38:むじん2004/02/05(木) 02:42
なるほどー。時代的にさほどタブーじゃなかったんですかね。
たまたま徐宣が厳しかっただけとか…。
『曹瞞伝』は抜き出してみると案外曹氏への悪意はないみたいです。
39:★ぐっこ2004/02/06(金) 00:10
おっと、japanさま、bannruばんるさま、またまた情報ありがとうございます!
当然の帰結として、丁氏の嫁ぎ先に丁氏が嫁に入り…と同姓婚どころか近親婚っぽい
香りがぷんぷんと…
しかし>>34ワロタ。 なるほど、ニュアンス的には 糸冬 了 でカタをつけた感も…

>秦漢風俗
省12
40:japan2004/02/07(土) 02:21
近親婚は三国時代にもあったみたいですね。
呉帝孫休は異母姉(孫魯育)の娘である朱夫人を娶っていますし、
魏末の三少帝のうち曹髦と曹奐は、共にベン氏(曹丕・曹植らの生母である
ベン皇后の一族)の娘を皇后に立てています。
ばんる様の仰る「表親婚」の名残なんでしょうか。

省10
41:★ぐっこ2004/02/08(日) 16:09
近親婚はともかくとして、同姓不婚って原則は儒教の考えなんでしょうか…
人倫の規範として、もともとあった風習を原則として固めていったカンジで…
確か陳舜三国志のどれかの話で、曹操に恋していたけど曹氏だったから結婚
を諦めた女性…ってのが出てたような。いくらなんでも同じ氏どうしでの婚姻
は無理ということか…

省8
1-AA