「司州」という表記について
34:japan2004/02/03(火) 21:56
>『文帝紀』延康元年五月、太王夫人丁氏を王太后と称し…。
>これですね。
>うーむ、そうすると曹操が丁氏から正室を娶ったのは
>近親婚ということになるけど…。まずくないかい?

武帝紀ばかり見ていました。まさか文帝紀とは…orz
近親婚といえば、集解の武帝紀で
「並云嵩夏侯氏之子夏侯惇之叔父太祖於惇従父兄弟」
という一文の後に面白い説が載っていました。
(斜め読みなので間違っていたら申し訳ありません)

夏侯惇の子・夏侯楙は曹操の娘である清河公主と結婚し、
夏侯淵の子・夏侯衡もまた曹氏の女を娶っている。
『曹瞞伝』や『世語』にあるとおり曹嵩が元々夏侯姓であったとしたら、
(これらの婚姻は)陳家に養子に入ったにもかかわらず生家の劉氏の女と
結婚した陳矯と同様、同姓不婚の禁を犯しているのではないだろうか。
『曹瞞伝』は敵国・呉の人間が著したものであるから、これは曹操を
貶めるための妄言であろう。

曹操と夏侯惇&淵の血縁関係が否定されてしまいました。そんな馬鹿な…
先にも述べましたが、私の読解力では曲解している恐れがあります。
疑問に思う点等がありましたら、お手数ですが原文をご確認下さい。

私としては
「曹操が近親婚のタブーを犯すはずが無い→だから曹嵩は夏侯惇の叔父ではない」
とするよりも、
「曹操自身も近親婚の経験者だから、同姓婚で叩かれていた部下を庇った」
という方がありそうな話かな、と思います。

徐宣「近親婚(・A・)イクナイ! 陳季弼は反省シル!」
曹操「漏れのラブワイフはママンの身内でしたが何か?
   ついでに娘も親戚のdの倅に嫁ぎましたが何か?
   てか前のことをあげつらう香具師uzeeeeee!!!
   建安五年以前の話題は 糸冬 了 」

↑陳矯伝裴注の『魏氏春秋』のエピソードを某所風に表現すると、
こんな感じではなかったのかと…
1-AA