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「司州」という表記について
3:★玉川雄一 2004/01/15(木) 23:19 はじめまして。なかなか興味深い話題提起をありがとうございます。 手持ちの晋書地理誌をひもときますと、「司州」と記されています。 ●西漢武帝が初めて司隷校尉を置き、京兆、馮翊、扶風、河東、河内、弘農、河南の七郡を属せしむ。 ただし、この時点ではその地域名(「司隷」なり「司州」)は特定していない。 ●光武帝が洛陽に都を置いたが、“司隷部所前漢不異”。「司隷の部する所は前漢と異ならず」? ●魏が受禅すると、“司隷部所”河南、河東、河内、弘農、平陽の五郡で“置司州”。「司州」の言葉が登場。 ●さらに晋が魏都を継承した際に郡の再編を行い、“遂定名司州”やはり司州… 晋書では一貫して「司州」という表記がなされています。 これが「司隷」という表記と敢えて区別されているのかまではわかりませんし、 上の記事でも漢代にこの地域が「州の単位として」どのように呼ばれていたかはやはり不明ですね。
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