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「司州」という表記について
28:むじん 2004/01/29(木) 22:54 >丁氏 たぶん地元では、出仕前の若者や定年後の老人たちの 近所付き合いがあったと思うんですよ。 それが朝廷内では曹氏の身内意識になって、 反司馬氏感情に育っていったのではないかなと思えてきます。 >司隷校尉 そうそう、劉備の場合は、後漢はもうダメだから新しい漢を作っちゃうって意識で、 劉禅になると、やっぱり俺たちの故郷は洛陽だ〜、みたいな感じで。 もう少し歴代の司隷校尉・益州牧がはっきりすればいいんですけどね。
29:★ぐっこ 2004/01/31(土) 01:09 ああ、その辺に曹一族との紐帯が… >たぶん地元では、出仕前の若者や定年後の老人たちの >近所付き合いがあったと思うんですよ。 なんか絵的に見てみたい光景ですね〜( ´∀`) 任官前の曹操あたりは、わりとブラブラしてそうですので、 蒼天も結構イイカンジに放蕩息子の像を書いてるような。 そこで一つの疑問なのですが、曹操ってやっぱりメインは本籍地で 育ったんですよねえ。父親が洛陽で居を構えてる以上、洛陽に移り 住んでるのかな、とも思うのですが、当時の高官の幼い息子が、どこ で育ってるのかわからなくて。たまたま読んでた黄琬伝では、洛陽 で親父さんにアドバイスしてましたけど…。
30:むじん 2004/02/01(日) 21:47 任官前の曹操ですか…これがまたよく分からないんですよね。 彼は嫡男なので曹嵩の周辺にいたんでしょうが、 中風を装ったときには叔父の夏侯某さんがいましたし。 あと蔡瑁や何ギョウなど荊州人士との付き合いもあるから、 もしかしたら南陽あたりに遊学してたんじゃないかという気も…。 ちと難しいです。
31:ばんる 2004/02/02(月) 00:55 ちょっと話題が司州から反れますが、丁一族で思い出したこと。 曹操の母親は丁氏だったと友達に聞いたことがあります。その人も典拠までは知らなかったのですが、これって本当なんでしょうか? (もしかして私が知らないだけ…?) だとしたら曹操と丁夫人の離婚程度で切れてしまう縁ではないのも当然ですよね。
32:★ぐっこ 2004/02/03(火) 01:24 そういえば南陽の連中と知り合いが多いですねえ… むしろ彼らが洛陽に遊学でもしてたのかな、とも思いましたが、 可顒はともかくとして、他のメンツは中央の高官に付いていた わけでもなさそうですし… このへんは、本当に推測するしかないんですね(^_^;) >曹操の母親は丁氏 Σ(;´Д`) いや、私も知らないです。 うーん、曹操の母親…どっかでみた気がしますけど、丁氏だったかなあ… 確か曹家の墓に曹嵩と合葬されてた人は…呉氏だったか、そんな名前だった 記憶が…(必ずしも曹操の母親とは限りませんが) もしも丁氏だったとしたら、そりゃあ、丁家は曹操にとって大事な親戚。 両家の紐帯もわかるというものです。
33:むじん 2004/02/03(火) 03:56 にょわ!それは知らんかった…。 『文帝紀』延康元年五月、太王夫人丁氏を王太后と称し…。 これですね。 うーむ、そうすると曹操が丁氏から正室を娶ったのは 近親婚ということになるけど…。まずくないかい?
34:japan 2004/02/03(火) 21:56 >『文帝紀』延康元年五月、太王夫人丁氏を王太后と称し…。 >これですね。 >うーむ、そうすると曹操が丁氏から正室を娶ったのは >近親婚ということになるけど…。まずくないかい? 武帝紀ばかり見ていました。まさか文帝紀とは…orz 近親婚といえば、集解の武帝紀で 「並云嵩夏侯氏之子夏侯惇之叔父太祖於惇従父兄弟」 という一文の後に面白い説が載っていました。 (斜め読みなので間違っていたら申し訳ありません) 夏侯惇の子・夏侯楙は曹操の娘である清河公主と結婚し、 夏侯淵の子・夏侯衡もまた曹氏の女を娶っている。 『曹瞞伝』や『世語』にあるとおり曹嵩が元々夏侯姓であったとしたら、 (これらの婚姻は)陳家に養子に入ったにもかかわらず生家の劉氏の女と 結婚した陳矯と同様、同姓不婚の禁を犯しているのではないだろうか。 『曹瞞伝』は敵国・呉の人間が著したものであるから、これは曹操を 貶めるための妄言であろう。 曹操と夏侯惇&淵の血縁関係が否定されてしまいました。そんな馬鹿な… 先にも述べましたが、私の読解力では曲解している恐れがあります。 疑問に思う点等がありましたら、お手数ですが原文をご確認下さい。 私としては 「曹操が近親婚のタブーを犯すはずが無い→だから曹嵩は夏侯惇の叔父ではない」 とするよりも、 「曹操自身も近親婚の経験者だから、同姓婚で叩かれていた部下を庇った」 という方がありそうな話かな、と思います。 徐宣「近親婚(・A・)イクナイ! 陳季弼は反省シル!」 曹操「漏れのラブワイフはママンの身内でしたが何か? ついでに娘も親戚のdの倅に嫁ぎましたが何か? てか前のことをあげつらう香具師uzeeeeee!!! 建安五年以前の話題は 糸冬 了 」 ↑陳矯伝裴注の『魏氏春秋』のエピソードを某所風に表現すると、 こんな感じではなかったのかと…
35:japan 2004/02/03(火) 22:02 先頭に「>むじん様」と書いた部分が抜け落ちていました…申し訳ありません。 あと、スレ違いの長文レスもお詫びします。
36:bannru 2004/02/03(火) 23:33 今『秦漢風俗』っていう中国の本を読んでるんですが、そのなかの記述によると、この時代「表親婚」というのがあって、 おじとめいの親族婚程度のものは珍しくなかったようです。(ある程度身分やら財産やらある人たちに限られますが) 両家の絆を強くするために、ってことでしょうね。 なんぼか例が載ってましたが、それでも自分と同じ姓のヒトと結婚するっていう例はさすがにありませんでした。でも養子に行った場合は、元の姓はそんなに問題に されないのではないでしょうか。 後世中国は親族関係にとても厳格になるので、簡単には信じられないような、とんでもない話と思われたのでしょう。 こーゆー話が出てくると、やっぱ古代なんだなと思いますよね。
37:ばんる 2004/02/03(火) 23:36 な、なまえが…orz(←マネして使ってみる)
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