短編(?)です。
19:左平(仮名)2005/01/02(日) 20:23AAS
十、

彰は、それからしばらくの間、その技を体得すべく励みに励んだ。
一体、何日羊ばかりを食べただろうか。身も心も遊牧の民になりそうな、そんな錯覚さえ覚えるくらいだったある日、ついにその体得に成功したのである。

「よっ、と。で…、むんっ!…ふぅ。こんなもんかな」
省32
20:左平(仮名)2005/01/02(日) 20:24AAS
彰が構えるか否かというところで、虎が飛びかかってきた。
いくら武術に長け、羊を巧みにさばいてみせたとはいえ、虎では相手が大きすぎる。誰もが、彰が負けると思った。
冒突でさえ、事あらば直ちに彰を助け出すべく得物を構えたほどである。しかし、次の瞬間。

虎は、虚を衝かれたと言わんばかりの間抜け面を晒していた。その足元には、彰の体はない。どうやら、虎の一撃を避ける事ができたらしい。

省19
21:左平(仮名) 2005/01/02(日) 20:25AAS
十一、

「曹氏の仲子が、素手で虎を仕留めた」
この噂は、あっという間に広まっていった。それが、彰の武名を大いに高めた事は、言うまでもない。
「彰がのう…。我が子ながら大したものだ」
父も、そう言って喜んだと聞く。彰には、それが何より嬉しかった。
省24
22:左平(仮名) 2005/01/02(日) 20:26AAS
「丈夫たる者、将となりては、烈侯(衛青。前漢武帝期の名将)・景桓侯(霍去病。衛青の甥で、叔父と同じく前漢武帝期の名将)の如く、十万の大軍を率いて沙漠を駆け、戎狄を打ち破り大功を挙げるべきである。書物を読み、博士になるのが何ほどのものか!」
「若殿。その様な事をおっしゃっては…」
「おれは、書物を読まぬとは言っておらぬぞ。それともそなた、烈侯・景桓侯を貶めるのか?」
「いえ…その様な事は…」

(家臣どもは、あの頃から何かと「その様な事をおっしゃっては…」などと言ってたなぁ。おれに父上の後を継がせようとでもしていたのか?おれ自身にそんな気はさらさらなかったというのに…)
省13
23:左平(仮名) 2005/01/02(日) 20:26AAS
十二、

史書には、彰の事跡について、僅かにしか触れられていない。
彼を語る上で、建安二十三(218)年の戦いを欠かす事はできないであろう。

「よいか、彰。出陣にあたって言っておくぞ」
省21
24:左平(仮名)2005/01/02(日) 20:27AAS
「国譲(田豫の字)殿、ここは?」
「タク【シ+豕】郡でございます」
「ほぅ…ここがタク【シ+豕】郡ですか。確か、劉備…」
「はい。劉備、それに張飛はこの地の者です」
「…国譲殿、すまぬ事をした」
「?」
省20
25:左平(仮名) 2005/01/02(日) 20:28AAS
十三、

「たっ、大変です!」
「何事だ!」
「う…烏丸の襲来です!」
「そうか、ちと早いな。手元には僅かの兵…これでは全軍の迎撃体勢が整うのを待ってはおられぬ」
省28
26:左平(仮名) 2005/01/02(日) 20:28AAS
「どうした!まだ敵の掃討は終わってはおらんぞ!」
「将軍、もう兵馬とも甚だ疲れております。これ以上の追撃は困難です」
「それに、賊が起こったのは代です。それを越えて追撃せよという命は下っておりません」
「そうです。将軍ご自身も矢を受けておられます。傷の手当ても致しませんと」
「いかに言っても、敵は騎馬に長じております。侮ることはできませんぞ」
「…」
省24
27:左平(仮名)2005/01/02(日) 20:29AAS
十四、

しかし、そのわずか二年後の建安二十五(220)年、父・操が薨ずると、いささか事情が異なってきた。
父を継いだ兄・丕が、禅譲をうけて皇帝となった為である。
当然ながら、その弟である彰は、皇族という立場になった。

省19
28:左平(仮名) 2005/01/02(日) 20:29AAS
(分からないかい?まぁ、無理もないな。私は、そなたが産まれる前に死んだからな。そなたの兄の鑠だよ)
(鑠?私の兄でもう亡くなられているのは、長兄だけではなかったのですか)
(知らなかったのかい?我が兄上と丕以外にもそなたの兄がいたって事を)
(ええ)
(そうか…父上は弟達には話してなかったのか…)
(どういう事なんですか?)
省44
1-AA