下
短編(?)です。
23:左平(仮名) 2005/01/02(日) 20:26AAS
十二、
史書には、彰の事跡について、僅かにしか触れられていない。
彼を語る上で、建安二十三(218)年の戦いを欠かす事はできないであろう。
「よいか、彰。出陣にあたって言っておくぞ」
「はい」
「我らは、家にあっては父子。しかしながら、いったん事を受けたなら、君臣である」
「もちろん、承知しております」
「王法を以って動き、事を行うのだ。その事を心せよ。良いな」
「はい!」
彰が将帥として戦いに赴くのは、これが初めてだった。相手は、十一年前に、父自らが打ち破った烏丸。
あの時から比べると、烏丸の勢力は拡大したというわけではない。一方、国内はというと、丞相たる父の政治のよろしきを以って、安定を取り戻しつつある。
それにもかかわらず叛乱を起こすとは。背後に鮮卑の影があるにしても、烏丸は漢朝を侮っておるのか。
「烏丸を伐たねばならんな。さらに、漢と烏丸との力の差を見せつけるには…」
「そうだ、彰を使おう。あいつなら将帥としても収まりがいいし、『なんじらには、わしが出るまでもない』というのにはうってつけだからな」
意地悪くいえば、彰は父には劣るから選任されたという事になるわけだが、そんな事は気にならなかった。
丞相と一武将とでは、前者の方が存在が大きいのは言うまでもないし、それに、彰は父にまさろうとしているわけではなかった。
十万とはいかないが、北中郎将・行驍騎将軍として万を越える軍勢を率い、彰は、意気揚々と出陣した。相は田豫、参軍事は夏侯尚。ともに、経験豊富で信頼に足る人物である。
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