下
短編(?)です。
4:左平(仮名) 2005/01/02(日) 01:22 「どうした、彰。めずらしく考え事か」 「もう、兄上まで。『めずらしく』はないでしょう。わたしだって考え事の一つもしますよ」 「なんだ、私より先に何か言われてたのか」 「ええ、さっき、長兄に言われたんですよ。『何か一つでもいいから打ち込んでみろよ』って。何がいいんでしょうか」 「何、と言われてもなぁ。私は一通りやってるから、そんな事なぞ考えもしなかったが」 「ひ、一通りですか。長兄は『父上はそこまでは求められんだろう』っておっしゃってましたけど…」 「確かにな。私達は庶子に過ぎぬ。嫡男である兄上とは異なる立場だから、そうおっしゃるのも無理はない」 「じゃ、どうして兄上は…」 「父上からみれば庶子の一人だが、母上の子としては、私が長子だ。その私がいい加減な振る舞いをしてみろ。母上まで謗られることになりかねん。違うか?」 「それは…」 (兄上の、そしておれが当時置かれていた立場がどの様なものであったかなどとは、それまで考えた事もなかった。やはり兄上は並みのお方ではなかったという事だな) 「それに…」 「それに?」 「いや…今のは忘れろ。ともかく、庶子だからといって安穏としていられるとは思ってはならぬという事だ。ましてや、今は大変な時代だからな」 「分かりました。ただ…どうもわたしは兄上の様にはいかないみたいです」 「そうか。それなら無理にとは言わん。だがな、一つ言っておく。そなたは曹家の子であり、母上の子でもある。そなたの身はそなた一人のものではないのだという事を、くれぐれも忘れてはならんぞ」 「はい。不才ながらこの彰、できる限りの事をいたしましょう」 「はは。そなたからその様な堅苦しい言葉が出てくるとはな」 「もう、兄上ったら」 (あの頃の兄上…今は陛下だが…とは気軽に話せたな。長兄とは親子ほども年の差があったからちょっと身構えてたけど、兄上とは同母兄弟で年も近かったし、それに、何だかんだ言っても、互いに庶子という気楽さもあったのかな…)
5:左平(仮名) 2005/01/02(日) 01:23 三、 (ともかくおれには、おとなしく書物を読むという選択肢はなかった。武芸しか選びようがなかったってわけだな) 「それでは、武芸を学びたいと思います」 「武芸か。となると、射術、馬術、それに撃剣といったところだな」 「じゃ…まずは射術を」 「そうだな。射術は、道具と的さえあれば一人でもできるからな。どうだ、試しにやってみるか」 「えっ、いいんですか?」 「ああ、さっきまでやってたからな。道具も、ほら、ここにある」 「ほんとだ。じゃ、早速ですけどやってみます」 「弓の引き方、分かるか?」 「え−と、見た事はあるんだけど…よく分かりません」 「こうするんだ。よく見とけよ」 「はい」 (兄上は六歳で射術を、八歳で騎射を体得されたという。胡人ならともかく、中華の人がこの年で体得するというのは大変なこと。考えてみると、おれはいい師に恵まれたもんだ) 弓から放たれた矢は、わずかに放物線を描くと、的のほぼ中心に当たった。腕に覚えのある武人でもこれほど見事には当たるまい。そう思わせるほど、丕の射術は優れていた。 「さあ、やってみろ」 「え−と…こんな感じですか」 「まずは何でもいいから弦に矢をあてがって引き絞り、そして放て。やってみん事には何とも言えん」 「む〜、えいっ!…ありゃ」 「…いかんな。まずは矢を放つことからだ。もう一回!」 (そう簡単にはいかなかったけど、しばらくやってるうちに、ともかく矢を放てるようにはなった。で、初めて的をめがけて射た…)
6:左平(仮名) 2005/01/02(日) 01:24 「どうだ。このあたりの的を射てみるか」 「はい。ところで、どこを狙えばいいんですか?」 「まぁ、的の中心だな。矢を放てるからといって、狙ったところに放てん事には意味が無いからな」 「え−と…」 「おいおい、的の中心が分からんのか?しょうがないな。今回限りだぞ」 「じゃ、いきますね−」 「よし、いけ」 (おれに気遣ってか、的の中心に墨を塗ってくださった。兄上は『小さい点を描いただけだ』とおっしゃってたが…気のせいか、おれには大きく見えた。おかげで、狙いが付けやすくなったなぁ) (『荘子・田子方篇』にいう。『列禦寇、伯昏無人の為に射る。これを引きて盈貫し、杯水を其の肘の上に措く。これを発するに、適矢は復沓し、方矢は複寓す』…理想は「不射之射」だが我らには「射之射」で足る…ゆえに、この時の列禦寇の姿を模するべし…。なぜだろうか。そういえばあの時、こんな言葉が頭をよぎったな。『荘子』なんて読んだ事もないから本当かどうかも分からんのに。ともかく、その言葉どおりに弦を引き絞って矢を放った…) 「えいっ!」 (…矢は、見事に的の中心に当たった。後で考えると、この時、実にいい姿勢で射たんだよな。あれがなければ、おれは武人にもなれなかったかも知れん。そう思うと、ほんと、よく当たってくれたもんだよ) 「すごいな、彰。そなた、ひょっとたら弓の名手になれるかも知れんぞ」 「そうですか?それは褒め過ぎでしょ」 「いや、分からんぞ。これからどんどん鍛えれば、あるいは…。そうなってくれれば、私も、そなたの兄として誇れるというもんだ」
7:左平(仮名) 2005/01/02(日) 01:24 四、 (兄上に褒められるなんて、そうそうある事じゃなかったからな。おれは嬉しくて、毎日飽きることなく射術の鍛錬にいそしんだ。もちろん、騎射の鍛錬にも励んだ。こう言うと我褒めになるが、武術については、おれも兄上並に早々と体得した。あの頃は、本当、楽しかった…しかし…) −建安二(197)年、長兄・昂、討死。ほどなく、昂の養母で正室の丁氏が離縁された。それに伴い、側室だった卞氏が正室となり、次兄の丕が嫡男になった− (長兄が亡くなられてから、兄上は名実共に後嗣になった。早くから六藝・六経を学んでおられたのは、乱世を憂え、こういう事があった場合に備えていたからだったのだ。そう想うと、おれはまだ気楽なものだったな…) (…その後、おれも父上につき従って幾つかの戦いに臨んだ。呂布との戦い、劉備との戦い、そして袁紹との戦い…。兄上が遭遇したような危難には結局遭わなかったが、父上や兄上の姿、それに長兄の最期を思うにつけ、このままでいいのかという想いがあった。しかし…この様な時代の中で、おれはどうすればいいのかは分からずにいた…) 長ずるにつれて、彰の体は父・操や兄・丕よりも大きくなり、体格に応じた骨肉と膂力を備えるようになっていった。中でも膂力は、父の配下の武人達にもまさる程であった。しかし、それでも身の丈は八尺(当時の一尺≒23pなので、約184p)には満たず、特に恵まれた体躯というほどではなかった。 (ほんと、許チョ【ネ+者】が羨ましくてならなかった。あいつは軽く身の丈八尺を越えてるし、胴回りも太いから、その図体だけで父上や兄上を守り通すことができる。おまけに、牛の尻尾をつかまえて引きずることさえできる怪力の持ち主ってんだから…。父上から見ると息子と護衛だから立場は違うとはいえ、自分が許チョ【ネ+者】に劣っていると想って焦燥感ばかりが募ったもんだ) (そんな頃だったな。あいつらに出会ったのは) それは、父・操による袁氏掃討が、いよいよ大詰めを迎えようという頃だった。彰は、そろそろ志学(十五歳)を迎えようとしていた。
8:左平(仮名) 2005/01/02(日) 01:25 「父上、お呼びですか」 「おお、彰か。入れ」 「はい、では」 「なに、そうかたい話ではない。…そなたの武術の腕前は相当なものというが、自分ではどの程度だと想う?」 「はぁ…。我流としてはなかなかだと想いますが、実践の機会がなかなかありませんから、何とも…」 「そうか。まだまだ鍛えなければというところか」 「はい」 「それなら、うってつけの者がいるぞ」 「えっ?それは一体…」 「近頃わしのもとに来た胡人の男だ。身分こそ低いが、武術の腕前は我が配下の猛将どもにも劣らぬぞ」 「配下の…と言いますと、あの張将軍(張遼)と比べても、ということですか」 「うむ。立ち合わせたわけではないから正確な比較はできんが…わしが見たところ、そう見劣りはせんだろうな」 「それほどの方がなぜ将になられないのですか?」 「わしにもよく分からん。何でも、本人にその気がないということだ。その気がない者を将にはできぬ。身分が低い者では不満か?」 「とんでもない。張将軍にも劣らぬ方となれば、喜んで師事いたします」 「そうか。なら決まりだな。おい、冒突、入れ」 「お呼びですか、殿」 冒突と呼ばれた男が入ってきた。彰より一回り大きいだろうか。いかにも歴戦の武人といった、精悍な面構えである。 「これは、我が仲子の彰だ。武術を好む。そなた、これの師として武術を教えてやってはくれぬか」 「殿のご命令とあらば、喜んで」 「よし。では早速、指導に入ってもらおうか」 「はい。若殿、それでは別室に参りましょう」 「えっ?武術の指導を受けるのに、どうして室内なんですか?」 「指導の前に、若殿の人となりを拝見しとう想いまして」 「そうか、そうだな。彰。しっかり教えを受けてこいよ」 「はい」
9:左平(仮名) 2005/01/02(日) 01:26 五、 「若殿、どうぞおかけ下され」 「はい」 「まずは、そのご尊顔をとくと拝見しとうございます。…それにしても、漢人には稀なお姿でございますな」 「そうですか?鏡を見たこともあるけど、そんなに変わってるとは思いませんが」 「お気付きではありませんか?その髪、そして眼の色を」 「ん?髪?眼?まぁ、確かにちょっと色が薄いみたいですけど…それが何か?」 「その髪、眼の色は生来のものですよね。そして、既に騎射を体得なさっておられる」 「そうですよ。まぁ、騎射は我流というやつですが」 「となると…。若殿、あなた様は大変なお方ですな。既に、世にも稀なる武人でございますぞ」 「え?どういう事ですか?」 まだ実際の動きも見てないのに、たかが髪と眼の色一つで、何をおおげさな。彰はそう思った。しかし、それに構わず冒突の話は続いた。 「若殿。あなた様の様なお方は、普通、武人にはなれぬのですぞ」 「?」 「それでしたら、問いましょう。若殿。あなた様は、書物を読まれるのが苦手ですな?」 「そうですけど…それと武術と何の関係が?」 「書物を読みたくないのは…書かれている内容が理解できないからというより、字を読むのが苦しいから。違いますか?」 「ん!ま、まぁそれはあるかな。話を聞くぶんにはそんなに苦にはなりませんが…」 「さらに問います。昼間はおろか、夙夜にあっても眩しいと感じる事がしばしばあるのではないですか?」 「確かに…。な…なにゆえそこまで分かるのですか?」 「分かりますよ。似た様な者を見た事がありますからね」 「あなたは一体…」 この男、何者なのか。どうして自分の事をこうも言い当てるのか。彰は、珍しく背に汗が浮かぶのを感じた。
10:左平(仮名) 2005/01/02(日) 01:26 「私ですか?私は匈奴の出ですが、別に特別な者ではございません」 「匈奴には私の様な者が多いのですか」 「いえ、特に多いというわけではございません。たまたま、私がその様な者を見知っていたというだけの事です」 「その者はどの様な者だったのですか?」 「今、私が申しました通り、その者は眼が弱うございましたので、武術は不得手でございました」 「それは、体躯とは無関係に?」 「はい。その者もなかなかの体躯をしておりました。しかしながら、眼が弱いゆえ、射術がうまくできぬのです。我らの中で射術ができぬというのは、それこそ士大夫が字を読めぬというのに等しいのです」 「では、私が人並みに射術を行っているというのは…」 「そうです。それ自体が一つの奇跡なのです。ゆえに、若殿は大変なお方なのです」 「何と…」 史書には、彰の容貌について、「黄鬚(黄色い鬚)」と記している。鬚が黄色いとなれば、恐らく髪も黄色であったろう。しかし、父・操も母・卞氏も、その髪の色について、格段の記述はない。 彼一人が不倫の子であるとは考えにくいし、万が一そうだとしても、当時の漢に金髪の人間などどれだけいたであろうか。 となると、彰は一種の突然変異 −この様にメラニン色素の量が少ないのを、学術的にはアルビノ(白子)という− であったのかも知れない。 「ま、まぁ、その様な者の中では、私が非凡だというのは分かりました。しかし、だからといって、私が皆の中にあってなお非凡であるかどうかは…」 「確かに、そうですな」 「では、私から一つお聞きしたい」 「何でしょうか」 「父から、あなたは張将軍にも劣らぬほどの腕前と聞きました。なにゆえ将になられないのかはまたあらためてお聞きするとして…。それほどの方でしたら、さぞや多くの将のもとで戦ってこられたでしょう。でしたら、ご存知のはずです。優れた将となるには何が必要かという事を」 「私は将としての経験がないという事をご承知の上で聞かれるのですな?」 「ご自身は将でなくとも、戦いの中で何かを見聞されているはずです」 「そこまでおっしゃるのでしたら…私で分かる範囲ですが、お話しましょう」
11:左平(仮名) 2005/01/02(日) 20:18 六、 「幾多の戦場を駆ける中で、私なりに気付いた事があります」 「それは、どの様な事でしょうか?」 「ごく簡単に申しますと…将たる者には『威』と『徳』とが必要だという事です」 「『威』と『徳』ですか。詳しく教えてくださいませんか」 「兵書を読んだ事がありませんから、兵法として正しいかどうかは分かりません。それでもよろしいですか?」 「ええ。それはあなたの経験に基づいてますよね。それなら、ただの字よりもずっと為になるかと」 「では、お話しましょう」 「『威』というのは、まぁ、威厳ですな。『兵や将校達が、このお方には従わなければならないと思うだけの何か』です」 「何かって…いったい何なのですか?それが分かりませんと」 「それは、お父上をご覧になるのが一番でしょう」 「父上の持つ『威』…」 「一言付け加えますと、お父上の持っておられる『威』と若殿の持っておられる『威』は異なります」 「父上と私とでは『威』が異なる?そうおっしゃられても分かりませんよ」 「いえ、そう難しい事ではございません。お父上と若殿とでは、年齢・官位・貫禄・容貌・知識・体格・膂力・声…全く異なるでしょ?」 「ええ。容貌は似てますけど、他は随分異なりますね」 「お父上の『威』は、それまでに培ってこられたものから発しています」 「確かに。父上はこれまで、数え切れないほどの戦いに臨み、そして勝利された」 「…って事は、まだ戦いの経験の乏しい私には『威』がないという事ですか」 「若殿に『威』がないとは申しておりませんよ。お父上とは異なるというだけで」 「この私のどこに『威』が?」 「あるではごさいませんか。人並外れるという武勇が」 「ま、まぁ…そうですかね…」 「それも『威』になり得るのですよ。張将軍をご覧になればお分かりでしょう」 「なるほど」
12:左平(仮名) 2005/01/02(日) 20:19 「では、『徳』というのは?」 「ありていに申せば、『この将に従えば戦いに勝ち、生還できるかどうか。そして、褒賞にあずかる事ができるかどうか』という事です」 「戦いに勝てるかどうかというのは、結局はその将器に帰するものではありませんか?」 「そうですね。その通りです。ただ、私の申し上げます『徳』というのは、単に兵略の才のみを指すのではありません」 「と言いますと?」 「なるほど、『威』と兵略の才をもってすれば、眼前の戦いに勝つ事はできましょう。しかし、それが戦いの全てではございません」 「ふむふむ」 「たとえ戦いに勝っても、その為に多くの兵が犠牲になるとすれば、どうでしょうか。戦う以上、その勝敗に関わりなく幾許かの死人は出ます。しかし度が過ぎれば、兵はその将とともに戦おうとしなくなるでしょう。将の手柄の大小はまあ措くとしても、自分が死んでしまっては何にもなりませんからね」 「確かに、そうですね」 「将とともに戦う気がしないというのは、兵達の士気が上がらないという事です。そんな事で次の戦いに勝つことができましょうか」 「それは無理です」 「さらに、戦いに勝っても、命に背くなどとされて主君に疑いをかけられたとすればどうでしょうか」 「それは…」 「そんな事では、たとえ手柄をたてたとしても評価されますまい。いや、それどころか、あらぬ疑いをかけられて死を賜るなどという事さえ有り得ます。特に書物を読まずとも、その様な例はいくらでも見出せましょう」 「確かに。袁氏の将であった麹義など、界橋の戦いで大手柄をたてたにも関わらず、驕慢の故に粛清されたといいますからね…」 「そうです。ゆえに、周囲と和し、賞を受ける為の『徳』が必要なのです」 「う〜む…」
13:左平(仮名) 2005/01/02(日) 20:20 七、 (おれが将たる事を意識し始めたのは、この時だったのかも知れない。考えてみれば、父上の子である以上、一介の武人というだけでは済まないからな) 冒突の話を聞いた彰は、しばらく考え込んだ。父にはなく、自分にはあるこの武勇を、いかにして『威』に転ずるか。また、どうすれば『徳』を得られるか。 それには、更なる鍛錬と経験を積むしかないというのは分かった。その為には、今後、従軍できる機会を無駄なくおのれの血肉とせねばなるまい。また、より一層武術を磨き、誰からも侮りを受けない、揺るぎないものにする必要もある。 「それでこそ、私が見込んだお方というものです」 「えっ?私はまだ何もしてませんよ。考え事をしただけで」 「ええ、傍目にはそう見えるかも知れません。しかし、若殿は、このわずかな間にも、将としてかくあるべきかを考えておられました。そういうお方であってこそ、将として成長できるのです。私には分かります」 「そうかな」 「ええ。ところで、話は変わりますが…一つお願いがございます」 「何でしょう?私にできる事でしたら何なりと」 「我が娘・飛燕を…もらってはいただけませぬか」 「えっ!?私は、ようやく志学を迎えたばかりですよ。それに、婚儀となると父上や母上に伺いを立てないと…」 兄の丕でさえまだ妻を娶ってはいないというのに、弟の自分が先というのはどうか。まず思い浮かんだのはその事であった。それに、彰は今まで女というものを意識する事さえ殆ど無かった。
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