下
短編(?)です。
14:左平(仮名)2005/01/02(日) 20:20
「いえ、正室になどど厚かましい事は申しません。側室、いや婢女でよろしいのです」
「それはいいのですが…どうしてまたその様な話を」
「実は…我ら父子と飛燕の母は、かの董卓の乱の時に生き別れてしまいましてな」
「そういう事があったのですか」
「ええ。恐らくはあの混乱の中で死んだのでしょうが…まだ未練がございまして、今も探しておるのです。とはいえ、辺境にあってはあても無く…。ですが、今や漢朝の第一人者であられる殿の御許でしたら、何かしら手がかりが得られるかも、とそう思いまして」
「将になりたがらなかったというのはそういうわけですか」
省21
15:左平(仮名)2005/01/02(日) 20:21
八、
「若様、父上。用意ができました」
「では若殿。参りましょう」
「えっ、どちらに?」
「この料理の支度は野外でするものですからね。ちょっと外に」
省24
16:左平(仮名)2005/01/02(日) 20:22
冒突は、その後も驚くほどの手際の良さで羊を解体していき、日がすっかり暮れる前に料理はできあがった。
「ほら、できましたぞ。若殿、さあ、たくさん召し上がってくだされ」
「じゃ、いただくよ」
(あの時の羊、野趣にあふれてけっこう美味かったなぁ。しかし、俺にはあの技が頭から離れなかった。どうすればあんな事ができるのかと、しばらくの間、そればかり考えてた)
省20
17:左平(仮名) 2005/01/02(日) 20:22
九、
「えい!」
「なんの!」
虚空を切り裂く音がしたかと思うと、凄まじい打ち合いが演じられる。彰と冒突の武術の鍛錬は、日を追うごとに激しさを増していった。
省22
18:左平(仮名)2005/01/02(日) 20:23
「まず、羊を仰向けに倒します」
「うん」
「次に、手に持った小刀で、羊の脇腹をすっと切り、そこから手を差し込みます」
「そう、そこまではあの時見えたんだ。その続きがどうなってるのかが分からない」
「腹の中には、肋骨の他に、心臓や肺腑を守る為の膜がありますから、手でそれを破り、さらに奥まで突っ込みます」
「そう言えば、手首どころか肘のあたりまで入ってた様な気がするな」
省27
19:左平(仮名)2005/01/02(日) 20:23
十、
彰は、それからしばらくの間、その技を体得すべく励みに励んだ。
一体、何日羊ばかりを食べただろうか。身も心も遊牧の民になりそうな、そんな錯覚さえ覚えるくらいだったある日、ついにその体得に成功したのである。
「よっ、と。で…、むんっ!…ふぅ。こんなもんかな」
省32
20:左平(仮名)2005/01/02(日) 20:24
彰が構えるか否かというところで、虎が飛びかかってきた。
いくら武術に長け、羊を巧みにさばいてみせたとはいえ、虎では相手が大きすぎる。誰もが、彰が負けると思った。
冒突でさえ、事あらば直ちに彰を助け出すべく得物を構えたほどである。しかし、次の瞬間。
虎は、虚を衝かれたと言わんばかりの間抜け面を晒していた。その足元には、彰の体はない。どうやら、虎の一撃を避ける事ができたらしい。
省19
21:左平(仮名) 2005/01/02(日) 20:25
十一、
「曹氏の仲子が、素手で虎を仕留めた」
この噂は、あっという間に広まっていった。それが、彰の武名を大いに高めた事は、言うまでもない。
「彰がのう…。我が子ながら大したものだ」
父も、そう言って喜んだと聞く。彰には、それが何より嬉しかった。
省24
22:左平(仮名) 2005/01/02(日) 20:26
「丈夫たる者、将となりては、烈侯(衛青。前漢武帝期の名将)・景桓侯(霍去病。衛青の甥で、叔父と同じく前漢武帝期の名将)の如く、十万の大軍を率いて沙漠を駆け、戎狄を打ち破り大功を挙げるべきである。書物を読み、博士になるのが何ほどのものか!」
「若殿。その様な事をおっしゃっては…」
「おれは、書物を読まぬとは言っておらぬぞ。それともそなた、烈侯・景桓侯を貶めるのか?」
「いえ…その様な事は…」
(家臣どもは、あの頃から何かと「その様な事をおっしゃっては…」などと言ってたなぁ。おれに父上の後を継がせようとでもしていたのか?おれ自身にそんな気はさらさらなかったというのに…)
省13
23:左平(仮名) 2005/01/02(日) 20:26
十二、
史書には、彰の事跡について、僅かにしか触れられていない。
彼を語る上で、建安二十三(218)年の戦いを欠かす事はできないであろう。
「よいか、彰。出陣にあたって言っておくぞ」
省21
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